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ラムネ玉宝珠の「池袋の神様」岸本可賀美。 [気になる下落合]

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 中村彝Click!へ結核治癒の祈祷を行なった、「至誠殿」の「巣鴨の神様」こと山田つるClick!と混同されたのが、詐欺で収監・起訴された「天然教」の「池袋の神様」こと岸本可賀美だ。山田つるは、オオクニヌシ(大黒天)の神託を伝え、おもに病気を治す「神通力」を発揮する巫女すなわち女性なのに対し、名前からしてまぎらわしいのだが岸本可賀美は「千里眼」を駆使する占い師であり男だった。
 「池袋の神様」こと岸本可賀美は、「透視」を行なう占い用の水晶玉「神水如意宝珠」(実はラムネのビー玉)を用いて、さまざまなものを発見する超能力者で、池袋駅の西側、東京府の豊島師範学校Click!に隣接した敷地に「神苑神殿」を設立して佐田彦大神(別名サルタヒコ)を祀り、失せ物探しや金塊・宝物の隠し場所、鉱脈の有無などを占って当てるのがメインの“仕事”だった。したがって、岡崎キイClick!が中村彝の結核平癒を願って連れていったのは、ほぼまちがいなく「巣鴨の神様」=山田つるのほうであって、同じ北豊島郡巣鴨村に居住していた「池袋の神様」=岸本可賀美のほうではないだろう。
 中村彝の伝記では、いつしかこのふたりが混同されて記述されるようになり、「巣鴨の神様」(女性)に祈祷してもらっているにもかかわらず、いつの間にか詐欺で捕まり「神水如意宝珠」がラムネ玉だったことが暴露された、「池袋の神様」(男性)の顛末で終わるようになってしまった。つまり、「巣鴨の神様」=山田つるのいかがわしさを強調するために(実際いかがわしいのだがw)、さらにうさん臭い「池袋の神様」=岸本可賀美のエピソードを“接ぎ木”して、山田つるを貶めるエピソードとして架空の物語を創作してしまった……ということなのだろう。この創作を行なったのが誰かはハッキリと規定できないが、中村彝が存命中の1924年(大正13)9月に新光社から出版された、『心霊現象の科学』の著者・小熊虎之助Click!あたりがいちばん怪しいだろうか?
 「池袋の神様」こと岸本可賀美は1916年(大正5)12月12日の午後、詐欺(騙取)の容疑で逮捕され東京監獄に収監されている。そのときの様子を、1916年(大正5)12月13日に発行された読売新聞の記事から引用してみよう。
  
 神様収監さる/池袋伏魔殿の主
 茨城県結城の城址に一億万円(ママ)の金塊ありとの神託を得たりとて 深川区佐賀町熊倉良助に多額の出資を為さしめたるを始めとし 神託を以て世人を迷はし巨額の金を騙取したる府下豊多摩郡高田村池袋(ママ)天然社々長岸本可賀美(四八)は 東京地方裁判所に於て小幡検事の係にて取調中のところ 十二日午後八時三輪予審判事の令状を以て東京監獄に収監されたり
  
 記者は、池袋地域の所在地を「豊多摩郡高田村池袋」などとしているが、もちろん北豊島郡巣鴨村(大字)池袋(字)中原(のち西巣鴨町池袋)の誤りだ。「巣鴨の神様」こと山田つるの記事(誤・伊勢神道のアマテラス→正・出雲神道のオオクニヌシ)でも気になったけれど、読売新聞は“ウラ取り”や校正が甘いのか、誤報や事実誤認の記事が多い。
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 同記事は、常陸の結城城の城跡に多額の金塊が眠っているのを、岸本可賀美が水晶玉(神水如意宝珠)を用いて「透視」をした結果、深川佐賀町の米穀問屋・熊倉良助をはじめ、日本橋区弥生町の諸田清次郎、芝区芝口の古着屋商・須崎すゞ、神田区神保町の古川きんなどから「天然教」の活動費のための多額の資金を募り、総額約15万円(現在の価値で約4億6千万円)を騙取したために検挙されたことを伝えたものだ。ほどなく、「神水如意宝珠」がラムネ玉(ビー玉)であったことが東京帝大の地質学教室による鑑定で判明し、「池袋の神様」こと岸本可賀美は東京地裁へ起訴された。
 池袋駅西口の豊島師範学校近くにあった、岸本可賀美の「天然教社」(神苑神殿)には一般の信者ばかりでなく、華族や政治家たちも多く出入りして占ってもらったらしく、中でも子爵・水野直(貴族院議員)の入れこみようは半端ではなかったようだ。そのため、岸本可賀美の逮捕・起訴は政界スキャンダルがらみでも取りあげられ、当時の新聞や雑誌の紙誌面をにぎわせている。特に水野直は、熱狂的に「池袋の神様」を信奉したせいか、周囲からは精神に異常をきたしたと思われ、宮内大臣が「天然教」の「神苑神殿」を調査する騒ぎにまで発展している。
 1923年(大正12)12月7日発行の、東京朝日新聞から引用してみよう。
  
 (水野直は)仍つて例の天然教社に帰依し其の教主岸本可賀美なるものの処へ日参したものだ、此の天然教なるものは今日の大本教なぞと同巧異曲の一般世間からは一種の邪教視されて居たもので、其の教理はどんなものであつたか知らぬが、当時我が帝都に外国から飛行機の闖来する事を予言し盛んに国民の愛国的精神を説いて居たものである。水野はすつかり之に這入つて了つて、当時の内閣総理大臣大隈重信や陸海軍大臣などの処へ出掛けて真面目になつて天然教社の御先棒を勤めたものである。◇之れが為め水野は気が狂れたのではないかと親友等が心配し結局天然教の如何なるものかを確かめに、時の宮内大臣波多野敬直が態々天然教社を見に行つた始末、其の結果天然教は一邪教に過ぎぬと云ふ結論に達し以後断然水野に近寄らせぬ事にした、斯くて水野は慰安を求めた宗教にも失敗したので其の後学習院長との衝突を表向きの理由として遂に議員をも辞職し鎌倉の別邸に隠遁するに至つた。(カッコ内引用者註)
  
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 「天然教」の内実を、宮内大臣がわざわざ確認しに出かけているのも、いまだ官僚主義的で硬直化した政府に変質していない、大正初期の匂いを強く感じるエピソードだが、いったい水野直は行政内でどのような言動を繰り返していたのだろう。
 「池袋の神様」こと岸本可賀美は、約15万円の巨額を騙取した起訴事実に対し、東京地裁の法廷でどのような弁明をしていたのだろうか。1917年(大正6)7月16日に開かれた弁護側による被告人質問を参照すると、すべて信者がみずから進んで財産や家屋を「天然教」へ寄進・寄贈したのであって、自分から寄付を要求したことは一度もない……と答えている。この日の公判では、弁護人が新たな被告側の証人として岸一太医学博士と秋山海軍少将、それに寄付者のひとりで元信者の諸田清次郎を申請しているが、諸田のみの証人尋問が許可されただけで、ほかの承認申請は却下されている。
 岸本可賀美の弁明は、この手の新興宗教をめぐるトラブルではごくありがちなものだが、ついでに「神苑神殿」を訪れた“有名人”をあえて証人として指名し、自身の権威づけとともに、いわず語らず「なにをしゃべるかわからねえぞ」という、「天然教」に関わった人々への無言の圧力を加えているようにも見える。ついでに、「神水如意宝珠」がラムネのビー玉だったことについて、彼は「知らなかった」と答えている。岸本可賀美は、4人もの弁護士を雇って「無罪」をめざしたが、騙取の目的は明らかだとして懲役6年の実刑判決を受けている。
 告発者のひとり、深川佐賀町の米穀問屋・熊倉良助は茨城県の結城に出かけ、実際に人夫を雇って「池袋の神様」のお告げどおり結城城址を掘り返している。現地に着いた彼は、金塊の発掘を前に、結城の町民へ紅白の餅を大量に配って景気づけをしたが、掘れども掘れどもなにも出てこなかった。この“被害事件”は、「埋蔵金塊」に目がくらんだカネの亡者が、エセ宗教でボロもうけをたくらんだカネの亡者を訴えた、どっちもどっちのようなケースのようにも見える。
 その後、「池袋の神様」こと岸本可賀美をめぐる「天然教」や、「神苑神殿」あるいは「神水如意宝珠」といったワードは、すっかりマスコミから姿を消しているので、おそらく岸本が逮捕された時点で「天然教」は解散、「神苑神殿」も解体(被害者たちへの賠償がらみだったかもしれない)されているのだろう。
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 1926年(昭和元)12月に作成された「西巣鴨町西部事情明細図」を見ると、池袋駅西口の府立豊島師範学校の近辺には、もはや「天然教社」のネームを見つけることはできない。ただし、同師範学校のすぐ西側には、「岸本」姓の住宅が何軒か採取されている。

◆写真上:池袋駅西口の豊島師範学校の跡地で、同校に近接して「池袋の神様」こと岸本可賀美の「天然教社」および「神苑神殿」があった。
◆写真中上は、1924年(大正13)に出版された小熊虎之助『心霊現象の科学』(新光社/)と1974年(昭和49)に出た新版の同書(芙蓉書房/)。は、明らかに「巣鴨の神様」こと山田つると「池袋の神様」こと岸本加賀美を混同している記述。これがもとで、その後に出版された中村彝関連のほぼすべての資料が誤っていくのだろう。は、1916年(大正5)12月13日発行の岸本可賀美の逮捕を伝える読売新聞。
◆写真中下は、1917年(大正6)7月17日に発行された東京地裁での公判の様子を伝える読売新聞記事。は、明治末に池袋停車場の西側へ開校した東京府立豊島師範学校。は、昭和初期にほぼ同じ位置から撮影された豊島師範学校(奥)。
◆写真下は、1926年(昭和元)作成の「西巣鴨町西部事情明細図」に採取された豊島師範学校とその周辺。は、「天然教」にのめりこんでいた貴族院議員(当時)の水野直()と、同教の実態を調査した宮内大臣(当時)の波多野敬直()。は、「天然教」と貴族院との政界スキャンダルを総括する1923年(大正12)12月7日発行の東京朝日新聞。

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