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『絵馬堂』探しはまだまだつづく。 [気になる下落合]

 

 相変わらず、佐伯祐三が1926年(大正15)ごろに描いたとみられる『絵馬堂』Click!を探しつづけている。この作品のタイトル、実は仕上げられてから間もない時期には、単に『堂』という題名だったようだ。ところが、堂前の扉のところに絵馬らしきものが結びつけられているので、いつしか『絵馬堂』と改題されたらしい。でも、画面の扉をよく見ると、結びつけられているのは絵馬ばかりでなく、いろいろな形状のものが見えている。
 ふつう建物を「堂」と表現するとき、それは寺院のケースが圧倒的に多いだろう。社(やしろ)の場合は、「堂」よりも「殿」のほうが一般的だ。だが、社にある同様の建物も「絵馬堂」と呼ばれることがあるので、いちがいに決めつけることはできない。西落合(旧・葛ヶ谷)にある自性院でお話をうかがったとき、屋根上に乗っているのは寺院建築に見られる宝珠のようにも思えるので、屋根の形状なども踏まえると、真言宗など密教系の寺院のものではないかとのご教示をいただいた。賽銭箱の上に吊るされているのは、よく神社で見かける鈴ではなく、寺院の鰐口のようにも見えてくる。
 
 密教系の寺院の場合、本尊を安置する本堂ばかりでなく、それぞれ儀式の性格や種類によっては、専用のコンパクトな堂を別に建設して祈祷を行うことがあるという。また、そのような堂の扉に結ばれているのは絵馬とは限らず、たとえば足の悪い人は自分の足袋や履物を、産後の肥立ちが悪い人は自分の腰巻を・・・というように、願かけによっては自分がいつも使っている日用品を結びつける可能性もありうる。つまり、『絵馬堂』が後追いのタイトルだとすると、この「堂」は常にそうは呼ばれておらず、寺院または社の境内にあった建物のひとつ・・・ということなのかもしれない。
 そんなケースも意識しつつ、先の自性院をはじめ上高田の東光寺、同別院、上落合の先にある高徳寺、青原寺、源通寺、龍興禅寺、正見寺、東中野の小淀に近い第六天社や氷川明神などにも足を伸ばしてみるが、このような「堂」を記憶されている方はいなかった。中には、戦災で焼ける以前の記憶をお持ちの方がいらっしゃらず、古いアルバムも残っていないケースもあるので、すでに訪れた寺社に建っていた可能性も棄てきれない。でも、引きつづき“絵馬堂ローラー作戦”に挑戦してみたいと思っている。
 
 下落合とその周辺をこれだけ探しても、記憶されている方がいないところをみると、そもそも「下落合風景」シリーズClick!が描かれた一帯から、大きく外れたところに「堂」はあったのかもしれない。佐伯の実家である大阪・光徳寺に建っていた、戦災で焼失前の「堂」のひとつだったりしたら、まさにくたびれもうけ・・・なのだが。

■写真上は、1926年(大正15)ごろに描かれたとみられる『絵馬堂(堂)』。は、西落合(旧・葛ヶ谷)にある猫地蔵Click!で有名な自性院の、新青梅街道側に面した門前。
■写真中は、『絵馬堂』画面の扉部分の拡大。確かに絵馬ばかりではなく、いろいろなものが結びつけられているようだ。は、西落合の自性院本堂。戦前の本堂は、空襲で焼けている。
■写真下は、上落合から東中野への道筋にある高徳寺。は、東中野の大きな氷川明神社。
 


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ChinchikoPapa

いつも、ありがとうございます。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2007-07-30 11:55) 

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