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三岸好太郎と中村伸郎と向田邦子。 [気になる映像]

太平洋画会研究所.JPG
 わたしが、加藤嘉と同じぐらい好きな俳優に中村伸郎がいる。文学座を、杉村春子Click!らとともに起ち上げた中心人物なのだが、のちに脱退して「日本浪漫派」に近い舞台で活躍していた。わたしは晩年のひとり芝居を、残念ながら観そこなっている。どのような役柄でも、抜群のリアリティと存在感を発揮する中村の芝居は、映画やTVでひっぱりだこだったように思う。中村伸郎は、もともと俳優ではなく画家をめざしていた。
 中村伸郎は大正末、のちに人形劇団「プーク」結成の基盤となる人形劇を上演している。この劇団「プーク」の近い位置にいたのが、三岸好太郎Click!の親友だった久保守だ。三岸好太郎は、人形劇団「プーク」のメンバーたちともサロン的な交流を通じて親しかっただろう。つまり、中村伸郎と三岸好太郎は顔見知りであり、同劇団のメンバーには作曲家・吉田隆子Click!が参加していた…という経緯だ。ここで三岸と吉田は知り合い、すぐに恋愛関係になる。のちに、吉田隆子は久保守の兄・久保栄と結婚をすることになるが、中村伸郎もまた、築地小劇場で仕事をする久保栄とは親しかっただろう。
 戦後、久保栄と吉田隆子の家に入門してきた人物に、中野重治Click!の文章へ共鳴した歌人・村上一郎がいた。村上一郎も中村伸郎と同様に、なぜか「日本浪漫派」臭のする方向へと傾斜していくが、1975年(昭和50)に吉祥寺の自宅で頸動脈を切断し、吉本隆明の弔辞いわく「死ねば死にきり」(高村光太郎)の自刃をして果て「風」(墓誌銘)となった。このあたり、書きはじめると長くなりそうなので、このへんで…。
 三岸好太郎と中村伸郎の接点について、1993年(平成5)に北海道立三岸好太郎美術館Click!刊行の『線画のシンフォニー 三岸好太郎の<オーケストラ>』から引用しよう。
  
 昭和初期、東京郊外の東中野にミモザという料理店があった。月に1回ほど、その店に若い画家や音楽家らが集まり、食事や歓談に興じる会が開かれたという。当時川端画学校で絵画を学び、のちに俳優に転じた中村伸郎(略)が会の世話をしていたようであるが、誰がリーダーということもなく和気あいあいとした集まりであったらしい。おそらく東京美術学校で絵画や音楽を学ぶ者たちの交流から始まり、さらに彼らの知人を含めたものとなっていったのであろう。ここに集まった若者たちの中には、中村のほか、画家では三岸、久保守(略)、小寺丙午郎(中村の兄、久保守と東京美術学校で同級)、川崎福三郎(略)、山田正(略)、岡部文之助(略)らがおり、後に多くのモニュメント制作で知られる札幌出身の彫刻家・本郷新も姿を見せた。音楽家では声楽の奥田良三(略)、四家文子、ピアノの園田清秀(略)、チェロの小沢弘らがいた。
  
 この文章に添えられた、久保守の渡欧送別会をとらえた1930年(昭和5)2月の記念写真には、三岸好太郎とともに中村伸郎の姿が見える。東中野にあったレストラン「ミモザ」の集いへ、三岸と同郷である多くの北海道出身者が参加していたのも興味深い。ちなみに、昭和初期に作成された「大日本職業別明細図」で東中野駅の周辺を調べてみたが、上落合や角筈も含め「ミモザ」という料理屋は発見できなかった。
久保守送別会1930.jpg 人形劇団プーク1929頃.jpg
線画のシンフォニー1993.jpg 作曲家・吉田隆子2011.jpg
 人形劇団「プーク」の音楽部員として参加していた、吉田隆子の側から見ると、当時の様子はこのように映っている。2011年(平成23)に教育史料出版会から刊行された、辻浩美『作曲家・吉田隆子 書いて、恋して、闊歩して』から当該部分を引用しよう。
  
 アテネ・フランセで広がった交友関係は、やがて人形劇団プークへと繋がっていく。隆子の音楽家としての第一歩は、人形劇団の音楽部員から始まった。/隆子は、まず1929年(昭和4)に結成された人形劇サークル「ラ・クルーボ」に参加し、次々に新しい刺激を得ることができた。「ラ・クルーボ」は美術、文学、国際語エスペラントを含む語学、自然科学、社会科学などを学ぶ青年たちによる人形劇サークルで、隆子はここで『はだかの王様』の音楽を担当している。そのころに撮ったと思われる1枚の写真には、隆子を含めて10人のメンバーが写っているが、楽しげに肩を組みながら、誰もがみんな生き生きと輝いて見える。その中には、許嫁であった鳥山榛名や、のちに結婚生活を送ることになった高山貞章(略)の姿もある。/その後、人形劇団プークの創立メンバー18人の一人として、1936年(昭和11)まで人形劇の作曲に携わった。
  
 画家志望の中村伸郎と、当時は春陽会で活躍していた三岸好太郎の接点は、「ミモザ」会ないしは「プーク」を媒介に、ほんの一瞬(数年)の出来事だったと思われるが、ふたりはなんら影響を受けることなく、再びまったく別々の軌跡を描いて離れていったのだろう。同じく、三岸と吉田隆子との恋愛もほんのつかの間だったが、隆子は三岸好太郎の制作活動に少なからぬ影響を与えている。同性あるいは異性のちがいに関係なく、表現者同士がほんの短い間でも触れ合った場合、ときに爆発的な“化学反応”を見せることがあるけれど、三岸好太郎の場合は後者のケースだった。そのころの情景を、今度は1999年(平成11)に文藝春秋から出版された、吉武輝子『炎の画家 三岸節子』から引用しよう。
  
 好太郎が吉田隆子と出会ったのは一九三二年。当時隆子の婚約者であり、人形劇団プークの創立者(創立一九二九年)であった鳥山榛名が、開成中学の同期生の俳優の中村伸郎などと音楽、演劇、美術関係に携わる若手たちの集まる文化サークル、というよりはサロンのようなものを作っていた。久保守に連れられて、このサロンの常連の一人に好太郎もなったが、音楽家の卵であった隆子も参加するようになった。/はじめて顔を合わせた好太郎と隆子は、激しい恋に落ちたのである。
  
中村伸郎「秋刀魚の味」1962.jpg 中村伸郎「だいこんの花」1970.jpg
 中村伸郎というと、小津安二郎Click!『秋刀魚の味』Click!『東京暮色』Click!、あるいは山本薩夫の『白い巨塔』や『華麗なる一族』などでの演技が強烈な印象に残っている。特に小津安二郎は、文学座の俳優を好んで出演させており、杉村春子とともに中村伸郎は画面に欠くことのできないバイプレーヤーだったのだろう。
 中村伸郎は1980年(昭和55)前後、向田邦子Click!のNHKドラマ『虞美人草』への出演が決定していたにもかかわらず、向田の事故死で制作が中止になってしまったのは、なんとも惜しいことだ。もし、そのまま制作されていたとしたら、彼の代表作のひとつになっていたかもしれない。ただし、向田邦子が脚本家として参加していた『だいこんの花』(1970年)に、中村伸郎は眼科医師として一度登場している。もっとも、その回は向田邦子の作ではなく、松木ひろしが脚本を担当していたようなのだが…。
 余談だけれど、人が生きている流れの中で、たった一瞬触れ合っただけなのにもかかわらず、忘れられない大きな仕事を残すケースをたまに見る。三岸好太郎における吉田隆子もその好例だが、向田邦子と松本清張もまた、同じような仕事を残している。1960年(昭和35)に松本清張は短編『駅路』(文藝春秋)を書き、1977年(昭和52)に向田邦子はたった一度だけ清張作品の脚本を手がけ、ドラマ『最後の自画像(駅路)』(NHK)を仕上げた。同作は、向田が生存中にNHKで放映され、わたしも学生時代に観ているが、32年後の2009年(平成22)にも向田脚本でフジテレビが制作している。
 清張のプロットは尊重しているが、繰り広げられる人間ドラマは向田の手によって、原作とはまったく別モノの優れた作品に改編されている。向田は清張本人をドラマへ引っぱりだし、原作にはない認知症の進んだ「雑貨商小松屋」主人として登場させた。「小松屋」清張が怒らなかったところをみると、向田の脚本に舌を巻いたものだろうか。2009年に放映されたドラマの冒頭には、「人は人と出会う一瞬にそれぞれの人生が交差し、輝きを放つようです」というナレーションが挿入されていた。そういえば、『最後の自画像』はゴーギャンがテーマであり、くしくも絵画がらみの作品なのが面白い。
 向田邦子は、特に春陽会Click!に属していた画家たちが好みだったらしく、岸田劉生Click!の作品を欲しがったが高価でとても手が出ず、中川一政の作品を部屋へ架けていたのは有名だ。のちに向田作品の装丁を、中川本人も手がけている。彼女が、三岸好太郎について触れている文章をわたしは知らないが、目にしていたことはまちがいないだろう。
松本清張.jpg 向田邦子.jpg
 中村伸郎と向田邦子が、「虞美人草」で一瞬でも交差していたとすれば、どのような姿を見せてくれたのだろうか? 「日常生活の中にこそ、きらりと光る珠玉の人生がある」は、向田邦子の至言だけれど、もう少し生きていてくれれば、いままで見たことがないような中村伸郎の「きらり」演技が見られたかもしれないと思うと、いまでも残念だ。

◆写真上:中村伸郎が通い、佐伯祐三Click!山田新一Click!も通った小石川下富坂町の川端画学校は、戦時中に解散して現存しないが、満谷国四郎Click!吉田博Click!中村不折Click!らが設立し中村彝Click!小島善太郎Click!も通った太平洋画会研究所(現・太平洋美術会研究所)は、いまも谷中で健在だ。
◆写真中上上左は、『線画のシンフォニー 三岸好太郎の<オーケストラ>』に掲載されている1930年(昭和5)に開かれた久保守送別会の記念写真。上右は、辻浩美『作曲家・吉田隆子 書いて、恋して、闊歩して』に掲載された人形劇団「プーク」の吉田隆子と中村伸郎。下左は、1993年(平成5)刊行の『線画のシンフォニー 三岸好太郎の<オーケストラ>』(北海道立三岸好太郎美術館)。下右は、2011年(平成23)に出版された辻浩美『作曲家・吉田隆子 書いて、恋して、闊歩して』(教育史料出版会)。
◆写真中下は、小津安二郎『秋刀魚の味』(1962年)の中村伸郎。は、NET(現・テレビ朝日)のドラマ『だいこんの花』(1970年)に出演した中村伸郎。
◆写真下:松本清張()と、父親が何度も下落合を訪れてClick!いる向田邦子()。


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35年ぶりに情報誌掲載の『さよなら・今日は』。 [気になる映像]

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 旧・牛込区(現在の新宿区東部の地域)を中心にしたタウン誌が、何年か前から発行されている。現在第6号までが出ている、季刊誌『牛込を愛する人の為のコミュニティマガジン/[今昔]牛込柳町界隈』だ。1947年(昭和22)までつづいた牛込区といってもかなり範囲が広く、北は早稲田鶴巻町から山吹町、東は飯田橋駅前の新小川町から下宮比町に神楽坂、南は広い市ヶ谷の全域から若松町、河田町に余丁町、西は戸山町(旧・戸山ヶ原Click!)全域を含むエリアで、現在の新宿区では約3分の1弱の面積に相当する広さだ。
 『[今昔]牛込柳町界隈』Click!(無料)は、新宿区内の駅や主要施設などに置かれているので、目にされた方も多いのではないだろうか? 先月、同誌の編集長である伊藤様より、「早大の演劇博物館に保存されている、ドラマのシナリオについての記事を流用させていただきたい」という電話をいただいた。第6号では、早稲田大学とその界隈を特集するとのことで、早大の演博(えんぱく)に寄贈され保存されている、貴重な演劇資料にスポットを当てたものだろう。
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 ドラマのシナリオとは、もちろん森繁久彌Click!が出身校である同大学に寄贈した1973~74年(昭和48~49)に放映されたNTVドラマで、下落合を舞台にした『さよなら・今日は』Click!だ。このドラマのことが、発行数の多い情報誌的なメディアで本格的に取り上げられるのは、おそらく35年ぶりぐらいではないだろうか? 寄贈のシナリオは、同ドラマの第14回「正月の結婚式」(脚本・岡本克巳/演出・小杉義夫)のもので、森繁自身が「高橋作造」役で客演している。そのほかに同ドラマには山村聰Click!、浅丘ルリ子、山田五十鈴、山口崇、林隆三、中野良子、緒形拳Click!、大原麗子、原田芳雄、栗田ひろみ、森光子、水野久美などが出演しており、以前の記事Click!にも書いたがNTV開局20周年記念作品だ。第14回は、昔日の生放送ドラマを再現したものらしく、森繁もそれが印象に残り、また山田五十鈴との掛け合いも面白かったせいで、シナリオを長く保存していたのかもしれない。
 お送りいただいた見本誌を拝見すると、早稲田大学の特集記事の次に早稲田(馬場下町)にある江戸刺繍工房の記事がつづき、その次に『さよなら・今日は』の記事が見開きで登場している。目立つ新企画のページで比較的大きな扱いなので、旧・NTV(現・日本テレビ)の関係者や映像コンテンツのプランナーの目にとまり、DVDあるいはBDで同作品が甦ってくれればいいのだが・・・。
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 このドラマでは、下落合に建っていた大正期の吉良邸+アトリエが、新宿地域の再開発の波に押されて解体され、集合住宅化されようとする1970年代半ばの情景が描かれているけれど、あれから30年以上が経過した現在でも、下落合ではまったく同様のテーマを抱えている。タヌキの森Click!ケースに象徴的な、歴史的建造物や屋敷林を排除して計画された違法建築問題もそうだが、『さよなら・今日は』は現在でもそのまま通用するingテーマ、すなわち「家族と家」の主題と「街(地域)への愛着」の課題とを、両面からていねいに描いている作品といえるだろう。
 落合地域にお住いの方が一家で1セット、同ドラマのDVD/BDを購入するとすれば、おそらく1,000セットはかたいのではないだろうか。また、ロケで撮影された1970年代半ばの下落合風景は記録的な側面からも貴重だし、下落合に興味をお持ちの方、あるいは出演している俳優たちのファンまで含めると、発売すれば採算はすぐにも取れそうな気がするのだ。でも、出演者や脚本家たちがあまりに豪華すぎたのが祟り、著作権料の関係からやはり販売は困難な状況なのだろうか?
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 お送りいただいた、『[今昔]牛込柳町界隈』のバックナンバーを拝見すると、牛込地域に展開するあちこちの物語が紹介されており、わたしの落合サイトと同じようなテーマや志向、あるいは視点の記事が並んでいて、読み飽きずにとても面白い。すぐお隣り(このくくりでいうと落合は淀橋地域)の牛込地域で発行されているタウン誌なので、これからも同誌のコンテンツには注目していきたい。

◆写真上:演劇に関するあらゆる時代の資料が収蔵された、早大の演劇博物館。
◆写真中上上左は、『さよなら・今日は』を取り上げてくださった『[今昔]牛込柳町界隈』Vol.6の最新号。上右は、1972年(昭和47)に向田邦子脚本の『新・だいこんの花』(NET)に出演の森繁久彌(右)と大原麗子(左)で、ともにこのあと『さよなら・今日は』へ出演することになる。は、『[今昔]牛込柳町界隈』Vil.6の早稲田大学大隈講堂の特集記事。
◆写真中下:同誌最新号の、『さよなら・今日は』をめぐる演博収蔵シナリオの記事。
◆写真下は、同誌Vol.3で特集は牛込報国寺と移築された田安家の屋敷門。は、同誌Vol.5で特集は市ヶ谷台地の陸軍士官学校大講堂(現・市ヶ谷記念館)。
同作品が、何十年ぶりかで情報誌に取り上げられたので、早期DVD/BD化を願って久しぶりに同作品の第4回「予告編」を掲載したい。1973年10月27日に放映された第4回には、吉良邸のベランダで話す夏子(浅丘ルリ子)と良平(林隆三)のシーンが登場するが、ベランダの向こうに拡がる下落合風景は、セリフにも挿入されているとおり1970年代の汚れた空の下、落合第四小学校の校庭南端から見おろす富士短期大学(当時)の時計台と西武新宿線、そして新宿高層ビル(4本)だ。

(Part01)
(Part02)
(Part03)
(Part04)
(Part05)
(Part06)
(Part07)
(Part08)
(Part09)
(Part10)
(Part11)


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高峰秀子がくぐる「浮雲ガード」。 [気になる映像]

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 このサイトで、佐伯祐三Click!が描いた作品の描画ポイントClick!に関連し、高田町字上屋敷1127番地あたりから東の雑司ヶ谷を向いて描いた『踏切(踏み切り)』Click!(1926年ごろ)近くの、山手線をまたぐ武蔵野鉄道のガードを、通称「浮雲ガード」Click!と表現してきた。これは林芙美子Click!原作による成瀬巳喜男監督の映画『浮雲』(1955年)のロケーション現場にちなみ、とりあえず地元の記憶とからめて規定した呼称だ。映画『浮雲』では、このガードをくぐって山手線沿いを散歩する、高峰秀子と森雅之のせつないシーンが収録されている。目白駅や目白橋までが映る、当時の貴重な画像が手に入ったので、改めてご紹介したい。
 当該のシーンは、ちょうどガード上を西武池袋線(旧・武蔵野鉄道)の電車が走り、ガード下の山手線を黒っぽい電車(おそらくチョコレート色の車両)が、同時にくぐり抜ける瞬間からはじまっている。() 左手にうがたれた「浮雲ガード」のトンネルをくぐり、高峰と森とがゆっくりと姿を現わす。この風情は、おそらく佐伯が『踏切』を描いた当時と、それほど変わってはいないだろう。夕陽に映える、山手線沿いに作られた粗い木柵も、ほとんど当時の形状のままだ。()
 ただ、佐伯の画面と異なるのは、線路沿いに立つ電柱がリニューアルされているのと、ガードや山手線沿いの家々が戦争をはさんで新しくなっていることだ。ガードの向こう側には、東京パンの製粉工場Click!だろうか、何本かの煙突がそそり立ち、かなり大きめなビル状の建物もとらえられている。池袋駅Click!を中心に、このあたりは1945年(昭和20)4月13日と5月25日の二度にわたる山手空襲Click!を受けており、特に線路沿いの家々は爆撃を受けて全焼している。だから、画面に映っている建物はかなりの割合で、戦後に建てられた新築の家々だろう。()
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 肩をならべて歩くふたりがアップになると、いまだレンガ積みのままの西武池袋線の橋脚が見てとれる。佐伯が描いた踏み切りのある側からも光が射しているので、同ガードの細部まで見てとれるのだが、1933年(昭和8)に出版された『高田町史』(高田町教育会編)掲載の、昭和初期に撮影された写真と見比べても、ほとんど意匠は変わっていないようだ。ガードの上を通過する、電車の車両だけが新しくなっているように見える。(④⑤)
 そして、このあとカメラアングルが変わり、目白駅まで歩いていくふたりのうしろ姿のシーンへと移る。() 水虫が痛くなってしまった、ちょっと情けない森雅之が立ち止まるので、このシーンは相対的に長尺だ。遠方には、目白橋を通過するクルマが見え、1955年(昭和30)当時の目白駅Click!が黄昏の中、シルエット状に浮かび上がっている。() ふたりが歩き進むうち、切り通し状に鋭く落ちこんだ山手線の対岸に建ち並ぶ家々が見えてくる。線路沿いは空襲で焼け野原となっているので、いずれも戦後に建てられた住宅やアパートだろう。
 以前にご紹介した、小川薫様Click!がお持ちの戦前に撮影された目白駅前の写真Click!に写る建物は、あらかたB29による爆撃で焼失している。この『浮雲』シーンには、目白駅もほど近い復興後の目白幼稚園の園舎や、戦前は「目白市場」と呼ばれていた百貨店のような大きめの建物も、再建されたシルエットとしてとらえられているのかもしれない。()
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 この映画には、戦後10年たった東京の各地、千駄ヶ谷駅や神宮外苑、池袋、目白、雑司ヶ谷(?)などがとらえられており、たいへん貴重な記録となっている。デコちゃんClick!こと、高峰秀子の大ファンだった親父も、少しあとの『喜びも悲しみも幾歳月』(木下恵介監督/1957年)とともに、確実にリアルタイムで観ている作品だろう。いまだ、わたしの両親が結婚する前の映画だ。
 昨年の暮れに亡くなったばかりの高峰秀子だが、『浮雲』はデコちゃんファンにはたまらない1作となっただろう。薄情で煮えきらず、浮気性で生活力のないいい加減な森雅之なんかと一緒にいないで、「デコちゃん、オレんとこへおいでよっ!」と、やきもきしながら観ているファンたち全員に思わせてしまうところが、この高峰秀子映画のミソなのだろう。ちなみに、林芙美子の原作を読んでもあまり・・・というか、ほとんど面白いとは感じないけれど、映画『浮雲』は高峰秀子の魅力でグイグイと惹きこまれてしまう、最後まで飽きずに観つづけてしまう強い引力を備えた作品に仕上がっている。
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 最後に、このサイトをお読みの悲しみに暮れていらっしゃるであろうデコちゃんファンのために、目白駅近くの夕暮れに寂しげな表情を浮かべてたたずむ、高峰秀子のプロフィールを載せて追悼したい。彼女は親の歳よりも少し上なのだが、わたしの世代から見ても十分にかわいく美しい。でも、親父がやはりファンだった原節子Click!は、どこがいいのかよくわからないのだが。(爆!) たとえば、高峰秀子は東京弁の下町言葉が似あい、原節子は山手言葉ばかり話しているからかとも思ったのだが、どうもそうではないような気がするのだ。余談だけれど、いまから十数年前に原節子が鎌倉から目白近辺へ転居した話を聞いたのだけれど、近くで見かけられた方はいらっしゃるだろうか?

◆写真上:西武池袋線の「浮雲ガード」上(歩道橋)から、山手線の目白駅を眺めた現状風景。
◆写真中上・中下:成瀬巳喜男監督『浮雲』に収録された、1955年(昭和30)当時のシーン。
◆写真下は、戦後間もない1947年(昭和22)の空中写真にみる「浮雲ガード」シーンのロケーション現場。は、目白の夕暮れにたたずむデコちゃんこと高峰秀子。


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負け犬のシネマレビュー(23) 『サンシャイン・クリーニング』 [気になる映像]

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いやはや、この先の20年はどうなるんでしょうねえ

『サンシャイン・クリーニング』(クリスティン・ジェフズ監督/2008年/米国)

 以前ここで取り上げた『リトル・ミス・サンシャイン』と同じ制作チームが手がけたサンシャインシリーズ第二弾。といっても“サンシャイン”は偶然の一致らしいが、こんどの家族もなんだかせつない。
 姉ローズは『魔法にかけられて』のお姫さま、エイミー・アダムス。高校時代はチアリーダーだったと言われたら確かにそんな風貌である。しかし高校のアイドルも三十路のいまはシングルマザー。ティーンエージャーみたいな安っぽい下着(こういうチョイスにスタッフのセンスが光る)で、輝ける時代の彼氏と不倫とは、ちょっとなさけない。
 妹ノラは『プラダを着た悪魔』でいい味出していたアシスタント役のエミリー・ブラント。いまだ実家で父と同居するパンクなフリーター役もお似合いだが、このパパ、アラン・アーキンこそ最高! 『リトル・ミス』でドラッグが止められず老人ホームを追い出されたおじいちゃんだ。ミスコンのアイドルをめざす孫娘にとんでもないショーの振り付けを吹き込んだ末、自分はさっさとあの世にいってしまうおちゃめな頑固者、今作でも調子に乗ってます。
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 やけに気になると思っていたが、孫息子が手に入れたレトロな双眼鏡を目にしたときの、にやけた表情と子どもじみた口調「ちょっと、それ貸してみろ」で謎が解けた。わが父にそっくりなのである。いや、このオジサンと父以上に身につまされるのが、結婚もムリ、何をやってもダメな姉妹なのだけれど。
 妙な作り話で甥を混乱させるマイペースが妹の特権なら、一生懸命は姉の宿命か。前向きだが冷静さに欠け、張り切れば張り切るほど空回りする要領の悪さはいかにも長女。不安を追い払うように鏡に向かって「あなたは強い、パワフル、何でもできる」と鼓舞する姿、いかにもアメリカと思ったら、最近日本もこんな感じの自己啓発が大流行りのようで。
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 ダメ、ムリなんて否定的な“ネガティブワード”が運を下げるらしい。なるほど、そうなのか…と、隣合わせた女子の話に聞き耳立てれば、できると自分に言い聞かせる、成功した姿をイメージする、念ずれば通じる、しまいには、いいことだからみんなに教えてあげている……なんだ、そりゃ。新手の宗教か、あるいはねずみ講か。しかも成功した経験がないから困っているのにどうやってイメージするのだ? 
 “失われた”10年が20年になりそうないま、ポジティブシンキングはスピリチュアルと結びついて新しい貧困ビジネスの誕生…って、あまりにも短絡的というか、手ぇ抜いてない? だってこういうの、1980年前後に日本版が出た『コスモポリタン』が毎号「成功するための○カ条」みたいな小特集を組んでいた。最新の自己啓発が30年前のアメリカの女性誌の焼き直しでは、ちょっと興ざめ。それにネガティブワードというが、目上のひとからのどうしてもできない頼まれごとには、いやーわたしにはとてもムリと断るしかない。もともと日本語は、ひとつの言葉にネガとポジの両面で表裏一体を為すものである。それをひとつの意味に集約してしまうのは情緒がない。
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 歴史は繰り返すというが、その時代を知るひとにとっては“失われた”時代も、十代二十代にはただの過去。20年前に生まれた子どもはそろそろ成人。かれらはこのどん底の現実を生き、この先も生きていかなければならない。本気でかれらを思うなら、机上の空論ではなく、その椅子を明け渡してあげるのがいちばんの近道だ。そう、この映画のパパみたいに。今作のパパ、エンディングはちょっとかっこいいぞ。
                                               負け犬
『サンシャイン・クリーニング』公式サイトClick!
飯田橋ギンレイホールClick! 11月28日(土)~12月11日(金) 同時上映『人生に乾杯!』


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負け犬のシネマレビュー(22) 『ヴィヨンの妻』 [気になる映像]

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 生きていさえすればいいのよ
 『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』(根岸吉太郎監督/2009年/日本)

 前作『サイドカーに犬』で、竹内結子がこの原作文庫を読んでいるのを見て、根岸吉太郎の次回作は『ヴィヨンの妻』に違いないと確信し、発表前からあちこちで言いふらした。公開が決まってからは観もしない先から、今年のナンバーワンだと会うひとたちに勧めまくった。
 なにしろあの古田新太から、あれだけの色気を引き出した監督である。浅野忠信の“大谷”がどれくらいダメでいい男か、観るまでもない。ところへもってきて浅野の離婚報道である。うわー、これ絶対、役に入り込んでいるなと思ったら案の定。宣伝用のポスターでは、大きななりして背をまるめ、松たか子に手を引かれるように歩いている。松が毅然と顔をあげているのに対し、はにかみ笑う浅野の目線は宙を泳ぎ、空いているほうの手にはさくらんぼの包み。これと予告編だけで、もう胸が張り裂けそうになる。
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 同級生が『人間失格』ってすごいよと言っているころ、私は、ふん、メロスを書いた作家なんて…と、見向きもしなかった。オッサンとチンピラばかりの映画館の隅っこで小さくなって、雨に降られて入れ墨が落ちる『まむしの兄弟』に、せつないなぁと、涙していた。R15なんて指定がない時代とはいえ、相当変わった女子中学生である。泣くべきときに泣いておかなかったせいか、中年以降は涙腺のフタがぶっとんだみたいに泣ける。困ったものだ。
 青春時代に出会うはずの太宰と対峙したのは、すっかりオバサンになってから。最初に読んだのが、岩波文庫の『ヴィヨンの妻・桜桃』だった。いや、もうまいった。ぜんぶで十編の短編に出てくる男みな最低で、最高。あたりまえである、これすべて太宰治という一緒に死んであげると言ってくれる女に事欠かない色男なのだから。自分の足もとも固められないくせして、言うことだけは理にかなって素晴らしい。やけ酒呷って八つ当たりに吐くヘリクツがまた、あまりにも自分勝手過ぎて怒るのを通り越し、笑ってしまう。
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 なにしろ松たか子演じた大谷の妻さっちゃんは、家に帰って来ない亭主に会うために、なんでもっと早く飲み屋で働くことに気づかなかったのだろうと言う天真爛漫(大谷に言わせれば「体がだるくなるほど素直」な女)さ。好きな男のために襟巻きを万引きするような女である。堤真一演じた元彼氏がほかの著作に出てくるのか、あるいは太宰の嫌いな“文化”とか“愛”なんてことばをシラフで口走る象徴としての役柄なのかはわからない。ただ松たか子のさっちゃんが“やられ”る相手を、行きずりの工員でなく、いまは弁護士となったかつての彼氏としたあたりに、いい意味でも悪い意味でも作り手の男らしさを感じる。とはいえ妻夫木聡が演じた工員はどこかで読んだ憶えのある「奥さんをください」なんてセリフを口走る屈託のなさで、この起用には納得できる。
 納得といえば広末涼子も然り。そのことしか頭にないような崩れ方と話し方がほんとにいやらしい。『ヴィヨンの妻』だと大谷のために身を持ち崩す年増女でしかない役を『桜桃』の数行とくっつけただけで、太宰の絶望しているのだか、ひとを食っているのだかわからない世界をみごとに体現した。松演じるさっちゃんの不自然なまでの清潔さが、裏を返せば、見切りをつけたらすぐ次の男に行けるいまどきのたくましい女に通じるなら、見かけばかり威勢のいい広末の秋ちゃんは、そこにいない男にいつまでも焦がれて死にかねない。
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 こういう対極にある女ふたりを真ん中に立て、女を引退したような顔をしながら大谷といいこともあったおかみさん、それこそコキュなのに自分には真似できない大谷に惚れ込んでいるみたいな飲み屋の亭主……なんて人間模様を描けてしまう根岸吉太郎も、ベテラン脚本家の田中陽造(と書きながら、ふと陽造は葉蔵からきているのかと思ったが、それは余談)も、相当大谷的。無邪気な顔して、ひとの心にずかずか入り込み、あんたが甘やかすから俺がつけあがってしまうんだ、なんてセリフを吐いてきたんじゃないんですかねえ。
                                                  負け犬
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