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文化村に近接した武者小路邸の特定。 [気になる下落合]

武者小路実篤邸跡.JPG
 武者小路実篤Click!は、鈴木三重吉Click!の赤い鳥社と同じく引っ越しマニアだ。昭和初期だけでも、1936年(昭和11)のヨーロッパ旅行をはさみ10回以上は転居している。下落合には、1929年(昭和4)の4月から11月まで、およそ7ヶ月間ほど暮らしただけであわただしく転居していった。武者小路実篤が住んでいたのは、目白文化村Click!の第二文化村に通う振り子坂Click!の中腹、下落合1731番地だ。
 ここで、武者小路実篤が東京府内で転居を繰り返した、昭和初期の様子を見てみよう。
 1927年(昭和2)  2月に葛飾郡小岩井村に転居。同年中に築土八幡社脇に転居。
 1928年(昭和3)  1月に麹町下二番町40番地へ転居。
 1929年(昭和4)  4月に下落合1731番地へ転居。11月に祖師谷441番地に転居。
 1933年(昭和8)  北多摩郡砧村へ転居。
 1934年(昭和9)  3月に吉祥寺鶴山小路885番地に転居。
 1935年(昭和10) 1月に吉祥寺日向小路645番地に転居。
 1936年(昭和11) 4月~12月までヨーロッパ旅行。
 1937年(昭和12) 3月に三鷹村牟礼359番地に転居。
 1940年(昭和15) 9月に三鷹村牟礼490番地に転居。
 ずいぶん以前から、第二文化村の外れにあったとみられる下落合1731番地の武者小路邸を探す記事Click!を書いてきたが、かなり落合地域に関する知見や地勢、時代ごとの状況把握、地図や空中写真を使って“現場”を読み解くノウハウやスキルなどが蓄積されてきていると思うので、ここで改めてもう一度、下落合1731番地の武者小路邸の位置について規定を試みてみたい。
 まず、注意しなければならないのは、下落合1731番地という当時の住所だ。この地番は、第二文化村へと上る振り子坂が切り拓かれた、大正末(おそらく1925年に敷設)で一度新たにふり直され、1932年(昭和7)に淀橋区が成立すると同時に、1731番地の地番位置が丸ごと南へ移動してズレている。つまり、武者小路実篤が住んでいた1929年(昭和4)という時期は、大正末に地番がふり直され1932年(昭和7)に大がかりな地番変更を迎える、わずか7年間のうちのちょうど真ん中あたりということになる。したがって、同邸を探すには大正期の地図でも、また1932年(昭和7)以降の地図を用いても、決定的な誤謬の生じる可能性が高いというこだ。
 さて、もうひとつの手がかりとしては、1929年(昭和4)のおそらくは晩春か初夏のころに撮影されたと思われる、下落合1731番地邸の門前にステッキをついてたたずむ、武者小路実篤の写真だ。この写真には、邸の場所を特定する大きなヒントがとらえられている。まず、手前のカメラをかまえた撮影者の位置から推定すると、門前には少なくとも2間(約3.6m)以上はありそうな道路が接していること。文化村や当時の下落合に建てられていた家々に比べ、門から玄関までの距離がかなり短いこと。住宅の屋根が、手前の道路に対して平行であること、つまり切妻が道路面を向いていないこと。また、門に向かって傾斜している、主棟(大棟)とみられる屋根の傾斜面に対し、玄関庇(ひさし)は別にして、左手に隅棟と思われる大屋根より下の小屋根が見えていること。
 そして、当時もいまも下落合の多くの住宅は、東から南にかけての角度90度の間に、陽射しへ向けて家屋の主棟(大棟)がT字型になるよう(できるだけ多くの部屋に日光が射すよう)設計されており、写真の陽射しの様子からこの家もまた、東ないしは南の間のいずれかの方角を向いて建てられているとみられる。光の位置は、カメラマンの背後やや左手のように見えるので、その射し方から推測すると、午前中に散歩へ出ようとする武者小路をとらえた写真なら、この家のファサードは東向き、昼すぎの散歩に出ようとする姿なら、ファサードは南向きということになりそうだ。さて、上記のような条件に見合う住宅が、1929年(昭和4)現在の下落合1731番地に存在しているだろうか。
武者小路実篤邸1929.jpg
落合町市街図1929.jpg
武者小路実篤1936_1.jpg
 まず、1929年(昭和4)現在で発行された地図のみを用いて、下落合1731番地の位置を正確に特定してみよう。この時期、振り子坂の西側に通う矢田坂Click!の上部は、大きく東へ直角にクラックしたままで、1900番台の地番が1700番台の地番エリアへ大きく食いこんだままだ。したがって第二文化村のエリアである、振り子坂西側の最上段部に建っていた星野邸Click!(戦後は東条邸)は、下落合1724番地~1725番地にまたがって建設されていることになる。星野邸から、振り子坂の南に向いたひな壇敷地の1段下にあたる、のちの淀橋区長の山口邸は1724番地で、その1段下の第二文化村南端である安東邸Click!から振り子坂に沿って1731番地がふられている。同地番の終端は、現在の山手坂Click!の手前までということになる。
 一方、振り子坂の東側にも、1929年(昭和4)時点では1931番地の地番が三角形の敷地として残されている。まず、振り子坂東側の最上段部に建っていた杉坂邸から、2段目の調所邸が1739番地。その1段下にあたる、第二文化村最南端の嶺田邸の敷地から振り子坂に沿い、その下の敷地(のち栗田邸)のそれぞれ一部が、1731番地にかかっている。すなわち、両敷地は1929年(昭和4)の当時、1731番地と1737番地にまたがっていたことになる。ただし、南側の栗田邸は1936年(昭和11)以降に建設されているので、旧・武者小路邸の候補には入らない。
 さて、武者小路実篤が住んでいたのと同時期、下落合1731番地(敷地の一部含む)がふられた敷地には、全部で7棟の住宅が建っていた。このうち、第二文化村の開発当初から居住している安東邸と嶺田邸は、建物や敷地の風情が武者小路実篤が写る写真とまったく異なるので除外する。すると、小さめな住宅が振り子坂の西側に並んだ、残り5棟のいずれかが武者小路が借りていた家ということになる。ちなみに1938年(昭和13)作成の「火保図」では、この5棟は坂の上から下へ順番に、佐藤邸・石井邸・宮前邸・不明邸・(不明邸)となっており、同図ではまたもや住宅を1棟、丸ごと採取しそこなっている。
武者小路実篤1936_2.jpg
武者小路邸火保図1938.jpg
 幸運にも、この5棟は空襲からも焼け残り、戦後までそのままの状態で建っていたので、武者小路が住んでいた時期からあまりたっていない1936年(昭和11)と、戦後の1947年(昭和22)に撮影された高精細な空中写真を突き合わせて、5棟の様子を詳細に観察することができる。そして、写真に見られる先述の条件、すなわち……、
 ①門や玄関が、2間以上の道路に面していること。
 ②門から玄関までの距離が、かなり短いこと。
 ③主棟(大棟)の斜面が道路と平行であること=切妻が道路側を向いていないこと。
 ④主棟の左手に、隅棟とみられる小屋根が付属していること。
 ⑤門や玄関が、東から南にかけて面していること。(5棟の門はすべて東面)
 ……などを勘案すると、この条件に当てはまる邸は5棟のうち、たった1棟しか存在していない。すなわち、1932年(昭和7)の地番変更で下落合1727番地となり、第二文化村に建つ安東邸の南隣りに位置して、のちに佐藤邸となる小住宅だ。空中写真で確認すると、武者小路の写真でもハッキリわかるように軽量のトタン屋根を葺いた小住宅なので、南北に通る主棟の屋根が白っぽく光ってとらえられている。
 この近隣では、振り子坂の坂下にいた李香蘭(山口淑子)Click!の話はときどき耳にするが、武者小路実篤についてはかつて取材で一度も聞いたことがない。武者小路は、わずか7ヶ月間しか住んでいなかったので、周辺住民の記憶に残りにくかったか、あるいは女優とちがって地味なヲジサンの容姿なので、周囲に気づかれないまま転居してしまったのだろう。ちなみに、下落合に住んだ武者小路は、1929年(昭和4)当時は45歳だった。
武者小路実篤1947_1.jpg
武者小路実篤1947_2.jpg
武者小路実篤邸1947.jpg
 1932年(昭和7)に淀橋区が成立すると、下落合(3丁目)1731番地は従来の位置から南へ1区画スライドしてふられ、1938年(昭和13)の「火保図」を参照しても、その区画にはいまだ1棟の住宅しか建設されていない。その住宅とは、1931年(昭和6)1月に発表された洋画家・宮下琢郎の『落合風景』Click!に描かれた、モダンハウスこと佐久間邸だ。宮下琢郎は実質、『落合風景』を前年の1930年(昭和5)に制作しているので、それ以前から佐久間邸が建っていたとすれば、武者小路実篤もこの超モダンな邸を目にしているだろう。

◆写真上:振り子坂に面した、下落合1731番地(現・中井2丁目)の武者小路実篤邸跡。右手の大谷石の築垣から第二文化村のエリアで、その下の南隣りが旧居跡とみられる。
◆写真中上は、1929年(昭和4)に撮影された下落合1731番地の自邸前に立つ武者小路実篤。は、1929年(昭和4)発行の「落合町全図」にみる下落合1731番地。は、1936年(昭和11)の空中写真にみる1731番地の住宅群。
◆写真中下は、別角度で撮影した1936年(昭和11)の空中写真。は、1938年(昭和13)作成の「火保図」にみる同区画。1932年(昭和7)の淀橋区成立とともに、大規模な地番変更が行われたあとで、「火保図」は旧1731番地の住宅1棟を採取し損ねている。
◆写真下は、1947年(昭和22)の空中写真にみる旧・武者小路実篤邸。は、同年に撮影された別角度の同邸。は、旧・武者小路邸の拡大と写真の撮影ポイント。
おまけ:今年もサクラが満開の、目白文化村は第二文化村にある安東邸。
安東邸.JPG


読んだ!(23)  コメント(23) 
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ChinchikoPapa

すでにソメイヨシノはかなり散り、葉が目立ちはじめましたね。シダレザクラとヤエザクラが、もう満開です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2018-03-30 19:57) 

ChinchikoPapa

ドラマの食事や喫茶の場面では、いまも昔もエピソードや事件の背景説明的な台詞が多いですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2018-03-30 19:59) 

ChinchikoPapa

このアルバムのご紹介は、久しぶりですね。60年代末のもうすぐ行き着くところまで行きそうな、濃いJAZZの匂いがします。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2018-03-30 20:01) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>おぐけんさん
by ChinchikoPapa (2018-03-30 20:21) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2018-03-30 20:21) 

ChinchikoPapa

神沢川酒造場の「正雪 辛口純米」は、美味しそうですね。わたしも静岡へぶらりと出かけて、飲みたくなりました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2018-03-30 22:28) 

ChinchikoPapa

1日に12時間以上もPCの前で作業をしていた30~40代のとき、背中の凝りがどうしても取れなくて、漢方整体マッサージというのを受けたことがあります。先生によって、技術やノウハウがまったくちがいますので、ヘタな先生にあたると翌日には元にもどってしまいますが、趙先生という優れた先生がいて、その先生にかかると2週間ほどは凝りが収まりました。趙先生が中国へ帰国してからは、いいマッサージ療法にめぐりあっていません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん

by ChinchikoPapa (2018-03-31 00:14) 

ChinchikoPapa

動物たちには、陽だまりで日向ぼっこをするのが楽しい季節になりましたね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>
soramoyouさん
by ChinchikoPapa (2018-03-31 00:17) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>はじドラさん
by ChinchikoPapa (2018-03-31 00:18) 

ChinchikoPapa

近所の寺では、シダレザクラが満開になりました。次は早くも、ツツジかハナミズキが咲きそうな暖かさですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2018-03-31 12:37) 

ChinchikoPapa

この近くでは江ノ島の事例が有名ですけれど、もともと龍神信仰だったものが、次に宗像三女神が重ねて祀られ、江戸期になるとイチキヒマヒメ(弁天)がかぶせられて祀られている海辺の地名が、日本にどれだけあるのかに興味があります。特に龍神→イチキシマヒメは、非常に多いですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2018-03-31 12:49) 

ChinchikoPapa

昨日の緊急メンテは午前中から午後までと、近来になく長かったですね。標的型攻撃でも受けたのでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okina-01さん
by ChinchikoPapa (2018-03-31 15:44) 

ChinchikoPapa

ショウビンは色鮮やかなものが多いですが、ナンヨウショウビンはとりわけブルーが美しいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>(。・_・。)2kさん
by ChinchikoPapa (2018-03-31 23:52) 

ChinchikoPapa

「告白」されて困った経験は、それほど多くはないので経験不足なのですが、翌日からも顔を合わせなければならない相手だと、まあ確かに困りましたね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ADHD大ちゃんさん
by ChinchikoPapa (2018-04-01 00:46) 

ChinchikoPapa

神田川のサクラも先週半ばから散りはじめ、川がすっかりピンク色になりました。河岸段丘沿い以外の場所では、まだ咲いているところもありますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2018-04-01 10:36) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2018-04-01 10:38) 

ChinchikoPapa

天文台のドームを見ると、子どものころから鉄人28号の頭部を思い出してしまいます。w 仕事で毎日、PCの画面を眺めていると、たまには星でもゆっくり眺めて目を休めたいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2018-04-01 10:44) 

ChinchikoPapa

ウィスキーファンとしては、樽の材質や由来がとても気になりますね。w 日本の樽不足は昔からで、米国のバーボン樽を輸入していた時期もあったとか。日本ではありえないかもしれませんが、ワイン樽でウィスキーを寝かせて、面白い風味を醸しだす手法もあるそうですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2018-04-01 11:37) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2018-04-01 12:02) 

ChinchikoPapa

某T園前の映画館へ、少し前に出かけました。午前中だと空いていて、けっこう穴場なんですよね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2018-04-01 12:33) 

ChinchikoPapa

いろいろ戦中・戦後の“黒い霧”が晴れてきますと、児玉機関はむしろ“小物”の小規模機関で、わたしの実家も近い日本橋室町にはもっとも危険な矢板機関が、下落合には荒っぽい仕事を多く引き受けていた柿の木坂機関のボスが住んでいたことが判明し、いまさらながら愕然としています。両機関については、機会があったら再び書いてみたいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2018-04-01 16:34) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2018-04-02 17:13) 

ChinchikoPapa

「詩と思想」は発売時期になると、大学内の生協書店や近隣の大型書店では平積みになっていました。でも、手にするのは「思想の科学」のほうが圧倒的に多かったです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2018-04-08 16:12) 

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