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目白の怖い夜。 [気になるエトセトラ]

関口町.JPG
 三岸節子Click!に連れられ、鷺宮の第一アトリエClick!から西武電鉄Click!高田馬場駅Click!へと出て、駅前から市電に乗り換え江戸川橋で下りると、暗闇の新目白坂を母子4人で上っていった長女・陽子様の、1931年(昭和6)12月の大晦日も近い夜の証言から、まず聞いてみよう。
  
 (三岸好太郎と吉田隆子が)ふたりで、死のうとしたの。それでお母さん(三岸節子)が、取り返すのに子どもを3人連れて(新目白坂を)歩いていったの。「そんなことして、この子どもたちをどうするんだ!」っていって、がんばったわけ。それで止めたの。あのとき、(母の)歩き方がねえ・・・。みんな、やっぱり(子どもたちは)怖いのね、夜だし。それを引きずってさ、あのときはお母さんも凄かった。でも、初めて音楽を聴いたのが、あの人(吉田隆子を通じて)が初めてなんだから。それで、(吉田隆子に)連れてってもらったオーケストラを見て、あの『オーケストラ』の絵を描いたの。もう、音楽に心を入れちゃったわけ。 (カッコ内は筆者補註)
  
 1930年(昭和5)1月、三岸好太郎Click!は同じ札幌出身で後輩の洋画家・久保守の渡欧送別会に出かけて、音楽家をめざす吉田隆子と出会っている。隆子は、高輪(のち大久保百人町)の裕福な陸軍中将の家に生まれ、なに不自由なく育ったいわゆる乃手Click!の“お嬢様”だった。当時、花嫁修業に必要な習い事をすべて拒否し、ピアニストか音楽家になりたくて家族じゅうの反対を押しきり家を出ている。このあたり、同じく裕福な資産家の家に生まれ、洋画家になりたくて両親の猛烈な反対をふりきり、東京へやってきた吉田節子Click!(三岸節子)とそっくりだ。それぞれの伝記を読むと、吉田節子と吉田隆子は性格までが似ているような気さえしてくる。
 三岸好太郎と吉田隆子は、連れ立ってコンサートを聴きにいくうちに、ほどなく恋愛関係になった。好太郎の作品にも、1930年(昭和5)の『黄服少女』をはじめ、明らかに隆子を描いたと思われる人物画が登場してくる。のちに、おそらく日本で初めてオーケストラを指揮した女性となる吉田隆子は、好太郎を近衛秀麿Click!が率いる新交響楽団Click!の定期コンサートへ頻繁に誘ったようだ。余談だけれど、当時のオーケストラ編成は新響の写真を見ても、また三岸好太郎の『オーケストラ』(1933年)を見ても明らかなように、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンとが左右に分かれる、いま風な表現をするなら、いわゆる「マーラー演奏」型の構成だった。
 三岸節子は、吉田隆子が小石川区関口町にアパートを借りる前、まだ目白台の叔父の家で暮らしていたとき会いにいき、彼女を引っぱって鷺宮の第一アトリエへと連れてきている。病気がちな義母と結核の義妹、手術を終えたばかりの長女・陽子様が寝こみ、幼いふたりの子どもがいる三岸家の窮状をじかに隆子へ見せ、夫と別れてくれと頼みこんだ。でも、ふたりは別れなかった。吉田隆子が、鷺宮の第一アトリエを訪れたときの様子を、1989年(昭和64)に講談社から出版された林寛子『三岸節子 修羅の花』から引用してみよう。「Y」と表現されているのが吉田隆子だ。
  
 Yが私の家の暮らしぶりを見てびっくりするだろうと思いましたけれども、彼女はニヤニヤしているだけなんです。あの当時の、最も新しいタイプの女でした。/帰ると言って、帰って行きました。/好太郎はその日、独立美術の生徒を見てあげるために留守でしたが、結局、夜になっても帰りませんでした。鷺宮の駅でYが待っていて、連れて行ってしまったんです。
  
椿山1.JPG 椿山2.JPG
関口町1936.jpg
 そのうち、三岸好太郎は1週間だけ吉田隆子といっしょに暮らしたい・・・などといって家を出たが、7日がすぎてももどってはこなかった。ふたりの危うい様子を察した節子は、当時、帰国してやはり目白にいた久保守へ、ふたりの様子に注意するよう依頼している。三岸家では、年末の集金人がひきもきらずに押しかけ、三岸節子はまったく途方に暮れていた。正月に作る、雑煮用の餅も買えないありさまだった。長女・陽子様が記憶される「目白の夜」を、1969年(昭和44)に出版された田中穣『三岸好太郎』(日動出版)に記録された、今度は三岸節子の証言から聞いてみよう。
  
 その日は大晦日でしたか、それとも、その一日前のことでしたか? 地図をたよりに江戸川橋から目白台をあがってゆきました。いまは椿山荘のある坂の右手の、佐藤春夫先生のお宅の近くだったように記憶していますね。三岸がかいていった通りの二軒長屋があって、まちがわぬようにことさら三岸が図に指定しておいた側の玄関に声をかけたのです。/が、返事はないんです。/手をかけると、スルスルとあいて、そこには霜どけのよごれが厚くこびりついた三岸の靴と、女ものの靴が片すみにぬぎ捨てられたままです。その冷えきったしずけさに、奇妙に背筋が寒くなってきて、と、なにか大変なことが起きているように、私には感じられてきて。/これも、直感なんでしょうね。/私は、あがりこんだあと土足に気がついたくらい、あわてて、ふすまをあけ、室のなかを覗きこみました。/頭からすっぽりとかぶったふとんのなかに、二つのからだが、しっかりと抱きあっていました。(中略) 手遅れだった!/ふとんをめくりあげてみますと、ひたいとひたいとを触れあったふたりの顔は、すでに蒼白に、硬直しているかのように見えたのは錯覚でした。よく見ると、ふたりはまだたしかに呼吸しているようなのです。/そのときでした。/うすく目をひらいた彼女が、私を見あげて、私とはっきりわかったのでしょう、笑いだしたのです。
  
 正確にいうなら、三岸節子がいう椿山Click!の藤田邸(現・椿山荘)へとのぼる坂道は新目白坂であり、このとき椿山につけられていた地名は「目白台」ではなく「関口台町」、佐藤春夫Click!が住んでいたところは小石川区関口町にあたる。佐藤邸の周囲は、奇跡的に戦災からまぬがれており、現在でも大正末から昭和初期の住宅を見ることができ、当時の風情を感じとれる。(冒頭写真)
三岸好太郎「黄服少女」1930.jpg 三岸好太郎と久保守.jpg
三岸好太郎「オーケストラ」1933.jpg
 ひとりでは立てないほどフラフラだった三岸好太郎は、円タクClick!で鷺宮へ連れもどされた。医者の往診による手当てを受け、発熱から正月の3日間を寝床の中で朦朧とすごした好太郎は、1932年(昭和7)1月4日に正気をとりもどしている。目の前に、吉田隆子ではなく妻の顔を認めると、「なあんだ、節っちゃんかい、どうした、こんなところに?」といってから、急に事情を思いだしたらしく、「ごめんよ、ごめんよ」と泣きだしている。
 吉田隆子は、好太郎との恋愛について自筆メモを残しているが、非常につれない。隆子のそっけないメモからは、好太郎がまるで「道化」のように思えてしまう。2011年(平成23)に教育史料出版会から出版された辻浩美『作曲家・吉田隆子 書いて、恋して、闊歩して』から引用しよう。
  
 さて、隆子は好太郎をどう思っていたのだろうか。「自筆メモ」には、「音楽に行き詰まり、M(好太郎)と退廃的関係」、「Mと遊ぶ」とある。好太郎の死についてもいっさい触れていない。別れ際の潔さやその後の鮮やかな転身ぶりを見ると、隆子の方が恋愛上手だったのかもしれない。
  
 また、1992年(平成4)に音楽の世界社から出版された『吉田隆子』(クリティーク80・編著)には、三岸好太郎に関連して、次のような吉田隆子の「自筆メモ」が収録されている。
  
 ようやく一人で音楽の勉強をする事を許され、田中家に下宿する(大久保の家解散す)。一方Mとのたいはい的交渉。しかしピアノの勉強熱中的也。作曲は全く五里霧中になる。/小石川、田中家にすみ、ピアノ、作曲を勉強するも目標を失い、一方Mとデカダンスの生活に沈む。
  
 吉田隆子は、好太郎がようやく“正気”を取りもどし、独立美術協会第2回展への出品を準備していた1932年(昭和7)の早春、中野重治Click!の妹・中野鈴子が書いた詩『鋤』へアルト独唱(男声合唱付き)の曲をつけ、作曲家として本格的なデビューをはたしている。そして、同年10月には人形劇団「プーク」でいっしょだった高山貞章と結婚した。(のち離婚) 翌1933年(昭和8)には、小林多喜二Click!が築地署で虐殺されると同時、『小林多喜二追悼の歌』を作曲している。
吉田隆子1.jpg 辻浩美「作曲家・吉田隆子」.jpg
吉田隆子2.jpg
 その後、プロレタリア芸術運動に身を投じて、日本プロレタリア音楽家連盟(PM)の東京支部書記長に就任。特高Click!に何度か拘束され、戦時中は身体を壊して病臥することになるが戦後に復活、オペラ『君死にたもうことなかれ』など多彩な作品を残している。そして、吉田隆子の生涯の伴侶となったのが、好太郎の親友だった久保守の兄であり、劇作家で演出家の久保栄だった。

◆写真上:いまも旧・関口町に残る、大正末か昭和初期ごろに建設されたと思われる和館。
◆写真中上は、いたるところに湧水池がある椿山の現状。は、1936年(昭和11)の空中写真にみる新目白坂界隈。この中に、三岸好太郎と吉田隆子がいたアパートがあるはずだ。
◆写真中下上左は、1930年(昭和5)に描かれた吉田隆子がモデルの三岸好太郎『黄服少女』(北海道立三岸好太郎美術館Click!蔵)。上右は、1923年(大正12)7月に札幌の「三人展」で撮影された三岸好太郎(左)と久保守(右)。は、1933年(昭和8)に制作され独立美術協会第3回展に出品された三岸好太郎『オーケストラ』(北海道立三岸好太郎美術館蔵)。
◆写真下上左は、1930年(昭和5)ごろに撮影された吉田隆子。上右は、吉田隆子の音楽CDも付属して彼女の全貌を知るには最適な辻浩美『作曲家・吉田隆子 書いて、恋して、闊歩して』(教育史料出版会)。は、1930年(昭和5)10月5日に日本青年館でオーケストラを指揮する吉田隆子。自作の『貝殻墓地』を演奏中で、ソリストは歌手の四家文子。


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コメント 33

kako

『貝殻墓地』という曲は、三岸好太郎が何枚も描いた貝殻の絵と関係があるのでしょうか? ちょっと興味をひかれました。
しかし、すごい話ですね。パワフルなのか、退廃なのか、そういう時代だったのか…。
by kako (2013-09-19 03:29) 

ChinchikoPapa

学生時代に、トレーンがジャケットに写っているというだけで手にしたアルバムですね。w nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 12:21) 

ChinchikoPapa

ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>どがさん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 12:22) 

ChinchikoPapa

氏神である神田明神に、しばらくご無沙汰してしまっていますので、近々出かけたいと思っています。nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 12:24) 

ChinchikoPapa

わたしもデスクワークが多く、猛暑で散策もできませんでしたので運動不足になっています。nice!をありがとうございました。>やってみよう♪さん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 12:26) 

ChinchikoPapa

いまこちらの地域では、あちこちで道路沿いの電柱の地下共同溝埋設工事が行なわれてますので、電柱のない風景をみるのが新鮮ですね。nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 12:30) 

ChinchikoPapa

地球規模のテーマではないですが、2050年には国内労働人口が現在の3分の2まで激減するという、総務省のレポートもショッキングでしたね。nice!をありがとうございました。>makimakiさん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 12:40) 

ChinchikoPapa

今度は、フェリスの丘から米軍住宅が建ち並んでいた山手町へ抜けてみたいと思っています。nice!をありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 12:42) 

ChinchikoPapa

わたしも、リフォームしたいジャケット類がたまっているのですが、近くにそういう店がないんですよね。nice!をありがとうございました。>茶の間おやじさん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 12:44) 

ChinchikoPapa

湧水で水分補給は、ぜたいたくでうらやましい散策です。
nice!をありがとうございました。>hanamuraさん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 12:46) 

ChinchikoPapa

気のおけない友人たちとのお散歩、楽しそうですね。
nice!をありがとうございました。>沈丁花さん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 12:49) 

ChinchikoPapa

ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>ゆきママさん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 12:50) 

ChinchikoPapa

虫の音と夜風が気持ちいいですね。そろそろ彼岸花も咲いて、墓参りへ出かける季節です。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 12:54) 

ChinchikoPapa

台風ではしかたないのですが、レース途中での中止は非常に残念でした。nice!をありがとうございました。>ねねさん(今造ROWINGTEAMさん)
by ChinchikoPapa (2013-09-19 12:57) 

ChinchikoPapa

下町でエゾシカの刺身を食べたとき、注文したのが南米チリ産の高くないワインだったのですが、かなり口に合ったのを思い出しました。nice!をありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 13:00) 

ChinchikoPapa

親元から自立してひとり暮らしをはじめたとき、カップ麺だけは食べるのをよそうと決意し、意地でも料理していたことを思い出しました。nice!をありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 13:02) 

ChinchikoPapa

kakoさん、コメントをありがとうございます。
わたしも、『貝殻墓地』のタイトルが気になったのでいろいろ調べてみたのですが、三岸好太郎の晩年作との関連は見つかりませんでした。おそらく、南の島の物語かなにかで登場した「貝殻墓地」をイメージして、作曲しているのではないかと思います。
吉田隆子は、吉田節子(三岸節子)に劣らずパワフルですね。三岸節子が小柄だったのに対し、吉田隆子は160cmをゆうに超える大柄な体格で、指揮台でもその姿が栄えたんじゃないかと思います。ひょっとすると、三岸好太郎より上背があったかもしれません。
by ChinchikoPapa (2013-09-19 13:10) 

ChinchikoPapa

ようやくツクツクボウシだけの声になり、虫の音が響くこのごろです。
nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2013-09-19 23:11) 

ChinchikoPapa

台風以来、こちらでは快適な毎日がつづいています。
nice!をありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2013-09-20 14:11) 

ChinchikoPapa

今朝、近くでヒヨドリが鳴く声を聞きました。秋ですね。
nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2013-09-20 14:19) 

ChinchikoPapa

この踊り子号に乗って、わたしも下田へ出かけたことがありますが、もちろん座席は普通車のほうでした。nice!をありがとうございました。>ぼんさんさん
by ChinchikoPapa (2013-09-20 14:22) 

ChinchikoPapa

きのうは、真ん丸な黄色い月が大きく冴えて、美しかったですね。
nice!をありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2013-09-20 15:28) 

ChinchikoPapa

下落合のおでん屋さんですね、一度も入ったことがありません。
情報と、nice!をありがとうございました。>CROSTONさん
by ChinchikoPapa (2013-09-20 18:06) 

Marigreen

ふしだらな男もふしだらな女も嫌いです。節ちゃんが可哀想だ。
by Marigreen (2013-09-21 07:07) 

ChinchikoPapa

鹿児島は、まだ一度も行ったことのない地域ですね。
nice!をありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2013-09-21 16:20) 

ChinchikoPapa

Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
おそらくですが、品行方正でマジメな人物だったら、洋画家「三岸好太郎」は生まれなれなかったんじゃないかと思います。
by ChinchikoPapa (2013-09-21 16:22) 

suzuran6

「黄服少女」のモデルが、吉田隆子だったのですね、なんだか糸で釣りあげられている様な腕が記憶に残っております。来週札幌でなんとか 特別展「生誕110年 三岸好太郎展」に行けそうです。今回は展示してありますかね?

最後の方で、出てきた人形劇団「プーク」割と近所に倉庫があるのですが、有名な人形劇団だったんですね。道産子の私は知りませんでした。
by suzuran6 (2013-09-21 16:36) 

ChinchikoPapa

suzuran6さん、コメントとnice!をありがとうございます。
生誕110年記念展ですので、収蔵作品のほとんどが展示されていると思います。なんだか、その裏側で展開された物語を思い出しながら画面を観ると、また別の楽しみ方ができますね。
おっしゃるとおり、『黄服少女』はどこか人形めいていて、三岸孝太郎が好んでモチーフにした不気味なマリオネットのようです。この作品を制作中、三岸節子はアトリエに近づくのが怖かったと、のちに証言していますね。
人形劇団「プーク」は物語の宝庫で、記事にしはじめるとそれこそ際限のないエピソードが眠っていそうです。w
by ChinchikoPapa (2013-09-21 17:08) 

ChinchikoPapa

今年の夏は、陸上選手にとっては厄夏でしたね。試合ばかりでなく、練習も相当きつかったのではにないかと思います。nice!をありがとうございました。>銀鏡反応さん
by ChinchikoPapa (2013-09-21 23:19) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>sonicさん
by ChinchikoPapa (2013-09-23 21:02) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>月夜のうずのしゅげさん
by ChinchikoPapa (2013-09-23 21:37) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2013-09-24 00:35) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-04-12 19:19) 

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