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わたしの実家が燃えている。 [気になる下落合]

空中写真F13とB29.jpg
 米国の公文書館で保管・公開されている、日本に対する空襲の記録写真あるいは空襲前の偵察写真を調査し、それらの貴重な画像類を日本の研究者へ提供している組織がある。わたしも、拙サイトでは各時代にまたがる空中写真Click!のデータやプリントで、いつもお世話になっている国土地理院所管の(財)日本地図センターだ。同センターが、2015年(平成27)にまとめて発行した戦争資料に、『1945・昭和20年米軍に撮影された日本―空中写真に遺された戦争と空襲の証言―』(日本地図センター)がある。
 同資料は、マリアナ諸島のサイパン島やテニアン島が陥落すると同時に、米軍がB29による日本本土爆撃に備えて組織した空中写真部隊の任務内容や、その成果物の一部をまとめて紹介したものだ。空中写真部隊とは、戦後のGHQ占領下に新宿伊勢丹Click!の3階以上を接収して本部が置かれ、焦土と化した日本全土をくまなく撮影してまわった部隊と同一のものだ。同部隊の初任務は、1944年(昭和19)11月1日に陸軍航空隊の立川基地を撮影したものだが、このとき陸軍は19機の迎撃戦闘機を出撃させた。だが、高高度を飛行する偵察機にまったく接近できず、そのままなすすべもなく立川基地へ帰投している。
 この撮影飛行で使用された偵察機は、空中写真撮影のためだけにB29を改造し、多彩なカメラ類や膨大なフィルムを搭載した写真偵察機F13と呼ばれる機体だった。F13は、垂直写真Click!を撮影するK18カメラ(約600ミリ)とK22カメラ(約1,000ミリ)、角度30度で斜めフカン写真を撮影するトライメトロゴンカメラ(約150ミリ)など、3種類の撮影機を計6台も搭載していた。また、夜間撮影時には照明弾と同期させてシャッターが切れる、K19カメラ(約300ミリ)も装備することができた。これらの撮影用機材を積載するため、F13は爆弾をまったく搭載せず、後部の爆弾倉には航続距離を伸ばすため燃料タンクが積まれていた。
 日本本土を撮影した空中写真部隊は、「第3写真偵察戦隊(3PRS)」と呼ばれ、B29の爆撃部隊からは組織的に独立して行動している。高度9,000~10,000mで日本本土に飛来し、高射砲による対空砲火や迎撃戦闘機がまったくとどかない高度なので、上空から縦横無尽に地表を撮影してまわった。日本本土へ向け、偵察写真撮影に出動したF13偵察機はのべ450機にものぼり、撮影の成功(有効)率は71.6%、無効率は17.5%、不成功(失敗)率は10.9%と記録されている。
 撮影無効とは、撮影目標の位置がつかめずに帰投したか、撮影はしたが目標が異なっていたか、あるいは理想的な解像度を得られず目標が不鮮明だったケースだろう。また、撮影失敗は目標上空の天候に問題があって撮影できなかったか、撮影機材ないしはF13機体のトラブルだと思われる。空中写真部隊は当初、サイパン島から出撃していたが、グアム島が陥落するとただちに本部をグアムへと移転している。
 F13が写真偵察に1回出撃すると、幅9インチ(22.86cm)で長さ6,000フィート(約1.8km)のフィルムが撮影で消費され、それを現像するためには大量の水を必要とした。グアム島の米軍基地では、2基の大型給水タンクに井戸水をくみ上げて、兵士たちの生活用とラボの現像用に使用していたが、F13の機数が増え日本本土への偵察が頻繁になるにつれ、現像・プリント用の水が不足するようになった。そこで、兵士たちの真水によるシャワーは禁止され、タンクの水は優先的に現像用水へとまわされている。
 戦争末期の1945年(昭和20)7月には、ついにグアム島の水不足は危機的な状況となり、現像やプリントの作業がストップするまでに悪化している。空中写真部隊による同時期までの成果は、偵察写真のプリントが合計231,324枚、撮影したネガの現像は179,774枚に達している。これだけ膨大な量の現像・プリント作業を行えば、専用の設備を備えた写真工場でも建設しない限り、水がいくらあっても足りなかっただろう。
偵察機F-13.jpg
F13湘南上空.jpg
F13八王子上空.jpg
F13東京上空.jpg
 さて、空中写真部隊による偵察任務は、攻撃目標を事前に撮影して爆撃部隊に詳細な情報を提供するだけが任務ではない。戦後になって、同部隊が焦土化した日本全土をくまなく撮影しているように、爆撃後の効果測定用に攻撃した地域の空中写真を撮影するのも重要な任務だった。1945年(昭和20)3月9日の夕方17時35分(Zulu time=GMT)に、F13の偵察戦隊がグアム島を離陸して北北西に進路をとっている。そして、21時35分(同)には真北へと進路を変え、翌3月10日の午前1時17分(同)に伊豆半島上空へとさしかかった。そして、相模湾を北東方向に横断しながら、トライメトロゴンカメラで斜めフカンの写真を撮影しはじめている。
 湘南上空から撮影しはじめたのは、その位置からでも目標がハッキリと視認できたからだ。千代田城をはさみ東京の東半分が、3月の強い北西風にあおられて燃えている。八王子方面から侵入したF13偵察機は、1時30分(同)ごろに東京上空に到達した。日本時間に直すと、1945年(昭和20)3月10日の午前10時30分ごろで、東京大空襲Click!の翌朝だ。東京上空に雲はほとんどなく晴れ上がっており、F13偵察機は北西側から南南東へとカーブを描きながら飛行して、大火災が発生し焼け野原が拡がる東京の中心部を撮影している。そして、1時50分(日本時間10時50分)には房総半島沖へと抜け、そのままグアム島へと帰投している。
 東京上空から撮影した写真を見ると、いまだに東京各地で空襲による火災が燃えさかっている様子がとらえられている。大川(隅田川)西岸の日本橋では、岩本町や小伝馬町、馬喰町、東日本橋(日本橋両国)、浜町あたりに大火災が見える。また、日本橋川の向こう(南側)に見える新川一帯も延焼中で、火災は銀座や八丁堀をなめつくしたあとだ。大川の東岸、本所や深川界隈にも延焼はあちこちで見られるが、すでにほとんどのエリアが全滅の状態だ。たった一夜の東京市街地への絨毯爆撃で、死者・行方不明者10万人以上にのぼった東京大空襲Click!の惨禍が、まさに当日朝の風景として眼下に拡がっている。
復興記念写真.jpg
F13実家上空1.jpg
F13実家上空2.jpg
F13実家上空3.jpg
 両国橋の西詰め一帯、わたしの実家があった東日本橋(日本橋両国)あたりは、濃い煙に覆われているのが見てとれる。燃えているのは、千代田小学校Click!(現・日本橋中学校)や明治座Click!浜町公園Click!の周辺一帯だ。おそらく、この空中写真が撮影される何時間か前に、わたしの実家はとうに延焼Click!しているのだろう。親父をはじめ家族たちが、まさにこの惨禍の暗闇の中をリアルタイムで人形町から日本橋川方面へと逃げまわっていたことを考えと、よく助かったものだと不思議な気分になる。わたしが、よくここに存在しているものだと……。
 この時期、千代田城をはさみ落合地域を含む東京の西北部は、一部で散発的な空襲Click!は行われていたものの、いまだ深刻な被害Click!をほとんど受けていない。だが、F13偵察機による精密な空中写真はすでに撮影されており、同年4月13日夜半の鉄道や幹線道路、軍事施設、河川沿いの大小工場をねらった第1次山手空襲Click!、そして5月25日夜半を中心とした住宅街への絨毯爆撃による第2次山手空襲Click!で、ほぼ壊滅的な被害を受けることになる。その際も、F13偵察機は空襲直前の空中写真と、爆撃効果測定用に空襲直後の写真撮影を行っている。
 わたしがここの記事でよく引用しているのは、F13偵察機が落合地域とその周辺域を撮影した1945年(昭和20)4月2日、つまり第1次山手空襲の11日前の空中写真と、同年5月17日に撮影された第2次山手空襲の8日前の偵察写真だ。これらの空中写真は、日本地図センターが作成・公開しているF13偵察機の飛行コースを整理した標定図をもとに、撮影ポイント記号を特定して入手したものだが、米国の公文書館にはまだまだ未見の貴重な写真類が保存されている可能性が高い。
 同資料内でもテーマとして指摘されているように、米軍の空襲による日本全土におよぶ被害を正確に把握するためには(たとえば被害地域の特定や戦災地図の制作ひとつとってみても)、米国の国立公文書館に眠っているこれらの空中写真を検索し、その分析・解析を通じて活用していくのは不可欠な課題だろう。
F13下落合上空1.jpg
F13下落合上空2.jpg
1945・昭和20年米軍に撮影された日本2015.jpg 米国公文書館.jpg
 日本地図センターでは、これまで少しずつF13偵察機による戦時中の空中写真を公開してきているが、同偵察機の詳細な標定図をもとに撮影場所をピンポイントで特定して、空中写真のプリントやデータを申し込むのは、多少のスキルを必要とする面倒な作業だ。ぜひ、Webサイト上で空襲下に撮影されたこれらの空中写真が、すばやく効率的に参照・ダウンロード(有料でも)できる仕組みづくりを考慮していただければと願う。

◆写真上:日本上空を飛ぶF13偵察機の下を、たまたま通過して撮影されたB29爆撃機。
◆写真中上は、B29を専用の写真撮影偵察機として改造したF13偵察機。は、1945年(昭和20)3月10日午前10時10分ごろの湘南上空(上)と、10時20分すぎに撮影された八王子上空(下)。は、10時35分ごろに撮影された炎上する東京市街地。
◆写真中下は、昭和初期の震災復興記念絵葉書(人着写真)にみる両国橋近くの日本橋地域。は、炎上中または延焼直後の実家を含む東日本橋一帯。
◆写真下は、3月10日午前の偵察写真にとらえられた落合地域と周辺域。下左は、2015年(平成27)に日本地図センターから刊行された『1945・昭和20年 米軍に撮影された日本』。下右は、米国のワシントンにある国立公文書館本館。

読んだ!(23)  コメント(27) 
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読んだ! 23

コメント 27

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>はじドラさん
by ChinchikoPapa (2017-12-06 09:46) 

ChinchikoPapa

軽快で明るく、ウキウキした気分のときに聴きたいアルバムですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2017-12-06 09:50) 

ChinchikoPapa

演歌でいいますと、ちょうど同じころに映画化された『北の宿から』が記憶に残っています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2017-12-06 09:55) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2017-12-06 09:56) 

ChinchikoPapa

武蔵野の自然を活かした殿ケ谷戸庭園は、都内でも好きな公園のひとつですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2017-12-06 10:00) 

ChinchikoPapa

ブログタイトルの「JIJIの徒然」、とても響きがいいですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2017-12-06 10:08) 

ChinchikoPapa

どうも温かい酒というのが苦手なようで、日本酒もそのまま冷やでいただくことが多いです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2017-12-06 17:08) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2017-12-06 19:56) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>おぐけんさん
by ChinchikoPapa (2017-12-06 19:57) 

ChinchikoPapa

ほとんど焼酎は飲まないのですが、こういろいろとご紹介された銘柄を拝見してますと、つい味わいたくなってしまいます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2017-12-06 21:56) 

アヨアン・イゴカー

大変貴重な、重要な写真、興味深く拝見しました。こういう資料があると、視点、角度を変えると新たな事実の発見、検証につながるだろうと思いました。
by アヨアン・イゴカー (2017-12-06 23:08) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
これまで、混乱の中での不正確な、あるいは遠い記憶の中からの証言で曖昧だった出来事が、これらの正確なタイムスタンプが押された写真類で、おそらく相当明らかになるのではないかと思います。そういう意味で、よりすばやく効率的に写真類へアクセスできる仕組みづくりが大切だと思いますね。
by ChinchikoPapa (2017-12-06 23:31) 

ChinchikoPapa

冬の澄んだ空気だと、横浜港の汽笛がずいぶん遠くまで聞こえますね。カフェになった下見板張りの洋館で、汽笛を聞きながらのコーヒーは、よけいに美味しく感じます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>(。・_・。)2kさん
by ChinchikoPapa (2017-12-07 00:28) 

ChinchikoPapa

「日本国憲法」が押しつけられた憲法だというなら、明治期からあまり変わらないプロイセン刑法をそのまま翻訳したような「刑法」や、ボアソナード民法引き写しの「民法」はどうなるんでしょうかね。少なくとも、日本の多数の学者たちが主体的に関わった憲法は、より日本の法典らしい姿をしていると思うのですが…。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2017-12-07 10:14) 

kiyokiyo

ChinchikoPapaさん
こんにちは!^^
コメント有難うございます。
ChinchikoPapaさんは冷酒なんですね。
以前、鬼平犯科帳を観ていましたら、平蔵が酒は冷に限る!って言っていましたよ^^
通の方はそうなのかもしれませんね。
酒本来の味を楽しめますからね!^^
by kiyokiyo (2017-12-07 15:01) 

ChinchikoPapa

kiyokiyoさん、コメントをありがとうございます。^^
もともと、冬でもアイスコーヒーや冷えたものを飲むことがありますので、冷たい飲み物が性に合ってるんでしょうね。ふだんは日本酒より、ウィスキーをロックでいただいています。ただ、ご紹介されている熱燗の写真などを拝見しますと、雪が降った日などはちょっと惹かれますね。w
by ChinchikoPapa (2017-12-07 15:07) 

ChinchikoPapa

慈照寺(銀閣)にもありますが、上賀茂神社の立砂も印象的でした。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2017-12-07 19:48) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>はなみちさん
by ChinchikoPapa (2017-12-07 22:18) 

ChinchikoPapa

Google Homeには、ちょっと惹かれますね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>たかおじーさん
by ChinchikoPapa (2017-12-07 23:33) 

ChinchikoPapa

今年の晩秋は、急激に気温が下がる日が多くて、街中の紅葉がとても鮮やかですね。歩いていると、目を奪われます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>soramoyouさん
by ChinchikoPapa (2017-12-07 23:35) 

ChinchikoPapa

受信料の最高裁判断には、予想はしていてもちょっとガッカリですね。先代会長がはからずも吐露したように、「政府が右といえば右を向かざるをえない」というのは、政府のプロパガンダ放送局の本質的な立場をいいえて妙です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2017-12-07 23:44) 

ChinchikoPapa

昔は旅先でバスに乗ると、乗降が面倒でたいへんでした。財布を出してドライバーとのやり取りでモタモタしていると、地元の乗客から舌打ちが聞こえたりして緊張しましたね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2017-12-08 09:51) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2017-12-10 15:52) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2017-12-14 10:57) 

sig

すごい写真を入手しましたね。もう70年も経っているのに、記事を読んで、言葉もないです。本当に今日あるのは奇跡なんですね。

by sig (2018-01-19 11:07) 

ChinchikoPapa

sigさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
わたしもこれを見たとき、よく自分がここに存在できているものだと不思議な気分になりました。『1945・昭和20年 米軍に撮影された日本』には、原爆を投下される直前の広島・長崎の市街地の様子と、投下直後になにもなくなった空中写真とが掲載されていますが、おそらく広島・長崎生まれの方も同じ気分になるのではないかと思います。
by ChinchikoPapa (2018-01-19 13:48) 

ChinchikoPapa

正月が終わったばかりなのに、もうクリスマスグッズを売っている店があるのかと、一瞬アタマが白くなってしまいました。昨年暮れの話ですね。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ADHD大ちゃんさん
by ChinchikoPapa (2018-02-03 19:52) 

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