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下落合で「狂い死に」した近藤芳男。 [気になる下落合]

目白通り彝アトリエ.JPG
 落合地域には、すでに名を成した誰もが知る芸術家たちが数多くアトリエをかまえていたが、もちろん東京美術学校Click!を卒業して間もない画家の卵や、「さあ、これから!」というときに病気で夭折した画家たちも大勢暮らしている。きょうは下落合に住み、曾宮一念Click!に画道具の買い方を教えてくれた、彼より2年先輩の洋画家・近藤芳男について書いてみたい。
 近藤芳男は、美校研究科在学中から光風会展に出品し、1912年(明治45)の第1回展で今村奨励賞を受賞している。つまり、近藤芳男もまた中村彝Click!曾宮一念Click!と同様に、成蹊学園の中村春二Click!を通じて今村繁三Click!の支援を受けていた画家のひとりだ。2007年(平成19)に東京藝術大学で開催された「自画像の証言」展図録に、近藤の自画像が収録されているが、メガネをかけ痩せぎすで神経質そうな風貌をしている。
 東京美術学校へ入学したてのころは、しばらく石膏室Click!でデッサンの実技を繰り返し勉強するので、絵の具やパレットなどの画道具を持たない学生も多かった。曾宮一念もそのひとりで、入学後しばらくしてから課題の必要に迫られて、ようやく画道具を買い揃えている。そのとき、画材の揃え方について買い物のアドバイスをしてくれたのが、2年上のクラスにいた近藤芳男だった。
 曾宮が紹介されて出かけた画材店とは、神田の文房堂か隣接する竹見屋、または丸善神田店のいずれかだったと思われるが、関東大震災Click!ののち、画材を揃えるのにもっとも便利な美校校門前の浅尾沸雲堂Click!は、いまだこの時期には開店していない。曾宮と近藤は、すでに以前から水彩画会を通じて顔なじみだったようだ。
 そのときの様子を、1985年(昭和60)に文京書房から出版された、曾宮一念『武蔵野挽歌』から引用してみよう。
  
 五月第二週から半月、風景競技でデッサンは休みとなり好きな風景を描けるのは有難かった。しかし英語と体操に週四度出席は有難からず、油画の道具を持たないので、水彩画会で知り合いの近藤芳男が二年上にいたので、買い方を聞いて買いに行った。十円で、箱、絵具、筆、油、カンバス、筆洗一揃を買って帰宅し、すぐ夏蜜柑とリンゴを四号に描いた。案外油画は便利なものだと喜んだ。この処女作は今もって行方不明である。
  
 曾宮一念はデッサンの授業が苦手だったらしく、早くキャンバスに向かって油絵を描きたかった様子が伝わってくる。授業の中に「英語」が出てくるが、美校の洋画を志望する学生は、ほとんどがフランス語を選択したので、英語を選んだ学生は曾宮を含め同じクラスでわずか3人しかいなかった。このとき、美校で英語の教師をしていたのが森田亀之助Click!で、教科書には彫刻家の『フランソワ・リュード伝』を用いている。佐伯祐三Click!に英語を教えたのも森田亀之助だが、彼は曾宮や佐伯がアトリエを建てて暮らしはじめるよりも、かなり早くから下落合に住みはじめている。
目白通り1930.jpg
目白通り1933.jpg
 美校の学生を終えた近藤芳男は、このあと研究科に残って制作をつづけていたようだが、このころから異常な様子や行動が見えはじめていたらしい。研究科の教授たちも、彼をもてあましていたようだ。同じ水彩画会に属する曾宮一念に会っても、彼を誰だか認識できなくなっていた。
 近藤芳男が、いつ家族とともに下落合で暮らすようになったのか、その経緯はまったくの不明だ。曾宮一念は、近藤の消息をのちに下落合で聞くことになる。それは、近藤がすでに「狂い死に」したあと、中村彝アトリエClick!でいっしょになることが多かった、鈴木金平Click!を通じてだった。前掲書から、つづけて引用してみよう。
  
 水彩画会の先輩近藤芳男に油絵具の買い方を聞いたことは先に記した。この近藤は大正三年卒業後研究科にいたので、私と顔を合わせたが口もきかず横向いて私を逸した。身体がひどく痩せていた。光風会に裸婦の大作が出ていたのを私は感心して見ていると、彼の親しい教授小林万吾がいて「近藤には大いに困っている」とだけ漏らした。その裸婦は色も良く達筆な力作だがどこか不気味さに満ちていた。その後のある日、落合で鈴木金平に会うと、「いま近藤芳男の家の前で屑屋からこれを五円で買った」と言って絵具箱と十数点の画布を見せた。裸婦や静物が例の流動的な筆で描かれて、何か異常な匂いがあった。近藤は結核が脳に来て狂い死にしたので、家族が遺作を売り払ったことがわかった。
  
 近藤芳男は、1917年(大正6)に死去しているので、このときの鈴木金平は中村彝アトリエのすぐ北側、清戸道(現・目白通り)に面した藁葺家の2階を借りて住んでいたころのことだろう。つまり、鈴木金平の文章から近藤芳男の家は、目白停車場から中村彝アトリエの近くへといたる、どこか途中にあったのではないかと想定することができる。このとき、曾宮一念はまだ下落合に住んではおらず、おそらく中村彝を訪ねて鈴木金平に出会ったと思われるのだ。
 すでに研究科にいたころから、近藤芳男は曾宮一念の顔を認識できなかった様子なので、結核菌が脳に入って炎症を起こす結核性髄膜炎により、重度の記憶障害を起こしていたことがうかがえる。症状としては、焦燥感をともなう認知症のような状態がつづき、ストレプトマイシンが存在しない当時としては手の打ちようがなく、文字どおり「狂い死に」のようなありさまだったのだろう。
 いろいろ探してはみたものの、近藤芳男の作品は東京藝大の美術館に保存されている『自画像』の1点を除き、まったく発見することができなかった。ひょっとすると鈴木金平か、あるいは家族が遺作の一部を自宅に保存しつづけ、その後、どこかへ伝わっているのかもしれないが、「何か異常な匂い」のするそれらの作品は、もはや行方不明で目にすることができない。
近藤芳男1914.jpg 自画像の証言2007.jpg
 さて、曾宮一念は妙正寺川をはさみ、下落合のすぐ西に隣接して住む、耳野卯三郎Click!のアトリエについても貴重な証言を残している。耳野は、雑司ヶ谷のアトリエから下落合を飛びこえ、大正末から上高田421番地にアトリエをかまえていたのだが、これは上高田422番地の甲斐仁代Click!中出三也Click!が暮らしていたアトリエのすぐ隣りの地番だ。甲斐・中出アトリエClick!は、二科の洋画家・虫明柏太が34歳で死去したあと、未亡人からそのアトリエを借り受けて住んでいたものだが、その隣接する区画、つまり妙正寺川に架かる北原橋の西詰めには、ほかにもアトリエが建ち並んでいた様子がうかがえる。曾宮一念の前掲書から、引用してみよう。
  
 耳野卯三郎の家の近くのこの川を私は幾度か描いた。画を描きながら泳ぎ好きの私は飛込みたくなったのに、戦後耳野を訪ねて川辺を通ると泥みぞと化し、猫の死体からボロ蒲団まで捨てられて、呼吸をとめて歩くほどに汚れていた。私は日本人慢性の悪癖を嘆いた。私が落合川と名付けた川は落合から関口の幽邃(ゆうすい)な崖下で渓谷風景をつくり、その西側には大きな筧が道の上に釣られて水車を廻していた。
  
 曾宮一念が描いた妙正寺川の風景作品を、わたしはまだ一度も観たことがない。おそらく、当時の妙正寺川沿いの風景は鈴木良三Click!が描く『落合の小川』(1922年)や、林武Click!の『下落合風景(仮)』(1924年)のような風情だったので、同じような画面だと思われるのだが……。
 曾宮もまた、旧・神田上水(現・神田川)のことを「落合川」と呼んでいたのがわかる。耳野卯三郎は、大正末から戦後の1960年代まで上高田421番地に住んでいて、曾宮が訪ねたのは妙正寺川が腐臭漂うドブ川となっていた、1960年代ではないかと想定することができる。耳野アトリエの住所は、大正期の上高田421番地から昭和初期には上高田2丁目421番地、戦後の1960年代には上高田5丁目11番地と変化しているが、北原橋西詰めの位置を動いてはいない。
妙正寺川セキレイ.JPG
耳野卯三郎「鞦韆」1936.jpg キンダ―ブック「ぞうさん」1950.jpg
 曾宮一念が嘆いた「落合川」=神田川の汚濁だが、いまでは澄んだ川面をアユがさかのぼってくる様子を見たら、どのような感慨を書きとめるのだろうか? もう一度、神田川や妙正寺川を描きたくなり、幼いころから夏になると日本橋浜町も近い隅田川の水練場Click!で泳ぎを練習したであろう曾宮一念は、「飛込みたく」なるだろうか?

◆写真上:鈴木金平が借りていた、藁葺き2階家があったあたりの目白通りの現状。
◆写真中上は、1930年(昭和5)ごろに撮影されたダット乗合自動車Click!が走る目白通り。左手につづく塀は目白福音教会Click!の敷地と思われ、右手に写る「〇鳩時計店」については不明だ。は、1933年(昭和8)に撮影された目白通り。
◆写真中下は、1914年(大正3)に制作された20代半ばで病没する近藤芳男『自画像』。は、東京藝術大学美術館に保存されている明治期から現代までの自画像を集めた「自画像の証言」展図録(2007年)。
◆写真下は、妙正寺川の近影で中央に飛んでいるのはセキレイ。下左は、1936年(昭和11)に制作された耳野卯三郎『鞦韆(しゅうせん)』。下右は、戦後は児童書の挿画家としても活躍した耳野卯三郎の表紙絵で、1950年(昭和25)にフレーベル館から出版された佐藤義美・他による『キンダ―ブック/ぞうさん』。
舟木力英さんが、この記事を引用されながら中村彝の書簡について、興味深い文章を書かれています。詳細はこちらClick!へ。


読んだ!(41)  コメント(58)  トラックバック(1) 
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読んだ! 41

コメント 58

古田宙

セキレイがふえたのでしょうか。オトメヤマ公園でもしばしば見掛けるようになりました。川が綺麗になったのは大歓迎ですね。渡り鳥の鴨も沢山来るようになったし。インコが跋扈、というのも新しい事態でしょうか!
by 古田宙 (2016-01-31 11:04) 

アヨアン・イゴカー

>耳野卯三郎『鞦韆(しゅうせん)』
こちらで初めて知りましたが、懐かしさを感じさせる味わい深い絵ですね。
by アヨアン・イゴカー (2016-01-31 16:39) 

ChinchikoPapa

数日前に知り合いと、問題意識や課題把握の形成力や、それに対する批判力がものすごく落ちてるよね……と話したばかりでした。書かれているように、学校のお勉強がよくできて「高学歴」でも、非常に視野が狭く稚拙で、情けないほど幼稚っぽい子が増えているような気がします。もっとも、年を重ねているからそう感じるのかもしれませんが。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 17:28) 

ChinchikoPapa

現代のLEDには感じませんが、真空管や電球には神秘的な美しさや不思議さが宿りますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 17:31) 

ChinchikoPapa

端正な姿の宝篋印塔ですね、室町ぐらいはあるのでしょうか。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 17:33) 

ChinchikoPapa

七尾湾に展開する農漁業の兼業地域は、限りなくゼロメートルに近いように見えますが、近世に入って津波が発生したことはあるんですかね。東京湾の津波からの避難が、ようやく「東京防災」BOOKで初めて具体的かつ危機的な記述がなされたばかりです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 17:41) 

ChinchikoPapa

ご訪問と、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 17:48) 

ChinchikoPapa

子どものころからムジナ坂は大岡昇平がらみで、何度か上り下りしてますので懐かしいです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 17:53) 

ChinchikoPapa

ロリンズの『Village Vanguard 1』も、学生時代にDiskUnionでジャケットの端が欠けた安い輸入盤LPを手に入れた記憶があります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 17:57) 

ChinchikoPapa

やはり、写真をつい拡大してしまいます。ww
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>Ujiki.oOさん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 17:58) 

ChinchikoPapa

古田宙さん、コメントをありがとうございます。
セキレイは、東京の河川沿いのあちこちで頻繁に目にしますので、急激に増えているのではないかと思います。おとめ山や落四小界隈でよく見るのは、羽がグレーのハクセキレイですが、妙正寺川沿いではセグロセキレイも見かけますね。
緑色のインコのつがいは、10年以上前から薬王院や野鳥の森公園の界隈でよく見かけていましたので、こちらも知らないうちに繁殖しているのでしょうか。なにか人間の言葉を憶えて、閉園したおとめ山公園から「人声」が聞こえたりすると、怪談話が生まれそうですね。ww
by ChinchikoPapa (2016-01-31 18:06) 

ChinchikoPapa

先年、鎌倉の神奈川県立美術館は立ち寄ったばかりですが、当分は別館と葉山館で事業をつづけるのでしょうか。収蔵品の保管スペースが、ちょっと心配ですね。いっそのこと、本館を県央にもってくるという方向性もありそうですが…。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 18:14) 

ChinchikoPapa

こちらでは、キンクロハジロを頻繁に見かけますけれど、ホシハジロはあまり見ないですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 18:15) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントをありがとうございます。
わたしも子どものころに、このような表現をどこかで見かけていたものか、具体的な記憶ではない懐かしさをおぼえますね。なにかの絵本で記憶にあるのかもしれませんが、同分野の仕事もこなしていたので、耳野作品だったのかもしれません。
by ChinchikoPapa (2016-01-31 18:25) 

ChinchikoPapa

子どものころ、母親に名画座で見せられた映画にグレゴリー・ペックの『白鯨』がありましたけれど、「面白いよ」というわりにはピンとこなかった憶えがあります。あれも、グレゴリー・ペックのファンだった母親が観たかったのでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>月夜のうずのしゅげさん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 21:21) 

ChinchikoPapa

19度の日本酒というのは、おそらく飲んだことがないと思います。やはり、添加のアルコール臭が気になるでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 21:28) 

ChinchikoPapa

菜の花が咲きはじめると、スギ花粉を気にする季節が近いと感じます。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 21:35) 

ChinchikoPapa

「あざッス」は、周囲の若い男の子たちにつかわれて、もう馴れてしまいました。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 21:39) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ライトさん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 22:13) 

ChinchikoPapa

きょうは街を散歩しましたが、出会ったのは鳥ではなくうなぎでした。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>讃岐人さん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 22:46) 

ChinchikoPapa

銀行は、生き残りに必死ですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>剛力ラブさん
by ChinchikoPapa (2016-01-31 23:27) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ba42381さん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 00:31) 

ChinchikoPapa

モノに対するやさしさや哀れみは、大なり小なり誰もがもっている忙しくて忘れがちな眼差しですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>粋田化石さん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 16:24) 

ChinchikoPapa

現金授受の金額が、受け取った当人と建設会社の間で大きく乖離してますね。「辞めた」から事件はなかったことにはならないと、現政権は認識してるんでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 16:29) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yohtamboさん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 16:30) 

ChinchikoPapa

『愛と死を見つめて』はTVで観た記憶がありますが、F.レイの音楽が有名な『ある愛の詩』は、一度も観たことがありません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tommy88さん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 16:33) 

ChinchikoPapa

6個入りの「ふくふく」というのが、気になりますね。w
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>banpeiyuさん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 16:35) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>コミックンさん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 16:36) 

ChinchikoPapa

身体が鍛えられて気持ちよさそうですね、ハムスターホイール。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>mentaikoさん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 16:40) 

ChinchikoPapa

ネコを1箇所に集めておとなしくさせようとしても、ムリですね。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>宝生富貴さん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 16:41) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>モグラたたきさん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 16:44) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>shingekiさん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 16:46) 

ChinchikoPapa

毛のないネコは、やはり気持ちが悪いです。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dougakunenさん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 16:48) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>mangaharaさん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 17:12) 

pinkich

いつも楽しみに拝見しております。耳野卯三郎のアトリエは上高田にあったのですね。以前ギャラリー内田で宮本恒平が耳野卯三郎のアトリエを描いた昭和19年の作品を見たことがありましたが、どこかかなり郊外の風景かと思いきや、上高田の風景だったわけですね。ギャラリー内田の以下のホームページにアーチストで宮本恒平を選択すればこの絵を見ることは可能ですが、戦前はかなり長閑な風景だったのでしょうね。http://galleryuchida.noor.jp
by pinkich (2016-02-01 18:44) 

ChinchikoPapa

pinkichさん、コメントをありがとうございます。また、貴重な情報をありがとうございました。
ギャラリー内田の『画兄のアトリエ』は、画面が小さくて見えにくいのですが、上高田403番地にある光徳院北側の丘上に上り、どうやら南南東を向いて耳野卯三郎アトリエを描いているようですね。
1945年ということですから、上高田のバッケが原は一面にススキが生い繁り、その中を妙正寺川が流れているはずですが、遠景がよくわからないのが残念です。実際の画面を観てみたいですね。w

by ChinchikoPapa (2016-02-01 21:12) 

ChinchikoPapa

樹木の疎密と苔が映える、ひんやりしそうな美しいお庭ですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 21:15) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kurichannさん
by ChinchikoPapa (2016-02-01 22:50) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございます。>ままさん
by ChinchikoPapa (2016-02-02 09:50) 

ChinchikoPapa

今年に入って、街中で聞く外国語の声も少なくなっています。やはり、いまは日本の厳冬期なので旅客も減ったのでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2016-02-02 09:52) 

ChinchikoPapa

1981年の復帰のとき、スタジオでリハーサルするマイルスのショットが米国の報道機関に流れましたけれど、その横にピンボケで写るG.エバンスの姿を見つけて驚いた記憶があります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>lequicheさん
by ChinchikoPapa (2016-02-02 14:37) 

Marigreen

私は下の「キンダーブック」が懐かしかったです。あの挿絵は誰が描いていたものでしょうか?
by Marigreen (2016-02-02 16:13) 

ChinchikoPapa

Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
ここに掲載しているゾウが表紙の動物編は、少なくとも耳野卯三郎ですが、ほかには誰が描いていたんでしょうね。
いま、BSで黒柳徹子の「コドモノクニ」(水曜22:00~)が放送されていますが、同絵本の挿画家がときどき紹介されて、ちょっと面白いです。
by ChinchikoPapa (2016-02-02 16:40) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>まおたさん
by ChinchikoPapa (2016-02-02 16:40) 

pinkich

ありがとうございます。実物を拝見した記憶では、背景に川は流れていなかったような気がします。枯木に黒い鳥がとまっていて、ブリューゲルの作品のように長閑な風景でした。敗戦が濃厚な時期にこのような絵がよく描けたなと感心しました。近藤芳男は、美校では小出楢重や遠山五郎と同窓ですね。それにしても、近藤芳男の死とともに作品や油彩道具がクズ屋に二束三文で売られてしまうなどご遺族の方もなぁーとボヤいてしまいますね。
by pinkich (2016-02-02 18:44) 

ChinchikoPapa

pinkichさん、コメントをありがとうございます。
当時の妙正寺川は小川ですので、渇水期だとススキ原に隠れて見えないか、あるいは川が存在しなければ、北側の丘上から南南東ではなく、真南を向いて描いているのかもしれないですね。
近藤芳男の遺族の方たち、ちょっと酷いですね。彼が活きた証しが、わずかに残された作品の数々だったでしょうに……。でも、当時の「画家」という職業に向けられていた世間の「常識的」で冷ややかな視線が、なんとなく窺い知れるエピソードです。
by ChinchikoPapa (2016-02-02 20:42) 

ChinchikoPapa

カワセミは、ずっと見ていても飽きないですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>足立sunnyさん
by ChinchikoPapa (2016-02-03 23:05) 

ChinchikoPapa

日比谷公会堂は前を通るのですが、つい中へ入り忘れています。耐震工事前の姿は3月末までですね、忘れないようにしないと。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2016-02-06 20:13) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2016-02-06 21:21) 

sig

日比谷公会堂の事務所の方のお話は不明確でしたが、2/22の大月みやこショー終了後はパーラーを含めて閉館のようです。その後、外観の目隠しなどはどうなるか、まだ決まっていないようでした。
by sig (2016-02-08 16:16) 

ChinchikoPapa

sigさん、重ねて情報をありがとうございます。
パーラーは、2月中旬までと考えておいたほうが良さそうですね。先年、新宿区役所の老朽化と耐震化の工事では、建物全体を養生で囲んで行われていましたので、現状のままの外観が見られるのも、2月いっぱいかもしれないですね。ありがとうございました。
by ChinchikoPapa (2016-02-08 17:44) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>suzuran6さん
by ChinchikoPapa (2016-02-16 21:47) 

舟木力英

Twitter@tikaratoでTweetさせて頂きました。ほとんど知られていない画家についての興味深い内容、ご紹介ありがとうございました。彝関連の年譜では、近藤芳雄はすでに大正5年の春には発狂自殺したことになっていますが、小生にはまだ確認できていません。(書簡では「知友」とされており、名前は伏せられていますので。)彝は大正4年におそらくこの画家のことと思いますが、その<発狂>を気にかけていたと見られます。
by 舟木力英 (2016-03-08 20:56) 

ChinchikoPapa

舟木力英さん、ごていねいにコメントをありがとうございます。
東京藝大にある資料ですと、1917年(大正6)に死去と記録されているようですね。藝大美術館が刊行した上掲の図録にも、そのように記載されていました。ただし、藝大の記録が誤っている可能性もありそうですね。前年に死去したのを、翌年になって死去が判明して記録したのかもしれません。
鈴木金平関連の資料でも、なにかわかるかもしれませんね。ちょっと、注意してみたいと思います。

by ChinchikoPapa (2016-03-08 21:57) 

舟木力英

詳細とされている彝年譜にも訂正すべき箇所や私には根拠不明の箇所がありますので私も近藤について注意したく思っています。いずれにせよC_papaさんが近藤について注意を促してくれたことはとても有意義なことと感じています。
by 舟木力英 (2016-03-09 13:20) 

ChinchikoPapa

舟木力英さん、わざわざコメントをありがとうございます。
ときどき、画家を回想する記録や資料で、わたしも年代的な齟齬や不一致を感じることがあります。そのようなケースでは、けっこうひょんなことから時期の特定ができたり、年月日が判明したりしますので、ちょっとした些細な情報でも軽視できないですね。
by ChinchikoPapa (2016-03-09 18:54) 

pinkich

いつも楽しみに拝見しています。宮本恒平のくだんの絵は、現在、いのは画廊の画楽市に出品されています。ホームページに画像もアップされています。上高田の終戦間際の光景かと思われます。
by pinkich (2016-05-15 14:10) 

ChinchikoPapa

pinkichさん、コメントをありがとうございます。
画面を見ると、1945年(昭和20)1月に描かれた雪景色のようですね。
手前の下見板張りの住宅が耳野アトリエだとすると、当時はいまだ粗末な板橋だった北原橋は、画面の左手になりそうです。冬枯れの上に降り積もった雪原一帯は、耕地整理が終わったバッケが原ということになりますね。 二度にわたる山手空襲の3~4ヶ月前の情景で、少し前まで画面奥に連なる丘の北向き斜面下には、秋山清が経営していた500坪の「ヤギ牧場」があったはずです。

by ChinchikoPapa (2016-05-15 23:01) 

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