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佐伯祐三は自分のアトリエを描いている。 [気になる下落合]

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 たまに、佐伯祐三Click!「下落合風景」シリーズClick!を股メガネでのぞくと、とんでもないものが見えてくることがある。佐伯の得意な股メガネは、別に1928年(昭和3)2月のパリ郊外モラン村に限らないのだ。w 先日、山本光輝様Click!よりお送りいただいた『セメントの坪(ヘイ)』Click!の第14回二科展記念絵はがきを、逆さまにして観察していたら、同作の下にもうひとつの風景画が隠れていることに気がついた。
 つまり、佐伯はなんらかの風景を描いた15号キャンバスを塗りつぶし、その上へ新たに『セメントの坪(ヘイ)』を描いている可能性が高いということだ。佐伯がキャンバスを塗りつぶして、別の絵を重ねて制作するのは特にめずらしいことではないけれど、「下落合風景」ではX線検査で下層の画面が現れた、1923年(大正12)制作の『目白自宅附近』Click!以外は記憶にない。では、どのような構図の画面に重ねて、『セメントの坪(ヘイ)』を上描きしているのだろうか?
 『セメントの坪(ヘイ)』の、特に逆さまになった空の部分を仔細に観察しながら、その痕跡をたどって下層に描かれた画面を探ってみよう。なお、最初は第1次滞仏で描いた作品のうち、出来の悪い画面をつぶして『セメントの坪(ヘイ)』を描いているのかとも考えたが、わざわざ日本へ船便で返送した作品を簡単に塗りつぶすだろうか?……という大きな疑問と、日本へ返送した作品はすでにパリで選別が行われていたはずなので、貴重な滞仏作品を塗りつぶすとは考えにくいことなどを考慮し、下層に描かれていたのは日本で制作した画面ではないかと想定した。
 まず、逆さまの空の中央で凹凸状に浮かびあがっているのは、大きな三角屋根をした外壁が下見板張りの西洋館(文化住宅?)のように見える。しかも、その壁面には格子が何本も入った窓が描かれていたようだ。この壁面を北向きとすれば、すぐにも大きな採光窓が連想できるので、真っ先に画家のアトリエを想起させる建築デザインだ。窓は、独特な形状をしており、いちばん下が幅が広く、その上にそれより少し狭い窓がのり、いちばん上の窓は幅が狭くなっていて、まるで下から上へ順番に大中小の窓を積み上げたような意匠をしている。
 これほど鋭角な尖がり屋根の下、下見板張りの外壁に大中小の窓を積み上げたような形状の採光窓を採用しているアトリエは、あまたの洋画家たちが住んだ下落合(現・中落合/中井含む)広しといえど、これを描いた当人の画室、佐伯祐三のアトリエをおいてほかには思いあたらない。佐伯は、自身のアトリエを中心にすえて北北東側から描いており、下層の画面が15号キャンバスのままだとすれば(キャンバスを張りなおしてサイズ変更をしていなければ)、これからつづく「下落合風景」シリーズと同様に、かなり空を広くとった構図で制作していることになる。
 すると、アトリエの三角屋根の左側に突き出た屋根の一部のように見えるフォルムは、佐伯邸の母家2階の屋根であり、その真下に東を向いた玄関があることになる。佐伯邸の母家は、下見板張りの外壁ではなく簓子(ささらご)張りに簓子竿の仕様で建てられた外壁であり、その点もどうやら痕跡の様子から一致していそうだ。
セメントの坪(空)A.jpg
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セメントの坪下A.jpg
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 また、左端から右へと突き出た屋根は、描かれた角度からいっても佐伯邸の南隣りにあたる青柳邸Click!だと思われる。落合第一小学校Click!の教師だった、同家の青柳辰代Click!へ「下落合風景」シリーズにしてはめずらしく大きな、50号サイズの『テニス』Click!をプレゼントしているのは、これまで何度も記事に書いたとおりだ。
 青柳邸の屋根の周辺に見えるもやもやしたものは、同邸のまわりや佐伯邸の庭に繁っていた樹木だと思われる。「下落合風景」シリーズが描かれた当時、青柳邸の向こう側(南側)は丘が半島状に南へ突きでた青柳ヶ原Click!のままであり、国際聖母病院Click!(1931年)はまだ建設されていない。アトリエの右側(西側)に見えているもやもやの痕跡も、おそらく佐伯邸あるいは隣家の小泉邸に繁る庭木の一部だろう。小泉邸の西隣りが、佐伯の制作メモClick!に数多く登場する「八島さん」Click!の家だ。
 また、アトリエの右手(西側)に接して佐伯自身が大工のまねごとをして建てた「洋間」部の建築は、あまりハッキリとした痕跡をなぞることができない。ただ、下層の画面が未完成だった場合、つまり制作の途上で「あのな~、わしのアトリエ描くの、なんや知らん自慢しとるようやさかい、やっぱりやめとくわ~」となった場合、画面には描きかけの曖昧な部分が残っていたのかもしれない。
 さらに、佐伯の尖がり屋根をした画室の手前にも、もやもやした表現の痕跡が見えるようだ。これは、同じ山上喜太郎の地所Click!である下落合661番地の北半分を借りて住んでいた、酒井億尋Click!の邸敷地と佐伯邸の敷地とを隔てる生け垣のように思える。つまり、佐伯は酒井邸の庭に入りこんで同作を描いていたことになりそうだ。勝手に入りこんで描くわけにはいかないので、昼間、夫人の酒井朝子Click!に断りを入れてからイーゼルを持ちこんでいるのだろう。
 ひょっとすると、朝子夫人がかわいがっていた飼いネコClick!が、イーゼルを立てた佐伯の足もとにまとわりついてきたかもしれない。あるいは、曾宮一念Click!に石をぶっつけられたあとだとすれば、南隣りから侵入してきた男に毛を逆立て、斜め飛びをして威嚇していただろうか。また、朝子夫人が途中で紅茶かコーヒーでも出して、パリの土産話などを佐伯から聞いていたのかもしれない。
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 これまで、明らかに佐伯アトリエを描いている画面として、北側から「八島さんの前通り」Click!を描いた1927年(昭和2)5月から6月初旬ごろ制作の『下落合風景』Click!が判明しているが、家と家とにはさまれた間に自宅がチラリとのぞく程度の表現でしかなかった。ところが、この画面は自身のアトリエを大きく中央にフューチャーしているとみられ、これまでの「下落合風景」シリーズでは異例の画面となっている。それは、同作が描かれた1926年(大正15)の時期とも、大きく関わるテーマなのかもしれない。
 『セメントの坪(ヘイ)』が描かれたのが、1926年(大正15)8月以前であることは、同年9月1日に佐伯アトリエで行われた東京朝日新聞社による記者会見Click!の報道写真で、背後に置かれた同作の画影から規定し、すでに詳述している。とすれば、同作キャンバスの下層に描かれていた、佐伯祐三アトリエと思われる画面の制作は、さらにそれ以前に制作されていたことになる。すなわち、「下落合風景」シリーズでもっとも早い時期の画面、換言すれば同シリーズの記念すべき第1作は、画家自身のアトリエだった可能性があるということだ。佐伯祐三は、東京郊外に建てた自身のアトリエを描くことで、一連の「下落合風景」シリーズの出発点としていたのかもしれない。
 また、佐伯アトリエの南隣りに住んでいた青柳家の辰代夫人とともに、北隣りに住んでいた酒井家の朝子夫人とも、佐伯祐三は親しかったのではないだろうか。なぜなら、酒井朝子Click!は洋画好きであり、たまに曾宮一念アトリエClick!へ夫とともに立ち寄っては作品を購入しているからだ。そんな朝子夫人が、南隣りに住んでいるフランス帰りで新進気鋭の洋画家・佐伯祐三の作品に興味を抱かないはずはない。そこには、なにかエピソードが眠っていそうなのだが、その後、朝子夫人は結核に罹患し、1936年(昭和11)10月に鎌倉の浄明寺ヶ谷(じょうみょうじがやつ)の酒井別荘で死去しているので、多くの物語は語られないまま消えてしまったのかもしれない。
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股メガネ佐伯祐三.jpg
 今後も、同画面を引用することがありそうなので、便宜上この隠れた「下落合風景」に名前をつけておきたい。1926年(大正15)の夏ごろからスタートした、同シリーズのもっとも早い時期の作品として、単に『佐伯祐三アトリエ(仮)』ではまったく面白くもなんともないので、『あのな~、せやさかいな~、大磯Click!大工Click!から歳暮にもろたカンナClick!でな~、天井裏Click!の柱までぎょうさん削てもうた、わしのアトリエやで。……そやねん(仮)』では長すぎるので、略して『わしのアトリエ(仮)』としておきたい。w

◆写真上:股メガネで見ると、曾宮アトリエ前の『セメントの坪(ヘイ)』も別の景色に。
◆写真中上は、逆さまにしてみた『セメントの坪(ヘイ)』の空。は、その中央に描かれているとみられる三角屋根と窓らしい影。は、リフォーム前の佐伯アトリエ。
◆写真中下は、画面左手に残る痕跡。は、画面右手に見える痕跡。は、同アトリエの西側に付属している佐伯自身が建てた「洋間」部。(リフォーム前)
◆写真下は、画室内から見た採光窓。は、リフォーム前の佐伯アトリエ。は、1928年(昭和3)2月にパリ郊外のモラン村で股メガネをして得意な佐伯祐三。
おまけ
知人を通じて、旧・酒井邸の側から眺めたアトリエの写真をお送りいただいた。『セメントの坪(ヘイ)』の下に浮かぶ、生け垣越しの佐伯アトリエの姿と比較すると興味深い。
佐伯アトリエ北側から.jpg
おまけ2
念のために佐伯アトリエへ確認に出かけたら、元・酒井邸の敷地に建っていた邸が解体され、『わしのアトリエ(仮)』の描画ポイントからアトリエを撮影することができた。
佐伯アトリエ.JPG

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