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聖母病院が敵国人抑留所になるまで。 [気になる下落合]

聖母病院19450828.jpg
 6年ほど前、敵国外国人(敵性外国人)の抑留所として使われた、国際聖母病院Click!について書いたことがある。米軍は、聖母病院を敵国民間人の抑留所として認知しておらず、敗戦直前に同病院へ向けP51とみられる戦爆機が250キロ爆弾を投下Click!している経緯や、日本の敗戦とともに同病院の屋上には「PW(Prisoners of War)」と書かれたシートが敷かれ、米軍機から救援物資の投下Click!が行われた経緯もご紹介した。
 聖母病院に収容されていたのは、警視庁が管轄する日本に住んでいた敵国(敵性)の民間人であり、前線の戦闘で捕虜になった敵軍の将兵ではない。捕虜は敵国民間人とは別に、陸軍の管轄である専用の捕虜収容所に入れられていた。東京では、大森海岸沿いの埋め立て地に大森捕虜収容所が建造されている。
 以前の記事では、1945年(昭和20)の敗戦が近づくとともに食糧事情が急速に悪化し、ついには1日に蕎麦1斤(600g)しか支給されなくなってしまった経緯を、国立公文書館に保存されている当時のスイス公使館の改善要望書を引用して書いた。おそらく抑留者は飢餓状態で、栄養失調にかかっていたと思うのだが、幸運にも聖母病院ではなんとか死者が出ていない。公文書では、聖母病院の抑留者は36名とされているが、日米開戦の初期から地下へ潜行して同病院に隠れ住んでいた、目白福音教会Click!のクレイマー牧師を入れれば、実質37名が抑留されていたことになる。
オジロ様より、貴重な資料をお送りいただいた。文中に登場しているクレイマー宣教師(女性)は、開戦後に帰国を拒否して「聖母病院に隠れ住んだ」というのは、地元の誤伝である可能性がきわめて高くなった。お送りいただいた敬和学園大学「人文社会科学研究所年報」No.15(2017年)所収の同校学長・山田耕太『太田俊雄とロイス・クレーマー』によれば、彼女は国内の収容所を転々としたあと関口の小神学校に収容され、1945年5月25日夜半の空襲で罹災したのち、民間女性や修道女ら36名とともに聖母病院に収容されたとある。つまり、空襲で焼けた小神学校から聖母病院に移送された敵国外国人は、クレイマー宣教師を含めて36名ということになる。
 聖母病院の抑留者から、食糧難による死者が出なかったのは、本来が病院施設とはいえ非常に幸運なケースだ。全国に設置された抑留所では、多いところで抑留者の10~18%が死亡している。たとえば、明治期から横浜に在住していた欧米民間人を収容した、秋田県の舘合抑留所では18%、神奈川第一抑留所では11%の抑留者が、戦争の終結を見ずに死亡している。最悪だったのはアッツ島にいた米国民間人の抑留所で、実に44%と収容者の半数近くが死亡した。これはジュネーブ条約に加盟していなかった、ソ連によるシベリア抑留者(基本的に日本軍捕虜)の平均10%前後の死亡率よりも高い。
 外務省では、ジュネーブ条約違反に問われるのを怖れたのか、早くから『外事月報』(1942年11月)で抑留者の間に「最近健康異常者の兆しあり」と警鐘を鳴らしていたが、戦争も末期になると、満足に支給する食糧がないため(ジュネーブ条約では抑留した敵国民間人には、1日パン600gの支給が義務づけられていた)、外国人の食べなれない日本の“代用食”が増え、しかも支給量も減りつづけて、慢性的なカロリー不足による栄養失調者が激増していくことになった。これは、日本の米軍人捕虜収容所ではさらに過酷な状況となり、全収容者の37%を超える死者が生じるまでに悪化している。
 だが、戦線が拡大するにつれ、抑留者は増えつづけていくことになる。戦地に住んでいた民間人の多くも日本へ強制連行されて抑留され、また外国の病院船を拿捕したために抑留しなければならない敵国人が急増し、さらにイタリアが降伏して臨時政府が日本に宣戦布告すると、日本国内にいたすべてのイタリア人たちも敵国人となって抑留され、しまいにはドイツ人全員も強制的に抑留しなければならなくなるという、混乱をきわめた状況だった。
 抑留所での敵国人の死因を見ると、慢性的な栄養失調で腹がせり出し、下痢がつづいて死亡する文字どおりの餓死をはじめ、栄養不足で免疫力が低下したため各種病気の罹患による病死、同様に栄養疾患がつづき持病の悪化による病死などがもっとも多い。詳細は、2009年(平成21)に吉川弘文館から出版された、小宮まゆみ『敵国人抑留―戦時下の外国民間人―』に詳しい。
 また、もうひとつの重大な問題として、戦争末期になるにしたがい国際赤十字社からとどけられる援助物資(食料品など)が、抑留者へほとんど渡らなくなるという事態を招いている。もちろん、敵国人抑留所を管理・監視していた警察が、援助物資の多くを横領・着服・隠匿してしまうからで、福島抑留所と神奈川第一抑留所では戦後に告発された特高刑事や警察官たちが、抑留者の餓死を招いた虐待の罪で裁判にかけられている。
公文書1.jpg
公文書2.jpg
関口小神学校.jpg
 さて、抑留者たちが聖母病院(1943年より「国際」を外された)へ収容される詳細な経緯が判明したので、改めてこちらでご紹介したい。聖母病院は、当初から敵国人の抑留所として予定されていたわけではない。1945年(昭和20)5月25日夜半に行われた第2次山手空襲Click!で、それまでの収容先だった小石川区関口町の天主公教会(現・カトリック東京カテドラル関口教会)の敷地内にあった小神学校が焼失し、抑留者56名の収容先がなくなってしまったのだ。56名の内訳は、日本に滞在していた女性宣教師や修道女に加え、新たに抑留されたドイツ人18名を含む欧米人たちだった。
 抑留所の焼失にともない、おそらく問い合わせがあったのだろう、外務省は在京の瑞西国(スイス)公使館と瑞典(スウェーデン)公使館あてに、関口小神学校の被爆と抑留者の被害についての報告書を送付している。以下、公文書館に残る1945年(昭和20)6月4日に起草された、「警視庁抑留所罹災ニ関スル件」から引用してみよう。
  
 警視庁抑留所罹災ニ関スル件
 帝国外務省ハ在京瑞西国(瑞典国)公使館ニ対シ去五月二十五日夜半ヨリ二十六日ニ亘ル夜間ノ敵機東京無差別爆撃ノ為、警視庁抑留所(関口)ハ二十六日午前二時頃全焼セル為、右罹災ニ当リテハ内務省及警視庁係官ハ直ニ現場ニ趣キ機宜ノ措置ヲ講シタル結果、同所抑留者全員無事ニシテ不取敢之ヲ聖母病院ニ収容セル旨、並ニ同抑留所移転ノ目的ヲ以テ適当場所ノ早急物色方手配中ナル旨、通報スルノ光栄ヲ有ス。(中略)
 一、関口抑留所ハ五月二十五日ヨリ二十六日ニ亘ル夜間敵襲ニ依リ二十六日払暁焼失セル処、幸ニシテ抑留者ニハ何等事故ナク全員無事ナリ。同所尼僧等三十六名ハ不取敢聖母病院ニ、又独逸人抑留者十八名ハ日本女子大雨天体操場ニ仮収容中ナリ。(後略)
  
関口教会・修道院19450517.jpg
公文書3.jpg
聖母病院チャペル.JPG
 とりあえず、キリスト教関係の欧米女性たち36人は下落合の聖母病院へ、また新たに収容されたドイツ人たち18人は、近くの日本女子大学体育館に仮収容されているのがわかる。外務省では、本格的な収容所を警視庁とともに探すとしているが、すでに東京の市街地はほとんど焦土と化しており、彼女たちには聖母病院と日本女子大が最終的な抑留所となった。
 また、スイスとスウェーデンの公使館あて報告書には、急に敵国人となってしまった在日イタリア人の抑留者移転について、事前に両国から問い合わせがあったのだろう、移転計画の「実現ノ可能性ナシト察セラル」と回答している。外務省にしてみれば、日々東京のどこかが爆撃される状況で、同盟国だったはずのイタリア人やドイツ人の抑留者たちの面倒まで、とてもみちゃいられない……というのが本音だったろう。
 この報告書につづき、スイスの公使館員が聖母病院を視察し、同年6月25日に「聖母病院抑留者ニ対スル食料品供給善処方ニ関スル件」の要望書が、スイス公使館から正式に外務省へ提出されることになる。これに対して、外務省から内務省警保局長あてに、「至急改善」の要望書が発送されたのは以前の記事でも書いたとおりだ。だが、書類にスタンプがわりの「急」が挿入されているにもかかわらず、スイス公使館の要望書から23日後の7月18日になって、ようやく文書が起草されているのを見ても、当時の行政機関の混乱ぶりや戦災による処理遅延が透けて見える。
  
 聖母病院ニ収容中ノ抑留者ノ給食改善方ニ関スル件(急)
 聖母病院ニ収容セラレ居ル警視庁抑留所抑留者ハ蕎麦一斤(引用註:600g)ノミニシテ、全然他ノ食物ヲ給与セラレザル趣ヲ以テ右至急改善方、今般在京邦瑞西国公使館ヨリ別紙仮訳ノ通申出タリ、就テハ同病院実情御取調ノ上、右果シテ事実ナリトセバ敵側ニ悪宣伝ノ材料ヲ与フル虞(おそれ)モ有之、至急少クトモ最低限度ノ給食ヲ与フル様御配慮相成、結果何等ノ儀御回示相煩度。(カッコ内引用者註)
  
公文書4.jpg
福島抑留所.jpg
公文書5.jpg 小宮まゆみ「敵国人抑留」2009.jpg
 1日に蕎麦600gでは、誰でも栄養失調になるだろう。前掲の小宮まゆみ『敵国人抑留―戦時下の外国民間人―』によれば、前年1944年(昭和19)1月~3月期の赤十字国際委員会抑留所視察報告書でさえ、すでに食糧の配給不足が全国の抑留所で発生している。戦後にまとめられた、外務省の「抑留者関係」報告書の目次には、各地の抑留所で死亡した米国人やイギリス人、カナダ人、オーストラリア人などの後始末に関する報告が目につく。

◆写真上:米軍が採用しているZulu time=GMTで1945年(昭和20)8月28日に救援機から撮影された、屋上に「PW」の文字が入るシートを拡げた下落合の聖母病院。
◆写真中上は、公文書館保存の外務省「警視庁抑留所罹災ニ関スル件」全文。は、1945年5月25日夜半の第2次山手空襲で全焼した天主公教会の小神学校。
◆写真中下は、空襲で焼失直前の1945年(昭和20)5月17日に撮影された天主公教会(関口教会)。は、外務省の同年6月19日付け「聖母病院抑留者ニ対スル食料品供給善処方ニ関スル件」。は、国際聖母病院のリニューアルで解体された戦後のチャペル。
◆写真下は、外務省がまとめた「抑留者関係」書類の目次。は、敗戦間もない時期に米軍の救援機から撮影された福島抑留所。下左は、公文書館に保管されている外務省「聖母病院抑留者ニ対スル食料品供給善処方ニ関スル件」の表紙。下右は、2009年(平成21)に出版された小宮まゆみ『敵国人抑留―戦時下の外国民間人―』(吉川弘文館)。

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ChinchikoPapa

わたしの笑い感覚も、藤山寛美の松竹新喜劇は笑えたのですが、吉本新喜劇はどこが面白いのかわかりません。「笑い」という感情の文化が、おそらくちがうのでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2018-06-25 10:16) 

ChinchikoPapa

街々を散歩すると、樹々の葉が新緑から、すっかり深緑に変わっていますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2018-06-25 10:18) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございます。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2018-06-25 10:20) 

ChinchikoPapa

芦ノ湖の海賊船は、いまだ就航しているんですね。子どものころ何度か乗りましたが、いまはワンピース人気でしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2018-06-25 10:22) 

ChinchikoPapa

A.アイラーを2枚聴きとおすのは、ちょっと辛いものがありますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2018-06-25 10:25) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2018-06-25 10:25) 

ChinchikoPapa

竹下通りの近くに、浮世絵の太田記念美術館があるのでたまに通るのですが、毎回ちょっと辛いものがありますね。かといって、早朝に出かけても美術館は閉っていますし……。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2018-06-25 10:31) 

ChinchikoPapa

まだエアコンを点けずに頑張っていますが、きょうはこちらも真夏日です。いまだ梅雨なのに、こちらでもキノコを見かけますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okina-01さん
by ChinchikoPapa (2018-06-25 13:56) 

ChinchikoPapa

太平酒造さんは通販などでも目につきますが、いまだ味わったことがありません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2018-06-25 21:42) 

ChinchikoPapa

いまさらながらのSSL対応で、外部サイトとの連携がズタズタですね。ちょっと、細かい検証をするメンテナンスを考えています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2018-06-25 23:33) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2018-06-28 10:42) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2018-06-28 10:44) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2018-06-29 00:26) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2018-06-30 11:28) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2018-06-30 21:17) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2018-07-01 16:21) 

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