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顰蹙をかった乃木希典院長の講義。 [気になるエトセトラ]

学習院寮総寮部.JPG
 1907年(明治40)に学習院長へ就任した乃木希典Click!は、学生にときどき講演(講話)を行なっていたようだ。2年後の1909年(明治42)6月24日にも学生たちへ講義をしているのだが、その内容を子どもに聞いた親たちから顰蹙(ひんしゅく)をかっている。
 いや、華族の親たちばかりでなく「白樺」の同人たち(武者小路実篤Click!や芥川龍之介など)や、学内の「白樺」派学生たちからはバカにされ、ますます皮肉かつ嘲笑的な眼差しを向けられるようになり、「前近代的な過去の遺物」と揶揄されたことだろう。乃木が講義したのは、彼が若いころに金沢の宿で体験した、稲川淳二ばりの心霊レポートだったからだ。
 講演録は、現在でも学習院大学Click!に保存されているけれど、それによれば乃木希典は殺人があった家だとは知らずに泊めてもらい、夜半に女の幽霊を何度か目撃している。時代は明治維新の直後、1869~70年(明治2~3)ごろで、乃木がまだ20歳のころの出来事だった。彼は所要で金沢に出かけ、地元の萩原という家に何日か宿泊している。この家には、留守番の老婆がいるだけで、家人は旅行に出ているのか誰もいなかった。
 家は3階建てにもかかわらず、乃木を見晴らしのいい3階には泊めず、老婆は2階にばかり寝かせていた。彼にはそれが不満で、3階の部屋には誰もおらず空いているのを確認すると、老婆へ今夜は3階に寝床をとるよう頼んで外出した。でも、外出からもどると布団は相変わらず2階に敷かれているのを見て、彼はさすがにカチンときたようだ。翌朝も同じことを頼んで外出したが、宿へ帰ってみれば「お床は、やはり2階にとりました」と、老婆はしれっとしていった。
 乃木は、老婆が布団を3階へ運びあげるのが億劫なのだろうと気をきかせて、「布団は自分で運ぶから」というと、ようやく老婆は「お客さまに、そんなことをおさせしては」・・・と、しぶしぶ3階へ布団を敷いた。3階からの眺めはすばらしく、金沢の街並みが一望できた。電気がない時代なので、この時代の人たちは夕食後それほど間をおかずに床へ入る。乃木も横になって、少しウトウトしかけた。
片瀬海岸の乃木学習院長.jpg 乃木希典院長居室.JPG
学習院正門1908.jpg 学習院キャンパス.JPG
 すると、誰かが部屋の中に入ってきた気配がして、乃木は急に意識がハッキリした。女が蚊帳の上からのしかかるように、ジーッと自分を見つめている。思わず飛び起きて、蚊帳を透かして四方を確認したが、もう誰もいなかった。彼は女の夢をみたのだと思い、再び横になってウトウトしかけるとまた女が現われ、蚊帳へ顔を押しつけるようにしながら、こちらをジーッと見つめている。その繰り返しで、彼はとうとう朝まで眠ることができなかった。
 乃木は、幽霊があまり怖くはなかったらしく、次の日も3階に床をとらせて女をもう一度じっくり観察してみることにした。その晩、女が現われるのをジッと待ちかまえていると、今度は目がさえてなかなか眠れなくなってしまった。エンエンと目を開けて待っていたのだが、午前0時をすぎても2時をすぎても女は現れなかった。ようやく、午前3時をまわって乃木がウトウトしかけたとき、とうとう昨夜と同じ女が蚊帳の外に出現して、蚊帳ごしに彼の顔をジーッとのぞきこんでいるのが見えた。
学習院寮建築1.jpg 学習院寮建築2.JPG
シリカちゃん(香桜号).JPG 学習院バッケ.JPG
 乃木は機敏に起きあがり、すぐさま蚊帳をハネのけたのだが、女の姿はすでにかき消えてどこにもなかった。「女、出てこい!」と叫んだが、あたりはシーンと静まり返っていて、もはや女の気配はみじんも感じられなかった。どうやら、その女は人が眠りに落ちるときにしか出現しないようだった。翌日の晩、明らかに寝不足の顔で疲労感がただよう乃木を心配したのか、老婆は再び寝床を2階に敷いた。乃木は、今度は黙ってそのまま2階で寝たようだ。
 夜な夜な現れた女の正体が知れたのは、かなりあとになってからだ。乃木が宿泊した萩原家では、先代の時代にひとりの女が殺されていた。女は先代の妾だったが、若い男と密通しているのがバレて、怒った主人が女を3階の柱に縛りつけ、食事を与えずに餓死させていたのだ。以来、3階には女の霊がたびたび出没するようになったのだという。
 乃木希典Click!は学生たちへの講演で、この怪談話をどのような口調で語って聞かせたのだろうか? よくダジャレを飛ばしては、学生たちから親しまれた(失笑をかった)というが、死後につくられてしまった乃木のイメージとはやや異なる人物像が、その講演録からはうかがい知れる。かなり話し好きだったというから、現代に生きていたとすれば、さっそく心霊ビデオに出演していたのかもしれない。
学習院敷地境界杭1.JPG 学習院敷地境界杭2.JPG
学習院敷地境界杭3.JPG 学習院敷地境界杭4.JPG
 「これは、ある街の、仮にK市とでもしときましょうか、あたしが懇意にしてる、赤坂にある旅館の女将(おかみ)の知り合いの、そのまた親友の横にある神社の隣りに住んでた、仮にNさんとでもしときましょうか、彼が実際に経験したことなんですけどね~([右斜め上])。・・・どこからか襖の開く音が、シュュューーーーッ、トン、トン、トン、トン、トン、トン・・・、女らしい軽い、微か~な足音が、ゆっくりゆ~っくり近づいてくる。フッと目を開けると、枕元の蚊帳の上あたりから、血の気のない、髪をふり乱して痩せ細った女の顔が、グーーッと迫ってくる。イィィィ~~~~~~ッ! こちらをジーーッと上から睨んでるんだ。ウゥゥゥゥゥーーーーーッ、怖い怖い、怖い、怖いんだこれが、すっごく怖い! ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ・・・冷たい汗が、額といわず首筋といわず、ジワーーッと全身から吹き出してくる。でも、次の瞬間、フッと見ると、・・・いなーい。いまそこにいた女が、もういなーい。やっと身体が動いたNさんは、飛び起きて、急いで蚊帳の外に出てみたんですけどね~([右斜め上])、もうだ~れもいないんだ。あたりは、シーーンと静まり返ってる。Nさんは軍人ですからね、なにかに怯えて、幻覚を見るタイプじゃないはずなんだ。ぃやぃやぃやぃや、こんな不思議なことって、あるもんなんですねえ」・・・というような講演をしていたとすれば、わたしも乃木希典のイメージをちょっと変えなければならない。

◆写真上:学習院寮の総寮部にあった乃木希典の居室で、「乃木館」として保存されている。
◆写真中上上左は、片瀬海岸の海水浴で学生たちと楽しいそうにすごす笑顔がめずらしい乃木希典。上右は、当時の総寮部にあった乃木希典の居室。下左は、1908年(明治41)に撮影された竣工したばかりの学習院正門。下右は、冬枯れの学習院大学キャンパス。
◆写真中下は、いまもキャンパスに残されている明治期の寮建築。下左は、以前の記事でもご紹介したお行儀のよい牝馬のシリカちゃんClick!(香桜号)。あれから、学習院馬場へ立ち寄るたびにかわいがっている。下右は、キャンパス南側の急峻な学習院バッケ。
◆写真下:1908年(明治41)に学習院が高田村金久保沢Click!(現・目白)に建設される際、キャンパスの敷地に沿って打たれた大量の境界杭で、現在もあちこちで見つけることができる。
上落合850番地.jpg
上落合850番地1947.jpg


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コメント 41

SILENT

中学の時国語の教師が怪談好きで、小泉八雲の「矢板のオカツさん」の話をしてくれました。八雲が収集した話にある話なのか調べていませんが。戦争に出征した夫を待つ女性の話ですが、戦争は日露戦争だったのかなと今気がつきました。八雲が来日していた時代を忘れましたが。
by SILENT (2012-03-21 11:12) 

ChinchikoPapa

昔は、苔むしてすり減った参道正面の階段を駈けあがったのですが、いまは立入禁止でちょっとさびしい思いをしました。東側崖上から浄明寺ヶ谷を眺め、改めて住宅が増えたのに驚きました。nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2012-03-21 16:57) 

ChinchikoPapa

わたしは、南紀白浜へは行ったことがありますが、房総の白浜へは出かけたことがありません。けっこう近いと、なかなか行かないものなんですよね。nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2012-03-21 17:00) 

ChinchikoPapa

『Peace and Blessings』は、ジャケットで憶えているアルバムです。学生時代に発売されましたが、中の曲が浮かんでこないところをみると、わたしにとっては印象の薄いアルバムだったものか・・・。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2012-03-21 17:03) 

ChinchikoPapa

またそろそろ、国分寺跡から「御鷹の道」を歩いてみたいのですが、もう少し花粉が収まってからにしようと考えています。w nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2012-03-21 17:05) 

SILENT

お勝さんの話、鳥取島根の幽霊瀧の話がありましたが
何故、矢板と戦争時代が出て来たのか先生の脚色だったのかもしれません。蛇足ですが!
by SILENT (2012-03-21 17:08) 

ChinchikoPapa

コルテスが「勘違い」されるもとになった、ケツァルコアトル神話が興味深いですね。残されている象形文字から、太平洋に沈んだ大陸と結びつけられて推測される古代史には、いまでも惹かれます。nice!をありがとうございました。>nikiさん
by ChinchikoPapa (2012-03-21 17:18) 

ChinchikoPapa

SILENTさん、コメントとnice!をありがとうございます。
また、追加コメントもわざわざ恐縮です。おそらく、「幽霊滝」にはさまざまなバリエーションがあるのではないかと想像します。たまたま八雲が採集した話には、「戦争」という環境が語られなかっただけ・・・なのかもしれません。
実は山陰とは反対側にある四国の山中に、昔から伝わる妖怪譚で「桃太郎」と「花咲か爺さん」と「舌切り雀」とを合体させた、『ちんころりん』という物語があるのを最近知りました。お婆さんが川で洗濯していると、大きなつづらがドンブリコと流れてきて、中を開けると妖怪「ちんころりん」が出てきて家へ住みつくんです。そして、なにかと面倒をみてやると、裏の畑へいってお爺さんとお婆さんに「ここを掘れ」と言います。さっそく、鍬で掘ってみると大判小判がザックザクというストーリーですが、いろんな昔話をパッチワークのようにつなぎ合わせていますね。
おそらく、中学校の国語教師が語ったお話も、実は昔、先生が実際に聞かされた物語をそのまま語っているのかもしれません。昔話や幽霊・妖怪譚の面白いところは、地域が少しズレることによってさまざまな習合現象が起き、かたちを少しずつ変えながら伝承されるところでしょうか。記事に登場している稲川淳二氏も、民俗学的にはそこが非常に面白いと、以前TVの怪談番組で語っていたのを憶えています。
by ChinchikoPapa (2012-03-21 17:35) 

ChinchikoPapa

花粉によるアレルギーのせいでしょうか、午前中いっぱいは眠りつづけたいきょうこのごろです。nice!をありがとうございました。>HAtAさん
by ChinchikoPapa (2012-03-21 17:38) 

ChinchikoPapa

今年のサクラは、4月にズレこみそうですね。明日から暖かくなるとのことですが、どこまで蕾がふくらむかにかかっていそうです。nice!をありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2012-03-21 18:06) 

御光堂(pulin)

乃木院長はこの話にどういうオチを付けたのでしょうか。
ただの思いで話だったのか、幽霊にも怖けない自分の胆力を誇り諸君もそうあれといったような教訓が付いていたのでしょうか。
by 御光堂(pulin) (2012-03-21 18:23) 

ChinchikoPapa

冬は昼間が短いから、練習時間が思いどおりにとれない・・・という課題もありましたね。nice!をありがとうございました。>ベッピィさん(今造ROWINGTEAMさん)
by ChinchikoPapa (2012-03-21 19:21) 

ChinchikoPapa

御光堂(pulin)さん、コメントをありがとうございます。
ただ、思い出話を語っただけのようですね。きっと、怪談が好きだったんだと思います。それを聞いた学生や親たちから、「なんだよ、落ちがねえじゃないか」と顰蹙をかってたら、もっと面白いのですが。ww
by ChinchikoPapa (2012-03-21 19:23) 

sig

こんばんは。
稲川淳二氏の口調に笑い転げましたが、でも、この乃木乃木希典の体験談は迫真性がありますね。
by sig (2012-03-21 21:19) 

ChinchikoPapa

sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
乃木院長が、まるっきりウソをついているとも思えませんので、きっとなんらかの体験をし強烈な印象となって記憶に残ったんでしょうね。その宿の住人名も明らかなことから、金沢のほうを調べれば、もっと具体的なことがわかるのかもしれません。
by ChinchikoPapa (2012-03-22 00:30) 

ChinchikoPapa

薬師堂の床下に吊るされているのは、願掛けの絵馬でしょうか。厚い信仰を集めているようですね。nice!をありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2012-03-22 00:34) 

ChinchikoPapa

“カモメ・アルバム”というと、1972年の『Return to Forever』をすぐに思い浮かべるのですが、、『Seawind』もカモメ・アルバムと呼ばれそうですね。nice!をありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2012-03-22 00:38) 

ChinchikoPapa

もう我慢ができなくなり、週末にでも新宿のタカノか日本橋の千疋屋へ、パフェを食べに行きたいと思ってます。でも、本所の「田舎パフェ」も棄てがたいのですが・・・。w nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2012-03-22 00:40) 

ChinchikoPapa

わたしは、トルコのカッパドキヤの洞穴の家に住んでみたいです。
nice!をありがとうございました。>月夜のうずのしゅげさん
by ChinchikoPapa (2012-03-22 10:17) 

ChinchikoPapa

わたしは、ふだんはメガネをしてないのですが、気に入ったフレームがあれば欲しくてたまらなくなります。nice!をありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2012-03-22 10:27) 

tree2

乃木希典の講話がヒンシュクを買ったという話。明治生まれの私の母を思いだしました。なにせ、予言、占い、超自然現象、漢方薬、民間薬、鍼、灸、民間療法、全部ひっくるめて、迷信! とばかりに強く軽蔑していましたから。そういう時代だったんですね。

私自身は、身辺に、本人あるいはその家族が「見た」「音を聞いた」人を、11人(うち4人は幼児)挙げることができるので、「見えない」人は、アンテナが欠如しているか、遭遇する機会がなかったのだろうと考えています。

必ずしも怖いものでなく、私の従姉妹の姉妹は、亡くなったお母さんがきていると、隣の部屋の足音を懐かしんでいたようです。

それはそうと電気のない時代の深夜、乃木希典は、どうして蚊帳越しの顔がじーっと見る目つきまで見えたのでしょうか。
ある「見える」夫妻は、海外旅行のホテルでしばしば遭遇するそうです。「そういうときは、電気を点けっぱなしにして寝るといい」と教えてくれました。「彼らは、灯りがあるときは出ないから」

私はアンテナが欠如してるようですが、念のため、ホテルでは、浴室の灯りを点けっぱなしにし、ドアを半開きにして寝むことにしています。
by tree2 (2012-03-22 12:09) 

fumiko

軍人乃木希典のイメージと違う側面、興味深く読ませていただきました。
乃木大将の笑顔もイイですし、
ChinchikoPapaさんらしくない色を使った実況中継が、
またイイですね(笑)
by fumiko (2012-03-22 12:34) 

ChinchikoPapa

tree2さん、コメントとnice!をありがとうございます。
明治期から大正期にかけて、「科学で解明できないものは、すべて世迷言か迷信・幻覚のたぐいだ」・・・とする時代がありましたね。
哲学堂の門に幽霊像をつくって安置した井上円了ですが、「霊を見た」とする話に関しては、すべてタワ言だと一笑にふしていました。その井上哲学堂の周囲に、21世紀のいま心霊スポットや怪談話があちこちにあるのを聞いたら、彼は果たしてどんな顔をするでしょう。w
わたしは、「見えない人」なのですが、ここの記事でもいくつかご紹介してますように、わたしが写真を撮影すると妙な発光する球体が写るのは、もう何度も経験しています。同じ場所にいて撮影した人には、そんな現象は見られないんですね。特に、近代建築など古い建物へお邪魔をすると、クッキリと写りこんでキレイです。今年の初めにカメラを新しくしたのですが、まったく同様に不可解な発光体が写ります。
先週、江戸期に建てられた京都の町屋へ泊まったのですが、まあたくさんいらっしゃること。w カメラ変えても、わたしだけの写真に出現する丸い発光体はなんなのでしょう。
by ChinchikoPapa (2012-03-22 17:12) 

ChinchikoPapa

fumikoさん、コメントとnice!をありがとうございます。
乃木神社の関係者や、「軍神・乃木大将」イノチの方が見たら、お腹立ちでしょうね。w 乃木希典もそうですし、下落合の山手線事故記事のときに書きました「爆弾三勇士」もそうですが、あとから作られてしまった「神話」や尾ひれ的なイメージが、ずいぶんあるように思います。
by ChinchikoPapa (2012-03-22 17:17) 

ChinchikoPapa

結婚している8割の女性が働く時代ですが、その大半が「非正規」社員の地位に甘んじていますね。この女性たちが団結するだけでも、巨大な勢力になると思うのですが・・・。nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2012-03-22 17:23) 

ChinchikoPapa

特急ラピートは、なんだか猛禽類の顔をしてますね。
nice!をありがとうございました。>ねじまき鳥さん
by ChinchikoPapa (2012-03-22 23:54) 

tree2

是非ぜひ、古いお寺や神社で撮ってみてくださいませ。きっときれいですよう! そのときは見せていただきたいです。

私はあるカメラメーカーの仕事をしているのですが、ある日、事務所で不思議な写真を見せられました。
撮影者はその会社の女子社員。かたすぎるくらいきちんとして、ふざけたところなど微塵もない人です。カメラの扱いは慣れている。
写真は、彼女の家族・親戚の集まり(誕生会だったと思う)。テーブルにご馳走が並び、壁を背に数人の人が並んでいる情景です。その人々の頭の上に、60歳前後とおぼしき小母さんの顔が宙に浮いています。人々の顔より少し大きめなので、同じ平面にいるようには思えません。小母さんは丸顔で、視線はテーブルの上を見るかのようにやや伏し目。穏やかな表情をしていました。

撮影したフィルムをサービスプリントに出したら、その中の1枚に写っていたというのです。撮影者はまったく知らない顔だそうです。

「やさしそうな人ね。悪いものではないんじゃない」と。私はいいました。
by tree2 (2012-03-23 00:24) 

ChinchikoPapa

tree2さん、重ねてコメントをありがとうございます。
目白・落合地域には古いお宅が多いせいか、そのようなところで写真撮影をさせていただきますと、いろいろなカラーで発光する美しい球体が写ります。新築のお宅では、なぜか写らないのが不思議ですね。
ホコリといってしまえばそれまでですが、それでは論理的な説明がつかない現象だと思います。外で写る発光体はプラズマかともおもうのですが、プラズマが発生するような環境ではないので、これも不思議な現象ですね。
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-04-16

以前、上記のような記事を書いたことがあるのですが、取材や遊びに限らず、この不可解な現象は起きます。今週も、取材である方のお宅を3人で訪問させていただいたのですが、わたしのカメラにだけ、わたしにまとわりつくように発行体が写っているのが気になりました。w
うーん、いったいなんなのでしょうね。^^;
by ChinchikoPapa (2012-03-23 11:52) 

ChinchikoPapa

先週、同志社大と京大の近くを歩いたのですが、日曜だったせいか中へは入れませんでした、残念。nice!をありがとうございました。>マチャさん
by ChinchikoPapa (2012-03-23 11:55) 

Marigreen

乃木将軍、といえば、軍神。軍旗をなくすあの有名なエピソードからも知られるような立派な軍人と思っていたら、家のものが(歴史学、特に現代史が専門だった)「あんな軍人としてぼろな人間はいない。下手な作戦ばかり立てて、大勢の部下を死なせて」と言ったので、学習院の講義で顰蹙を買ったのも、ただ、講義それ自体が時代錯誤だったり、くだらなかったりしただけではないかもしれないと思った。
by Marigreen (2012-03-23 15:43) 

ChinchikoPapa

Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
乃木希典が軍人としては「無能」だったとする説は、彼が明治末に妻とともに自栽したときから、すでに言われてましたね。芥川龍之介あたりも、鋭い批判を浴びせていたかと思います。
ただし、乃木をまったく擁護する気はありませんが、近・現代的な戦法と彼がかの時代に教わった戦法とはまったく異質のもので、今日的な視点から結果論的な解釈を加えるなら、いくらでも批判や「無能」さを挙げつらうことができる・・・という点は、考慮してあげてもいいように思います。
学習院へ子どもを通わせる親たちから乃木が顰蹙をかったのは、話の内容が「前近代的」で「科学的」ではなかったからだと思います。明治の後期から大正期にかけては、「科学万能」が執拗に喧伝された時代ですから、その流れに逆行するような乃木の講話が、親たちにしてみれば子どもたちを「迷信」や「世迷言」の世界へ逆もどりさせるように感じたのでしょう。
by ChinchikoPapa (2012-03-23 20:01) 

ChinchikoPapa

舞台に立つ方の花粉症、たいへんですね。わたしも、打ち合わせをしていてクシャミが連続したりすると困ります。nice!をありがとうございました。>ばんさん
by ChinchikoPapa (2012-03-23 23:55) 

アヨアン・イゴカー

乃木希典の印象が変わりました。もっと朴訥な、寡黙な人間かと。
by アヨアン・イゴカー (2012-03-24 14:13) 

ChinchikoPapa

わたしはPC通信時代の非生産的なフリーボードで懲りているので、2chをまともに読んだことも、一度も書きこんだこともありません。nice!をありがとうございました。>銀鏡反応さん
by ChinchikoPapa (2012-03-24 19:12) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントとnice!をありがとうございます。
明治期に限りませんが、「英雄」ほど戦前にウソで塗り固められ「神話」化、ないしは「講談・美談」化されている可能性が高いですね。
by ChinchikoPapa (2012-03-24 19:16) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>sonicさん
by ChinchikoPapa (2012-03-26 23:42) 

無處居遁人

落合在住のもので初めて書き込ませてもらいます。
私の実家は旧上落合850番地にあって、妙正寺川の工事によって曳き家で北側に移動させられたそうです。人に貸しっぱなしだったそうで祖父が戦後になって空襲の被害状況を確認しに来たら川の向こうに家が移転していてびっくりしたという話を父から聞いています(ただ買ったのが昭和初期としか聞いておらず、また家業は大工でもないので、作家たちが居た頃はまだ家主ではなかった可能性があります)。
その関係で検索していたらこちらの頁にヒットして、色々と昔のことを学ばせてもらいました(ボロ実家も写ってました・笑)。
大変詳細に研究されており、今となってはわかりようがないと諦めていたことも色々とわかり大変ありがたく思ってます。
有難うございます。

さて、そうしたところ乃木将軍のエピソードがでてきましたのでついつい書き込んでしまいました。
乃木将軍は神仙道に縁があった人です。神仙道とは神道+仙人思想というとてもかわった信仰で、戦前の国家神道や現在の神社界からすると完全に異端扱いで、裏面で密かに伝えられてきた日本の秘教です。そんな信仰にも関わるような人でしたから、明治末の近代合理主義化しつつあるエリート連中には理解できず、アナクロとして嘲笑もされたことでしょう。

そのあたりのことが以下のページに詳しく書いてあるのでご参考迄引かせてもらいます。

「この時期に宮中掌典職の嚴夫と邂逅し同気相親しむ間柄となり、以後港区に所在した乃木邸に嚴夫は度々訪問している。乃木は嚴夫が神仙傳の中の人物論考を書き上げる度に借覧し、精読することを楽しみにしていたという。時には嚴夫の寓居にも訪問され、神仙談に興じられたということである」
http://gnosis317.web.fc2.com/miyadiizuo.html

しかし実家の歴史を調べていて乃木将軍と神仙道の話に繋がるとは思いませんでした。面白いものです。

by 無處居遁人 (2012-05-09 16:57) 

ChinchikoPapa

無處居遁人さん、とても興味深いコメントをありがとうございます。
上落合850番地(!)とうかがいますと、すぐにも尾崎翠と松下文子の、そして少しあとになって入居する林芙美子・手塚緑敏の借家を想起してしまいます。美仲橋を少しすぎたあたり、直線化工事がなされる前の妙正寺川が大きく蛇行していた、まさにその真ん中あたりに位置する地番ですね。
記事末に、1941年(昭和16)の陸軍によってめずらしく斜めフカンから撮影された、川がいまだ直線化工事前の上落合850番地界隈の写真と、戦後の1947年(昭和22)に米軍によって撮影されました工事後の同界隈の写真を掲載いたしました。ご参照ください。この中に、無處居遁人さんのご実家がおありなんですね。
「曳き家」は、当時としてはそれほど珍しくはなかったと思うのですが、それにしても、妙正寺川をまたいで北側へ・・・というのは、けっこう大変な「曳き」作業ではなかったかと想像します。おそらく、家を渡す幅広い臨時の橋を、すぐ北側の川に架け渡したものでしょうか。そして、移動後には住所や地番も変わってしまったのではないかと想像します。
乃木希典の神仙道のお話、とても興味深いです。情報をありがとうございました。晩年の乃木には、ちょっと世俗離れしたような言動が見られたようですので、当時の科学万能主義的な風潮からみれば、そしてその時流に影響された学生たちや、白樺派の学生たちから見れば、かなり奇怪な“院長”に映ったのかもしれませんね。

by ChinchikoPapa (2012-05-09 20:08) 

無處居遁人

画像まで貼って頂きありがとうございます!

私の説明が曖昧でしたが、こちらで言及されている昭和15年の妙正寺川の工事のために、まず曳き家してから、新水路を南側に掘削したのだと思ひます。
また説明不足でしたが、現在の実家は戦後に建てたもので、当時の家屋は残っておりません。
ちなみに住所は戦後30年代くらいまで川の北側に関わらず数軒だけ「上落合」だったそうです。番地は今はちょっとわかりませんが。

アップして頂いた22年の航空写真を拝見しますと……ありました!
ちなみに左端の橋が三ノ輪橋(?)ですよね?

聞くところによると終戦直後は川沿いから線路まで一面の麦畑だったらしいですが写真の通りです。
殆ど家がないようですけど、そうするとほぼ家が絞り込まれてしまうか知れません(笑)

乃木大将と神仙家・宮地厳夫とのお話についてもご興味を示して頂いて何よりです。
近代合理主義全盛の当時は仕方ないとしても科学万能主義の限界があらわになった今であれば、もう少し違う評価になるかも知れませんね。
by 無處居遁人 (2012-05-09 21:28) 

ChinchikoPapa

無處居遁人さん、重ねてコメントをありがとうございます。
重ねて、貴重な情報をありがとうございました。なるほど、大きく蛇行した妙正寺川の半円敷地の北寄りに、「曳き家」されて敷地を移し、南側に直前状の分水流を掘削したあと、邸の北側の蛇行水路を埋め立てた・・・という作業手順になるわけですね。
住所は1960年代まで、川の北側にもかかわらず下落合5丁目ではなく、一部だけ飛び地のように上落合2丁目850番地のままだったのかもしれませんね。こういうの、楽しいです。w おっしゃるとおり、画面左側の橋が、三輪湯のところへ出る「新杢橋」です。
寺斉橋から東側は、一面に家々が焼けたあとの焦土が拡がっているのですが、このあたりは一面に麦畑だったんですね。1945年(昭和20)4月13日の妙正寺川沿い(西武鉄道沿い)の空襲で、中井駅の手前まで焼夷弾を落としたあと、B29は急に進路を変えて目白文化村(第一・第二文化村)へ航路変更していますが、「ここから先は麦畑」という情報を米軍は知っていたものでしょうか。
いまほど究極の科学万能主義が、じつは「論理」ではなく「信心」と同列ではないか?・・・と、問われている時代もないのではないかと思います。
by ChinchikoPapa (2012-05-10 00:11) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2014-08-21 17:28) 

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