So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

下落合を描いた画家たち・中村忠二。(2) [気になる下落合]

雪の我が家1946.jpg
 「ぐりこ」さんより、主婦へのご褒美の「おまけ」が足りないという、ちょっとお叱りコメント(前記事参照Click!)が寄せられましたので、^^; あとひとつだけ「おまけ」の記事を追加します。これがメンテ作業前の最後ということで、どうぞよろしくお願いします。<(_ _;)> (アイスのジャイアントコーンに「おまけ」なんてないんだけどなぁ)
  
 「君を救う道は、僕との結婚以外にはない」…、この言葉は下落合に住んだ洋画家・中村忠二Click!が、30歳ほども年下の若い女画学生(のち弟子)に舞い上がったときに吐いたらしいセリフだ。また、1955年(昭和30)9月19日には、「芸術の興奮をよりよき恋愛にまで高めるために火の如き接吻をする」と書いたメモを、妻の洋画家・伴敏子Click!に見られている。このとき、中村忠二は57歳だった。
 それに対する伴敏子の反応は、「ドン・キホーテのお共は、もう御免よ」「男はもうこりごり」「あの人は今馬を屠殺場に遣って、豚にまたがって天国に行こうと思っているようよ」……などなど諧謔的なものばかりだった。それをどこかで漏れ聞いたのか、中村忠二は「偉い女など女房に持つもんじゃあないよ」と友人に語っている。そんな悲喜劇が繰り広げられたふたりのアトリエは、伴敏子の年譜によれば1935年(昭和10)に(中村忠二の年譜によれば1938年に)、下落合4丁目2257番地(現・中落合4丁目)に竣工している。アトリエの建設費の多くは伴敏子が負担していたせいか、若い女にトチ狂った中村忠二は出ていかざるをえなくなった。
 ふたりが住んでいた下落合のアトリエを描いた、中村忠二の「下落合風景」を見つけたのでご紹介したい。今年の夏に練馬区立美術館で開催されている、「生誕120年中村忠二展―オオイナルシュウネン―」に展示されていたものだ。そう、中村忠二は佐伯祐三Click!と同じ1898年生まれであり、ともに今年が生誕120年Click!にあたる。下落合4丁目2257番地のアトリエは、目白学園の北東側に位置しており、玄関が南を向く和館とも洋館ともとれる微妙なデザインの2階家だった。
 南側の接道から、狭い路地を入ると突き当たりに細い門柱が立ち玄関へとつづく、53坪ほどの旗竿敷地だった。20畳サイズのアトリエを中心に、6畳のリビング、2階の寝室は4畳半というシンプルな間取りで、ふたりは生涯の多くをここですごし作品を制作しながら生活している。南側の接道から北に向き、降雪後の路地とアトリエをとらえた画面が、冒頭の敗戦間もない1946年(昭和21)に制作された中村忠二『雪の我が家』だ。
 「我が家」というタイトルを付けているが、すでに中村忠二と伴敏子は最初の“夫婦別れ”をしている。日本の敗色が濃くなりつつある1943年(昭和18)、伴敏子からの提案でふたりは夫婦関係を解消した。そこで、伴敏子は1階の広いアトリエにベッドを据えて寝室とし、中村忠二は2階の4畳半が居場所となった。だが、翌1944年(昭和19)になると、東中野に住んでいた伯母を引きとり2階を提供したので、中村忠二は居場所がなくなり、1階のアトリエで再び伴敏子と生活をするようになった。
 10年後の1955年(昭和30)8月、中村忠二は水彩連盟の講習会で画家をめざす若い女性と知り合い、急速に親密になっていく。57歳の中村忠二が、前出の歯の浮くようなキザな台詞を臆面もなく吐いたのはこのときだった。そして、9月になると練馬区貫井町1275番地(現・貫井5丁目)に小さな平家を借りて、伴敏子との別居生活に入り、ほどなく彼女とは正式に離婚している。
 そのときの様子を、1977年(昭和52)に冥草舎から出版された伴敏子『黒点―画家・忠二との生活―』から引用してみよう。同書は、登場人物たちの多くに仮名を用いており、「陽子」は伴敏子、「貞子」が中村忠二の入れあげている若い女性のことだ。
  
 「もう無駄よ、誰が何を云ったって。一度あの人の思うようにさせた方がいいのよ。とやかく云っても苦しめるばかりよ。お互い別々になって反省しましょう。私は他に好きな人が出来たわけではないから、あの人がもう一度惚れ直せるような男になったら、私から頼んでも帰って貰うわ」/靴を履く蔵原の後から、陽子は玄関で云った。/忠二は庭の花の根を起こして練馬の庭に植えに行ったり、上京して来ると云う貞子の妹を二人で迎えに行ったり、この二、三日はとても忙しかった。多忙のなかを高田馬場のパール座で貞子と二人で映画を見たり、暗い夜道では烈しい雨の中傘を傾けて熱い接吻を繰り返した。まるで彼の血が一度に若返って青春を取り戻したようであった。
  
中村忠二・伴敏子アトリエ跡.JPG
中村忠二・伴敏子アトリエ素描.jpg
中村忠二展2018.jpg 中村忠二・伴敏子1955.jpg
 余談だが、小さな名画座だった高田馬場パール座はわたしの学生時代まで営業しており、よく2本立ての映画を観に出かけた。いまも、その前をときどき通るけれど角の和菓子屋さんは健在だが、パール座はとうにつぶれてライブハウスになっている。
 中村忠二は、伴敏子と正式に離婚して練馬にアトリエをかまえているにもかかわらず、しばしば下落合の旧「我が家」を訪問している。それは、伴敏子が留守のときをねらって侵入していたようで、いろいろなものを貫井のアトリエへ運んでいたらしい。上野の展覧会で、偶然ふたりが出くわしたときの様子を、同書から再び引用してみよう。
  
 「しばらくね、今日は。お元気ですか。たまにはお気晴らしに、落合へも一杯やりにいらっしゃいよ、お二人で。貞子さんはお元気?」/と陽子は声をかけた。/留守を知りながら落合に行っては、柿を取って来たり、風呂に入ったりした忠二であった。面と向かってこんなふうに云われると、忠二は何となく慌ててどう答えたかも覚えがなく、別れた。/上村哲二の家のS連盟委員会の席上、忠二は陽子からやや離れたはす向かいに座を占めていた。横顔のやつれや人相が何となくみすぼらしかった。この人が私の良人であったのかと、陽子の心をひどくうそ寒い思いにした。
  
 「S連盟」とは、もちろん現在も存続している水彩連盟のことだ。「貞子さん」こと若い女弟子の愛人は、中村忠二が貫井にアトリエを設けた翌年、1956年(昭和31)の夏ごろにはさっさと逃げていってしまったらしい。前年の冬から、そんな予感がしていたものか、中村忠二が日記がわりに書き残していた覚書きには、「これにて完全に大方は清算され、自分は孤立となる」と書かれている。
 翌1957年(昭和32)11月には、自分のもとを去った愛人の弟子に、いまさらながらの「破門状」を発送しているようだ。言い換えれば、1年は待ったことになるだろうか……。同時に水彩連盟も脱退し、各地のギャラリーで個展や二人展(山本蘭村と)を中心に活動している。そして1年がすぎるころ、中村忠二は下落合へ捨て去ったはずの伴敏子のアトリエに、再び現れるようになる。
不詳(畑)1930年代.jpg
道1947.jpg
中村忠二・伴敏子アトリエ1947.jpg
 このとき、中村忠二は「復帰という仮定の心組みの前で或る不定の期間を、お互いに現在の状態でいてみる。その期間で復帰することが最上のことかどうかが、はっきりして来るであろう。その上双方が復帰を肯定する時に、そのことを決める」などと、若い女弟子に舞い上がり家出して離婚した男の言い草とは思えないようなことを書いて、伴敏子に6ヶ条の要求を突きつけている。残された彼の覚書きを、同書より引用してみよう。
 一、お互いに過去の一切を放棄して触れない
 一、健康と仕事を第一義とし、それを愛情の上に置く
 一、落合、貫井の家は現在のまま仕事場として保有する
 一、相互の財物は復帰と同時に共用とする
 一、戸籍の復帰はどうでもよろしいが将来財物の関係もあるから適当と思われる時に復帰しておくべきである
 一、別々の家に於ける双方の素行については、お互いを信用し、その信用を裏切らないようにする 要はさらっとした明かるい愛情の上で仕事に専念し、お互いの未来について、一つの安心感を持って行こうということにつきる
 芸術家のあるタイプには、救いようのない底抜けの非常識で愚かな側面があるのは、ひとり中村忠二に限らない。「(戸籍を)復帰しておくべきである」「お互いを信用し、その信用を裏切らないようにする」とは、どの面(つら)下げて元妻に要求しているのだろうか? しかも、大雨で貫井のアトリエが水害に遭い、困った挙句に下落合の元妻のアトリエを頼って、避難してきた際に出した6ヶ条の要求らしい。
 おそらく、伴敏子が憤怒にあふれた怖ろしい顔をしたのだろう、中村忠二は彼女の誕生祝いと称して財布から1万円札を出すと、彼女(陽子=伴敏子)の手に握らせた。ちなみに、給与換算指標に照らし合わせると、当時の1万円は今日の約20万円に相当する。
  
 忠二は陽子の誕生祝と、復帰祝のための宴会費用として、一万円を彼女に手渡して、/「僕は細い鎖の首飾りが好きだから、そういうのを買いなさい」/と云った。/また落合に帰る土産として洗濯機を買ってやると忠二は云った。洗濯機は落ち着いたら、二人で秋葉原あたりに買いに出ようということになった。忠二は月の半ばを落合で暮すようになるので生活費として月々三千円を出すことにすると云った。/この三千円は、以後十七年に亘って再度貫井に引き籠る昭和四十九年まで続いたのであった。
  
 1973年(昭和48)暮れの忘年会で、中村忠二は元妻が激怒する取り返しのつかない失言をしたようで、伴敏子は「貫井に引き籠る」と表現しているが、ついに下落合のアトリエを永久に追放された。1975年(昭和50)2月28日、中村忠二は貫井のアトリエで倒れ、急性心不全のため死去している。77歳だった。
霜の花1951.jpg
中村忠二・伴敏子アトリエ1984.jpg
中村忠二・伴敏子1960年代.jpg 貫井アトリエ.jpg
 戦後間もない1949年(昭和24)3月、中村忠二・伴敏子アトリエから北北東へ直線距離で280mほどのところ、西落合1丁目3番地に住んでいた料治熊太Click!が、ふたりのアトリエを訪問している。中村忠二は、料治熊太が出版した谷中安規の版画集を見て、のちに代表作のひとつとなる詩画集の刊行を思いついているようだ。
 練馬区立美術館で今夏開催中の、「生誕120年 中村忠二展―オオイナルシュウネン―」は7月29日(日)まで。それでは、またお会いできる日を、楽しみに……。

◆写真上:1946年(昭和21)の降雪日、自宅を南側から描いた中村忠二『雪の我が家』。
◆写真中上は、中村忠二・伴敏子アトリエ跡の現状。は、中村忠二が描いたアトリエ素描。下左は、2018年(平成30)夏に開催された「生誕120年中村忠二展―オオイナルシュウネン―」図録。下右は、1955年(昭和30)の第14回水彩連盟展で撮影された伴敏子(手前)と中村忠二(中央奥)。
◆写真中下は、1930年代に制作された中村忠二『不詳(畑)』で落合西部に拡がっていた畑地風景の可能性がある。は、1947年(昭和22)に制作された中村忠二『道』で同様に落合地域を描いた可能性がある。は、1947年(昭和22)の空中写真にみる下落合4丁目2257番地の中村忠二・伴敏子アトリエ。
◆写真下は、1951年(昭和26)制作の中村忠二『霜の花』で下落合アトリエの庭先だろうか。は、1984年(昭和59)の空中写真にみる伴敏子アトリエ。伴敏子は1993年(平成5)に死去しているので、この撮影時はアトリエに「水彩連盟」の看板を掲げ画塾を開いていたはずだ。下左は、1960年代半ばごろに撮影された中村忠二と伴敏子。下右は、練馬区貫井にあった中村忠二の小さな平家アトリエ。
おまけ
 セミたちがこの暑さで、一斉に地中から出てきたようです。写真の幼虫は、大きさからミンミンゼミの幼虫のようですね。
ミンミンゼミ幼虫.JPG

読んだ!(29)  コメント(43) 

読んだ! 29

コメント 43

古田宙

「パール座」、本当に懐かしいですね。白鳥座がオ―プンする前にはしばしば参りました。洋画中心のプログラムでした。初めて観たドイツ映画『08/15』とかミュージカル映画『美わしのロザリンダ』が記憶に残ってます。後者はオペレッタ『こうもり』を下敷きに、連合国占領下のウィーンが舞台。バレリーナのリュドミラ・チェリーナや本職のソプラノ歌手ローテンベルガーも出演した華やかな映画でした。この映画、Videoで見られないのです、残念!
by 古田宙 (2018-07-16 07:50) 

NO14Ruggerman

取り返しのつかない失言の内容が気になります・・・
by NO14Ruggerman (2018-07-16 10:17) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>はじドラさん
by ChinchikoPapa (2018-07-16 13:31) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2018-07-16 13:36) 

ChinchikoPapa

わたしが学生だったころ、二条城のある堀川町の交差点から東へ2kmほど歩くと、JAZZスポット「大和屋」という店がありました。京都へ出かけると、ときどき立ち寄っていたのですが、いまも健在でしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2018-07-16 13:46) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2018-07-16 13:47) 

ChinchikoPapa

『Pitchin Can』というシェップのアルバムは、残念ながら未聴です。ヨーロッパ遠征のライプ録音だったでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2018-07-16 13:54) 

ChinchikoPapa

コケモモリキュールを味わってみたいですね。コケモモはすぐに傷むため、こちらではなかなか手に入りませんので、近くで売っていたらハックルベリーパイにして食べてみたいです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tarouさん
by ChinchikoPapa (2018-07-16 13:58) 

ChinchikoPapa

古田宙さん、コメントをありがとうございます。
ヨーロッパの古い名画も、上映していたんですね。わたしが観たのは、確か古いATG作品だったと思います。
早稲田松竹が、少し前に上映されたメジャーな作品の2本立てが多かったのに対し、高田馬場パール座は上映される機会の少ないめずらしい映画を上映して、両座で観客を棲み分けていたような雰囲気がありました。市場が限定されるパール座のほうは、徐々にお客が減って生き残れなかったものでしょうか。
by ChinchikoPapa (2018-07-16 14:09) 

ChinchikoPapa

NO14Ruggermanさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
中村忠二の年譜にも書かれている「失言」ですが、わたしもその中身までは、つかむことができませんでした。どこかで判明しましたら、この記事の「おまけ」として書きますね。w
by ChinchikoPapa (2018-07-16 14:12) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>ありささん
by ChinchikoPapa (2018-07-16 14:13) 

ChinchikoPapa

毎日、暑いですね。先週、東京湾の湾岸沿いに出かけたら、ミンミンゼミやアブラゼミに混じって、めずらしくクマゼミの鳴き声がしました。西日本から入港する船に張りついて、東京までやってきたものでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okina-01さん
by ChinchikoPapa (2018-07-16 14:24) 

ぐりこ

あ、月曜日のハッピーチャージですね!今日は海の日とかですが、この暑さではチャージが必要ですねぇ。「おまけ」有難うございました。(ぐりこ的には、おまけは、あの警視庁の牛乳ポスターそっくりのキャラメルのように、必ず付くものなんですけど。またの日も「おまけ」をよろしく。それから、たいへんなメンテの作業のようですけど、チャージを忘れず乗り越えて下さいね。)
by ぐりこ (2018-07-16 16:57) 

ChinchikoPapa

ぐりこさん、わざわざコメントをありがとうございます。
「またの日」が見えませんので、とりあえず今日の「おまけ」を記事末に掲載しました。w この暑さで、地中にいたセミの幼虫がいっせいに地上へ出てきたようです。
緑色が透けてみえるので、幼虫のサイズからミンミンゼミだとは思うのですが、アブラゼミも羽化前は緑色ですので確定はできません。近くの公園にて。
ぐりこさんが虫嫌いでしたら、すみません。(爆!)
by ChinchikoPapa (2018-07-16 17:08) 

ChinchikoPapa

この暑さでは、被災地の衛生が心配ですね。人手が足りないという現場の声がきょうも聞こえてきますが、手伝えないわたしは昨日、義援金を送りました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2018-07-16 17:13) 

ChinchikoPapa

わたしが食べていた給食には、残念ながら「揚げパン」はなくて「コッペパン」のみでした。少し下の方には、給食の揚げパンは懐かしい思い出のようですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazukazuさん
by ChinchikoPapa (2018-07-16 17:17) 

ChinchikoPapa

広島の酒は、おそらく一度も飲んだことがないです。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2018-07-16 19:01) 

ChinchikoPapa

こう暑いと燗酒ではなく、冷蔵庫でよ~く冷やした吟醸酒とかを飲みたくなりますね。30℃を超えたら、「花冷え」ではなく「雪冷え」晩酌でしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2018-07-16 21:07) 

ikkyu

初めてコメントを致します.50年近く前,正確には戸塚ですが,下落合駅の近くに住んでおり,通った幼稚園も落合にありました.家の事情で突然転居せざるを得ず,心が残ったまま遠方に移り現在に至ります.このブログを知ってから,全ての記事をとても楽しく読ませていただきました.読んでいると子供の頃の心の空白が埋まっていくだけでなく,心が豊かになるような気が致します.これまでの膨大な執筆活動に敬意を表すると共に,楽しい記事の数々に御礼を申し上げたいと思います.再開後の記事を楽しみにお待ちしております.
by ikkyu (2018-07-16 22:06) 

ChinchikoPapa

ikkyuさん、ごていねいなコメントをありがとうございます。
仕事をしながらの調べものや書きものですので、あまり深くたどることができず、底の浅い記事が多いかと思います。仕事さえなければなどと、けしからぬことを考えては書いてきましたが、少しはお楽しみいただけたかと思うと嬉しい限りです。
14年間の習慣というのは怖ろしいもので、落合地域のエピソードや人物の匂いがすると、すぐに資料探しをしている自分に苦笑しています。早くメンテナンスを始めませんと、もともと遊び好きで怠惰なわたしのことですから、いつまでも放り出していそうで、これではいけないと自戒を込めながら、このお返事を書いています。^^;
またいつか再開しましたら、どうぞよろしくお願いいたします。
by ChinchikoPapa (2018-07-16 23:24) 

ChinchikoPapa

うちでも、玄関先で育てていたプチトマトを収穫して、きょう初めて食べました。上の子が裏庭に小さな畑を作りましたので、なにが収穫できるのか楽しみです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>水郷楽人さん
by ChinchikoPapa (2018-07-16 23:26) 

ChinchikoPapa

ドアとか扉に付けられた、クリスタル製の取っ手に惹かれます。手に独特な感触があって、なんとなく夢がありますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>soramoyouさん
by ChinchikoPapa (2018-07-17 00:24) 

ChinchikoPapa

お土産に「Miyuki-kan」のモンブランをいただいたことがあって、かなり美味しかったのを憶えています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2018-07-17 10:01) 

ChinchikoPapa

東京湾の海岸沿いで、初めてクマゼミの鳴き声を聞きました。西日本から船に付いて、こちらまで運ばれてくるのでしょうか。横浜の湾岸地域ではどうなのでしょう。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2018-07-17 13:46) 

ChinchikoPapa

酷暑のこの夏は、しばらくどこかへ逃げ出したいです。少なくとも、28℃を超えないところで過ごしたいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2018-07-18 22:24) 

ChinchikoPapa

武智豊子は、強く印象に残っています。「そういえば、あの人最近見ないよね」という俳優のひとりでしたが、1985年に亡くなっていたんですね。芸者の彼女は記憶にありませんが、たとえばいい雰囲気のバーに入ると武智豊子のママが出てきて、「うわっ、出た!」というようなシーンは何度か見ましたねえ。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2018-07-19 09:52) 

ChinchikoPapa

今年の相模湾は、黒潮の流れが変形しているせいか、青身のアジ・サバ類が不漁でシラスばかり獲れると漁師がこぼしていました。昔は二束三文のシラスが、いまはそれなりの値段で売れるので、それほど深刻な事態ではないようです。わたしが子どものころなら、漁師たちは出稼ぎしなければならない不漁年かもしれないですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2018-07-19 09:59) 

ChinchikoPapa

不忍池では、そろそろハスの花が見ごろになっているでしょうね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>(。・_・。)2kさん
by ChinchikoPapa (2018-07-20 09:44) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>Ujiki.oOさん
by ChinchikoPapa (2018-07-20 19:42) 

ChinchikoPapa

きょうの昼食は焼きそばでしたが、スタンダードなソース味にしました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>マルコメさん
by ChinchikoPapa (2018-07-21 15:59) 

ChinchikoPapa

家の中で部屋の引っ越しを考えているのですが、なかなか棄てられない、整理できないものが多くて困ります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2018-07-22 18:01) 

アヨアン・イゴカー

>「(戸籍を)復帰しておくべきである」「お互いを信用し、その信用を裏切らないようにする」とは、どの面(つら)下げて元妻に要求しているのだろうか?

明治生まれ、大正生まれの男の中には、今の感覚では理解しがたい男尊女卑、嫡男優遇などの価値観を持っている人がいると思います。そういう教育を受けて育って、その教育、考え方に疑問を持たなかった人々だろうと。
by アヨアン・イゴカー (2018-07-24 16:56) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
当時の教育の影響も、かなり大きそうですね。あと、伴敏子が江戸期からつづく家庭で育った女性(江戸東京人)に対し、中村忠二は関西(兵庫県)の生まれですので、家庭環境や生活観、習慣、風俗、ひいては社会観や広い意味での文化が、ことごとく噛み合わなかったような感触が、伴敏子の自伝小説『黒点』からは読みとれます。
佐伯祐三・米子夫妻のように、どこか凸凹コンビのような感覚で、なんとなくうまくいくケースもありそうですが、中村忠二と伴敏子はそもそも結婚するというスタート地点からして、ボタンのかけちがいをしているような印象がありますね。
by ChinchikoPapa (2018-07-24 19:38) 

ChinchikoPapa

プレゼントでいただいたMacノートは、わたしのデスク横に置いてあるのですが、たいへん勿体ないことに箱に入ったままです。シンクライアントとして割り切り、ブラウザだけで運用……という方法もありますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2018-07-30 12:13) 

pinkich

いつも楽しみに拝見しております。こちらのサイトは、落合地域の歴史文化史にとどまらないのが最大の魅力だと思います。佐伯祐三の落合風景の描画ポイントや近代洋画の大家の裏話など大変おもしろく参考になります。pa paさんの造詣の深さとある種の執念には敬服しております。サイトの再開を心待ちにしております。
by pinkich (2018-07-30 21:56) 

ChinchikoPapa

pinkichさん、ごていねいにコメントをありがとうございます。
毎日、少しずつ修正作業をしているのですが、ようやく目白文化村ポータルのpathを、すべて書き換えました。次は、いちばん厄介な「わたしの落合町誌」ポータルですが、気長かつ地道に修正作業していきたいと思います。
今朝早起きして、ご教示いただきました中村彝『林泉園風景』の描画ポイントに立ち寄り、写真を撮ってきました。いつか、記事に書きたいと思っています。ありがとうございました。
by ChinchikoPapa (2018-07-31 10:58) 

Marigreen

嗚呼、私が母の介護でウロチョロしている間に、メンテナンスとか。
必ず蘇って下さいね。
私思うに、このブログで、自分の興味のあることは、再読して味わっていましたが、自分の関心のないテーマはざぁーっと目を通しているだけでした。それなのに皆さんすべての記事をじっくり読んで楽しんでいるようで、私って頭が悪いのだろうか?苦手な記事も少なからずあって、皆さんは、優秀です(私が劣悪なだけか?)。
by Marigreen (2018-08-03 16:55) 

ChinchikoPapa

Marigreenさん、こちらにもコメントをありがとうございます。
あくまでも、記事のテーマはわたしの趣味嗜好で選んでいますので、興味がおありにならない記事はどうぞ、どんどん読み飛ばしてください。落合地域にお住まいの方は、けっこうていねいに読んでいただいている方もいらっしゃるかもしれませんが、そうでない他地域の方には別に面白くない記事も多いかと思います。
いちいち読まれていては、時間がもったいないですので、どうぞご興味のある部分だけ、あるいは目についたもののみ読んでいただくだけでも幸いです。w
by ChinchikoPapa (2018-08-03 18:17) 

Ujiki.oO

So-netブログ在籍中はお世話になりました。
So-netプロバイダーの解約によって、7月末にSo-netブログは削除されました。
コメントを戴いたことを感謝して、
「 So-netブログ 転出 Movabletype 」の3ワードで Google検索しますと、わたしの fc2 や WP の記事がトップページに表示され、So-netプロバイダーをキャンセルする前に So-netブログを転出させる方法を解説しております。
色々とありがとうございました。
by Ujiki.oO (2018-08-08 05:01) 

ChinchikoPapa

Ujiki.oOさん、コメントをありがとうございます。
ごていねいに、ありがとうございます。FC2ブログへ移行されたのですね。わたしもバックアップは頭の痛い課題ですが、プロバイダ契約の解約と同時にブログまで消されるのは問題ですね。もし、本人が亡くなった場合、たいがいは遺族が解約するでしょうから、それと同時に消滅してしまうことになります。むしろ逆に、最初から無料で利用しているフリーサービスのブログのほうが残る……ということになるでしょうか。
by ChinchikoPapa (2018-08-08 10:07) 

ChinchikoPapa

台風でも来ないと、気温がなかなか下がらないのは悩ましい夏ですね。酷暑と災害がセットになったような、今年の夏です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>芝浦鉄親父さん
by ChinchikoPapa (2018-08-08 18:47) 

ChinchikoPapa

西穂高から穂高は上ったことがありますが、上高地側へは降りなかったですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2018-08-12 21:08) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2018-08-16 20:18) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。