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新発見の『ひるね(弥智子像)』。(下) [気になる下落合]

陽咸二「ひるね」1928_2.JPG
 牙彫(きばほり/がちょう)という職業は、江戸後期から男にとってはあこがれの職業のひとつだったろう。動物のキバやツノなどへ彫刻をほどこす精密細工の修行は、長く厳しいものだったらしいが、いったん技術をマスターしさえすれば、高給を約束された専門職だったからだ。有名な牙彫師に、『金色夜叉』を書いた尾崎紅葉Click!の父親、服部谷斎(尾崎惣蔵)がいる。
 服部谷斎は、高級で好きな仕事を少し引き受けては、芝居に相撲に日本橋・柳橋の料亭にと、年がら年じゅう遊び歩いていた。牙彫師・谷斎の姿を、1952年(昭和27)に住吉書店から出版された、平山蘆江『東京おぼえ帳』から引用してみよう。
  
 岩谷天狗が銀座に赤ぞなへをしてゐる頃、一年両度の大相撲を中心に両国柳橋界隈にも赤いものをちらつかせて名物男といはれた異風人があつた、服部谷斎といふ象牙彫りの名人である、五十前後の小づくりな人物だつたが、いつもいつも緋ちりめんの羽織に、濃みどり太打の丸紐を胸高に結び、扇子をひらつかせて群集の中を蝶々のやうにかけまわつてゐた。/この赤羽織老人こそ、金色夜叉の作者であり、硯友社の領袖であり、明治の文豪と立てられる尾崎紅葉の実父である、(中略) 本業の牙彫りに親しむよりも、恐らく、芝居と相撲の空気の中で、漂々としてくらすのが好きであつたのだらう、時とし牙彫りの刀をとつても、出来上つた作品は金にしようともせず、好きな人には只でやった形跡がある、横尾家に残つてゐる牙彫りの中、竹竿に蝸牛のとまつてゐるうしろざしなど、遉(さす)がに名作といへよう、(カッコ内引用主柱)
  
 おそらく牙彫をめざした陽咸二Click!も、ちまたの牙彫師の優雅な暮らしぶりと、鮮やかな仕事ぶりやカネづかいを見てあこがれたのだろう。いまでも、日本橋界隈には粋な牙彫師の伝説が、根付や錺(かざり)の仕事とともに残っている。牙彫師に限らず江戸東京の高級職人には、このようなエピソードが数限りなく眠っているだろう。
 陽咸二は、彫刻に限らずさまざまなものに興味をもち、凝り性だったものか、とことん突き詰めなければ気が済まない性格だったようだ。前掲の『陽咸二作品集』に収録された、斉藤素巌「陽君を憶ふ」から引用してみよう。
  
 長髪を肩まで垂らし、鉄扇片手に朱羅宇の長煙管を腰に、手製の大きな下駄をはいて、瘠せた肩で風を切つて歩いたのが十五六年前の陽咸二君であつた。/構造社の会員となつてからは、髪も普通にわけ、リユウとした背広で、紅いハンケチを胸ポケットに覗かせた若紳士となつた。(中略) 「軍中膏がまの油」から「八木節」「真田三代記」に「手品」、食ひ物の講釈から植物学?の講義、舞踊の演出(舞踊「鶏」は殊にいゝもので、花柳壽二郎が仁壽講堂で踊つたのが、今でも目に残つて居る)折紙人形と南京豆の彫刻的おもちやは正に堂に入つたもので、松坂屋で展覧会をやつたら、南京豆一個が二円づゝで飛ぶ様に売れた。花も生ければ、鳥も射つ。この四五年は釣と麻雀に凝り切つて居た。酒は大して強くなく、酔へば鎗さびなんかを口ずさみ、帰りの電車は、線路の方へ降りる程度にいゝ気持ちになつた。/君は生粋の江戸ツ子「人混みをこわがつた日には、江戸ツ子はすり切れてしまひまさア」と称し、お祭や縁日が大好き、子供の頃、象牙彫刻師の徒弟だつた頃、両国の花火に見とれて、主人の車を置き忘れて来たといふ逸話がある。/口のわるい事も天下一品で、相手かまわず、当るを幸ひ薙ぎ倒した。然しわる気は微塵もなく、全く五月の鯉の吹き流しであつた。
  
ひるね08.JPG
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ひるね10.JPG
 まるで、うちの母方の祖父(自称:書家/日本画家)の行状を読んでいるような趣味人ぶりだ。彫刻のほかに、露天商のバイ(売)や義太夫か講談、民謡、踊り、舞踊演出、人形づくり、活け花、釣り、狩猟、ゲーム、マジック……となんにでも凝り、おそらくみな玄人はだしの腕(喉)だったのだろう。
 佐伯米子に会いに、久しぶりに土橋際の池田象牙店を訪ねたとき、帝展に背を向けて構造社へ参加する前だった陽咸二は、いまだ直径90cmほどの麦藁帽をかぶり、長髪で鉄扇を片手に腰へ赤い長煙管を指した、異様な風体だったのかもしれない。池田家では、彫刻家になりたいという彼のわがままをかなえ、店から出してやっているところをみると、主人のお気に入りだったものだろうか。店での修行を途中で放りだし、勝手に辞めていった店員にもかかわらず、再び敷居をまたぐことをたやすく許しているところをみると、地場出身でやや間の抜けた気風(きっぷ)のよさと、憎めないサッパリとした気性が、主人や米子にことさら好印象を残しているのかもしれない。
 そんな彼のことだから、おかしなエピソードは山のようにあるようだ。池袋へ出かけようと、高円寺から省線(中央線)に乗り、新宿で乗り換えたら再び高円寺のホームへ降りていた……などという逸話はほんの序の口で、朝倉文夫が長髪を見かねて理髪店へ引きずっていったりと、その種のエピソードには事欠かないらしい。また機会があれば、いろいろと書いてみたいけれど、きょうはひとつだけご紹介するにとどめたい。
  
 陽咸二、酔ぱらつて往来に寝ころび、巡査にとがめられた。『こらこら、貴様は何ちう名前か』 『ヨウ、カンジ』 『何? 羊羹?』 『羊羹ぢやない。ヨウ、カンジだ』 『ヨウとはどんな字か』 『太陽の陽の字だ』 『カンとはどんな字か』 『教育勅語の中にあるミナと云ふ字だ』 『ミナとはどんな字か』 『ミナと云ふ字を知らないのか。貴様は教育勅語も知らないで、よくも巡査がつとまるなア』 こゝで陽咸二、いやと云ふ程巡査になぐられ、病床に伸吟する事三日間、とは変な災難なり。
  ▲
ひるね11.JPG
彌智子192802.jpg
 「何ちう」という方言でも類推できるが、おそらく巡査は薩摩人とともに多かった土佐人だろう。江戸東京とは、なんの縁もゆかりもない人間が高圧的に威張り散らしていた当時、陽咸二は常日ごろからシャクに触ってしかたなかったにちがいない。
 さて、佐伯米子の実家を久しぶりに訪れた陽咸二は、スケッチを終えるとアトリエに帰り、印象が薄れないうちに大急ぎで粘土をこねたか、または池田象牙店を訪れたときたまたま粘土を持っていたか、あるいは銀座の画材店へ出かけ大急ぎで粘土を手に入れてきて、弥智子が目ざめないうちに写したかは不明だが、1926年(大正15)のうちには石膏型を造っているのかもしれない。当初のタイトルは、『ひるね』ではなく『ねむり』としていたのが、『陽咸二作品集』所収の石膏像写真からうかがえる。
 いつかブロンズ像にして、佐伯米子のもとへとどけようとしているうちに、帝展からの脱退に加え、1927年(昭和2)に日名子実三Click!と斎藤素巌が結成した新彫塑団体「構造社」への参加など、身辺がバタバタしているうちに、なんとなくあとまわしになってしまったのではないか。翌1928年(昭和3)の夏、新聞でパリの佐伯祐三と娘の弥智子が死んだことを突然知ることになる。陽咸二は、急いで石膏像『ねむり』を取りだすとブロンズ像に仕上げ、表面にはサインを刻み裏面には「呈佐伯米子氏」と、『ねむり』では死顔のように生々しく感じてしまうため、新たなタイトル『ひるね』、「昭和三年/夏日イル」、そして改めて「陽咸二」とフルネームを書き添えた。
 『ひるね』は、同年中に池田象牙店へととどけられたのかもしれない。下落合の佐伯アトリエClick!には、留守番を頼まれた鈴木誠Click!一家がいまだに暮らしており、佐伯の第2次滞仏作品はすべて外山卯三郎アトリエClick!に集められていたのを、どこかから消息を聞いて知っていた可能性が高い。佐伯米子自身も、大阪で夫と娘の葬儀を済ませたあと、下落合のアトリエではなく実家へしばらく身を寄せることになる。
ねむり(石膏像).jpg
陽咸二アトリエ(降誕の釈迦1929).jpg
 陽咸二が『ひるね』を制作しているとき、はたして佐伯祐三Click!はどこかに出かけて不在だったのだろうか。このふたりが邂逅していれば、なんとなくとぼけた気質や変わり者同士の性格で、かなり気が合いそうな気もするのだが、残念ながら佐伯祐三と陽咸二をめぐる物語は、いまに伝えられてはいないようだ。

◆写真上:1928年(昭和3)の夏に制作された、陽咸二『ひるね』の顔正面。
◆写真中上:ブロンズ像『ひるね』を、さまざまな角度から。
◆写真中下:『ひるね』を下部から眺めたところ。は、1928年(昭和3)2月にパリ郊外のヴィリエ・シュル・モランで撮影された6歳になったばかりの佐伯弥智子。右に立つ足は佐伯祐三で、6か月後にはふたりとも死去することになる。
◆写真下は、おそらく1926年(大正15)にとられた『ひるね』の石膏型『ねむり』。は、1929年(昭和4)にアトリエで『降誕の釈迦』を制作する陽咸二。


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読んだ! 31

コメント 34

ChinchikoPapa

アルバムジャケットが、いかにも70年代後半のデザインで懐かしいですね。「夏子の夏」の化粧品ポスターを思い出します。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2016-08-25 17:49) 

ChinchikoPapa

壁面には落書きと雑多なポスターが、相変わらずベタベタと貼られていますね。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2016-08-25 17:51) 

ChinchikoPapa

最近、ニュースを見ると「怒り」モードになりがちですので、つとめて見ないようにしています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>しゅわっちさん
by ChinchikoPapa (2016-08-25 17:53) 

ChinchikoPapa

聞きしにまさる、ロンドンのどんよりとした空ですね。これで肌寒かったら、憂鬱になります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2016-08-25 17:57) 

ChinchikoPapa

「おでんくん」に似ているという兒玉遥を、逆に見たくなりました。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2016-08-25 18:01) 

ChinchikoPapa

蚊にはやっぱり、純正な除虫菊成分の蚊取り線香がよくききますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>AKIさん
by ChinchikoPapa (2016-08-25 18:03) 

ChinchikoPapa

きょうは過ごしやすかった夏が一転、暑い1日でした。セミ時雨が力を盛り返し、ひときわ高く鳴いてますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
by ChinchikoPapa (2016-08-25 18:05) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>剛力ラブさん
by ChinchikoPapa (2016-08-25 18:06) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございます。>mangaharaさん
by ChinchikoPapa (2016-08-25 18:06) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>nandenkandenさん
by ChinchikoPapa (2016-08-25 18:23) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>HAtAさん
by ChinchikoPapa (2016-08-25 18:29) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>コミックンさん
by ChinchikoPapa (2016-08-25 18:30) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2016-08-25 18:31) 

ChinchikoPapa

醸造アルコールが添加されていると、やはり手が出にくく感じてしまいます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2016-08-25 23:11) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>DorakenBeginnerさん
by ChinchikoPapa (2016-08-26 00:38) 

ChinchikoPapa

幸いなことに、クライアントのICTベンダー各社には「口だけおっさん社員」はおらず、打ち合わせがとてもスムーズに感じます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2016-08-26 12:58) 

ChinchikoPapa

ラフォーレの風船オブジェは、かなり手間ヒマのかかる徹夜仕事だったでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2016-08-26 13:01) 

ChinchikoPapa

三味のバチも、象牙細工のひとつでした。バチの中には、象牙と鼈甲とを貼り合わせた、凝ったつくりのものもありますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2016-08-26 17:08) 

ChinchikoPapa

笙を逆さまにしたようなサンポーニャは、哀愁のある独特な音色がしますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>hirometaiさん
by ChinchikoPapa (2016-08-26 20:03) 

ものたがひ

落合道人さま、こんばんは。陽咸二と佐伯祐三、私もなんだか気が合いそうに思います。w
そして「ひるね」を制作したのは、案外、下落合の佐伯アトリエなのではないかと空想しています。前髪の短い弥智子の年頃は、1926年秋の佐伯夫妻の二科賞受賞と入選が決まった頃に近いように感じます。咸二は米子の入選を祝って、アトリエにやって来たりはしないでしょうか。ふらっと来て、記念になにか贈りたいと言うと、それじゃ、弥智子の像を作って下さる?という話になったのです。佐伯のアトリエには、彫塑をかじっていた頃の道具や材料一式が片隅にあり(佐伯は、思うように扱えない粘土に業を煮やし、ライフマスクに転進したりしましたが)、でも、粘土を練っているうちに弥智子ちゃんは寝てしまい、「ひるね」が出来上がったのでした。ところが、構造社のことが動き出すは、佐伯たちは渡仏してしまうはで、鋳造は遅れたのでした…。^^;;
by ものたがひ (2016-08-26 22:53) 

ChinchikoPapa

ものたがひさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
おっしゃるとおり、陽咸二が佐伯アトリエを訪ねた可能性もありますね。ただ、その想定をあえてしなかったのは、佐伯が第2次滞仏から帰った当時、アトリエには「人の目」がかなり多かったのではないかとの推測が働いたからでした。
つまり、1930年協会を旗揚げして以来、また二科賞を受賞してからというもの、よけいに誰かしら友人や近所の知人たちがアトリエを訪問して、常に誰かがいた(制作をしていた)……というような状況だったのではないか。もし陽咸二が訪ねたとき、たまたま誰もいなかったにしても、「彫刻家が訪ねてきて娘の彫刻をこしらえた」というエピソードは、友人知人の誰かに伝わって、今日、証言として残ったはずではなかったか……という想いがあったからでした。
そのような伝承やウワサが、どこからも聞こえてはこず、また陽咸二の名前はもちろん、「弥智子の彫刻」の片鱗すら伝わっていなかったということは、そして佐伯祐三と陽咸二の関係がどこにも証言として残っていないということも含め、下落合のアトリエではなく、土橋の池田家のほうで起きたエピソードではなかったか……という推測につながったしだいです。しかも、もともと勤めていた池田象牙店のほうが、陽咸二にしてみれば訪問しやすい“場所”だったようにも感じました。
by ChinchikoPapa (2016-08-26 23:57) 

ChinchikoPapa

そういえば、近ごろオオスカシバを見かけませんね。昔は、甘い花の蜜を吸う姿を、あちこちで見かけたのですが。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2016-08-27 13:37) 

ChinchikoPapa

錦織選手が出るP&GのCMが、ちょっと苦手ですね。「おかあさんのおかけでボクが…」などと、小中学生のガキじゃないんだから「母のおかけでわたしが」「お袋のおかげでオレが」だろう、マザコンか?…と、非常に気持ちが悪くなります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うまかモン。さん
by ChinchikoPapa (2016-08-27 13:46) 

ChinchikoPapa

確かに芸術家や表現者は、誰にでもめざせそうな仕事ですが、それで食べられるようにならなければプロとはいえないんでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2016-08-27 21:30) 

ChinchikoPapa

バルトーク嫌いの親でしたので、1950~60年代に録音されたLPは確か1枚も家にはなかったですね。ベートーヴェンのハンガリーQは、はたして棚にあったんだろうか…。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>lequicheさん
by ChinchikoPapa (2016-08-28 00:14) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん

by ChinchikoPapa (2016-08-28 21:07) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2016-08-28 21:47) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>クッキーさん
by ChinchikoPapa (2016-08-31 17:36) 

ChinchikoPapa

LEDではない照明は、とうとうキッチンとわたしの枕もとにあるスタンドのみになりました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2016-09-03 15:05) 

ChinchikoPapa

デッキに天幕を張った下でのワインパーティ、うらやましいですね。潮風とワインの香りが溶け合って、独特な風味ではないでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2016-09-03 16:46) 

ChinchikoPapa

京都も、そろそろ涼しくなってきたでしょうか。こちらは、秋めいた風が吹く1日でした。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2016-09-11 17:18) 

ChinchikoPapa

戦前や戦後すぐのころの、地域を写した映像はとても貴重ですね。こちらの地域では、戦災で焼かれてしまったものも多いでしょうが、眠っている貴重な資料もあるのではないかと思います。フィルムの耐久年数の課題もありますので、少しでも早いデジタル化が必要かと思いますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2016-09-19 17:07) 

光紀

これまた珍しいモノが出てきましたね〜
佐伯の描いたヤチちゃんは印象派風以外のはちょっと怖いwですもんね。
複製できるのなら光徳寺に寄贈してあげられませんか?
佐伯のライフマスクだけであとは何も残っていない寺にヤチちゃんもお父さんの側に行きたいだろうですし…

話は変わりますが、全集に載っていない落合風景見つけたんですけど、スキャンして送りましょうか?白黒ですが。
by 光紀 (2016-09-25 22:13) 

ChinchikoPapa

光紀さん、コメントをありがとうございます。
佐伯祐三のご遺族から、おそらく新宿歴史博物館へ正式に要請されれば、おそらく複製はOKではないかと思います。もとの石膏像は、戦災で失われているのか残っていないようですので、現状のブロンズ像からの複製となり、少し時間がかかるかもしれませんが……。
新宿歴博でも同じことを考えられていて、現在、佐伯祐三アトリエ記念館に展示されているライフマスクの横に、『ひるね』を寄り添わせて展示しては……というアイデアが出ているようですね。
『下落合風景』、ぜひ拝見したいです。モノクロでも、佐伯のデッサンや3D空間の把握は卓越して正確ですので、なにか特徴のある道筋や建物があれば、特定できる可能性が高いですね。ご面倒でなければ、お送りいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

by ChinchikoPapa (2016-09-25 22:30) 

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