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未来生活先どりの山本忠興と帆足みゆき。 [気になる下落合]

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 1927年(昭和2)4月20日発行の「アサヒグラフ」に、下落合404番地の近衛町Click!に住んでいた随筆家で評論家の帆足みゆきClick!と、目白駅東側の高田町四ッ家1417番地(現・高田2丁目)に住んでいた早大理工科教授の山本忠興Click!が、くしくも同じページで家電製品についてのエッセイを書いている。特に山本忠興の住宅は以前、「オール電化の家」Click!としてご紹介していた。
 山本忠興は、同誌に『家庭電化の妙味』というタイトルで書いているが、今日ではあたりまえに使われている家電製品の出現を、大正時代が終わったばかりのこの時期に、正確に予測しているのが驚きだ。同誌から、少し引用してみよう。
  
 無線電信、無線電話の発達により世界の隅々まで通信が可能になつた事 殊に「ラヂオ」の放送により家庭の娯楽と実用に貢献する処甚だ大で一日を通じて労苦の多き婦人達の為に慰安の種となるのは何より新慶事であります。欧州と米国との間に無線電信で橋渡しされて電話が自由に通ずるに至つた事や写真の電送の実施された事は孰れも人間の耳と眼を世界の隅々まで働かすと同じ訳でやがては活動写真の無線伝送も実現さるゝはずで地球が次第に小さく感ぜらる様な思ひが致します。
  
 文中の「活動写真の無線伝送」は、今日のテレビのことだが、この記事から3年後の1930年(昭和5)には、山本忠興と川原田政太郎らの手によって「早稲田式テレビジョン」の開発に成功している。
 最初に早稲田式テレビで放送されたのは、早大戸塚球場Click!(のち安部球場)で行われた大学野球の試合だった。戸塚球場で撮影した映像を、早大キャンパスの理工学部まで電送している。ただし、のちのブラウン管形式のテレビではなく、今日のプロジェクターのようなスクリーン投影型だったため、日本の住環境では一般に普及しなかった。
 また、エアコンや真空掃除機、食洗器、電動ミシン、精米機など、戦後の家庭に普及しはじめる家電製品はおろか、自動ドアや家事ロボット、飛行自動車などを「ナンセンス」と断りながらも“予言”している。
  
 家庭用電熱器としまして電気熨斗(ゆのし)は既に普及してをります又温湯発生用にも便利でありますが稍々入費が多い嫌いがあります。これは全く正反対の応用ではありますが電気により冷蔵用の製氷も可能でありまして調法な形の品も出来てをり夏期食料品の保存や冷たき飲料を得る上に欠き難い品であります。今に室内の空気を冷たくするために電気冷却装置の応用を見るではないかとも思はれます。(中略) その他真空掃除機は塵埃を徹底的に取り去り、「ミシン」に小電動機を付加すれば足踏器を略する事が出来ます。なほ皿洗、精米、その他人力を省きて電動機に託することは人間の活動の利用上意味深い事でありましてこれがために消費する電力量は極めて些少に過ぎぬものであります。
  
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 「電気熨斗」とは電気アイロンのことだが、当時は鉄の器に焼けた炭を入れ、服のシワを延ばす火熨斗(ひのし)が一般的に使われていた。
 山本忠興が「些少に過ぎぬ」といっているのは、手間がかかる家事の負担を軽減する効果に比べれば、電気料金などたかが知れているという意味合いも含まれている。それは、主婦の労働負荷の軽減課題のみにとどまらず、当時の中流以上の家庭においては家電を積極的に導入することで、女中の人数を減らし人件費を抑制するという、より大きなテーマがからんでいたからだ。
 そのテーマを徹底的に追求したのが、近衛町に住んだ帆足みゆきだった。彼女は長い米国留学の経験があり、夫の帆足理一郎Click!とも米国で知り合っている。したがって、徹底した合理主義的な思想の持ち主で、近衛町の中村式コンクリートブロックClick!による自邸建設も、およそ彼女が設計を仕切っていたようだ。
 そして、彼女がめざしたのは、邸内に「女中をおかないこと」だった。昭和初期の女中にかかる人件費は、食事つきの住みこみで月々軽く30円は超えていた。1年で360円、それに光熱費や必要経費を加えると、かなりの出費を覚悟しなければならない。そのぶん、家電製品を積極的に導入して「生活能率増進」をめざせば、女中がひとりもいなくても生活できると考えたようだ。これも米国生活で学んだ、彼女ならではの合理精神なのだろう。当時、中流以上の広い邸で女中のいない家庭は、きわめてめずらしかった。
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 同誌掲載の、帆足みゆき『能率本位の家庭』から引用してみよう。
  
 一昨年建てた現在の家は外見、身分不相応のやうにも思はれますが、一体に、日本人が衣服に割合多額を費して、住宅はマッチ箱のやうなもので満足してゐる、それに較べてはいさゝかぜい沢のやうですが、欧米の住宅に較べれば、まだまだ比較にならぬほど貧弱な設備であります。/生活能率を高めるには住宅を全く洋風にすることだと信じまして、建坪(延坪)五十余坪の中村式ブロック建築で、耐震耐火的にできてゐますが、内部の設備は至つて簡素であります。(中略) 私共の実際試みてゐるところでは、暖房、料理、洗たくを電化しました。五百円余りの時計仕かけの電気レンヂで、自動的に御飯がたけますから、仮令留守中でも思ふ時間に出来てゐます。(中略) ふろは今のところ電力代が高価ですから、ガスぶろにしてありますが、何の手間もいりません。便所も五六百円で浄化装置ができますから、洋風にすれば、綺麗で、衛生的で、掃除も楽です。以上大略二千円位の設備費で、女中資本の残り四千円を預金としておくといふ考へでゐますれば、それ利子、月二十円で、電気代、ガス代、水代は大略払へるわけです。
  
 帆足みゆきは、家での執筆や講演・打ち合わせなどの仕事で外出することも多く、いちいち商店街へ買い物にいかずに済むよう、いろいろな仕組みを考えている。目白通りまでは距離があるので、「私共住宅と商店との距離がかなり遠いので、買ひだしに行つて時間を費すことは却て不経済」と、どこまでも合理的な考えをする女性だった。
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 玄関わきに設置した“宅配ボックス”も彼女の考案で、家庭購買組合Click!へ注文していた物品の宅配便や、窓へ掲示しておく御用聞きClick!への配達伝言メッセージなど、すべて手間と時間がかからないようシステム化している。もし、帆足みゆきが現代に生きていたら、おそらくICTやAI/IoTを駆使した最先端のスマートホームを建ち上げるだろう。

◆写真上:高田町四ッ家1417番地の、「オール電化の家」こと山本忠興邸跡。
◆写真中上上左は、1935年(昭和10)撮影の山本忠興。上右は、大正期の早稲田大学理工学部校舎。は、明治末に撮影された山本忠興も座ったとみられる電気工学主任室。は、1927年(昭和2)4月20日の「アサヒグラフ」記事。
◆写真中下は、帆足邸の台所で電気レンジや電気湯沸し器が見える。は、台所から料理が手わたせるよう“窓”が開いた食堂で卓上電気コンロが見える。は、1933年(昭和8)に空撮された下落合404番地の帆足邸とその周辺。
◆写真下は、1925年(大正14)に竣工直後の帆足邸で中村式コンクリートブロックの外壁がよくわかる。左に立っているのが帆足理一郎で、下にかがんでいるのが帆足みゆき。は、住宅が建設される前の帆足邸跡で背後の緑はおとめ山公園。

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