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無事に戦後を迎えられただろうか? [気になるエトセトラ]

長崎神社武運長久参詣.jpg
 大正期の下落合から、昭和初期の椎名町にかけて住みつづけた上原家を記録した、小川薫様Click!のアルバムには、戦時下の落合地域や椎名町界隈(長崎地域)をとらえた貴重な写真Click!が、数多く保存されている。以前にも、そのうちの何点かをこちらで ご紹介Click!している。その中に、上落合ないしは椎名町の出征兵士を壮行する記念写真が何点か含まれているのだが、そこに戦前の長崎神社(長崎氷川明神社)をとらえた貴重な写真が残っている。(冒頭写真)
 赤紙Click!がとどいて出征するのは、上落合に住んでいた小川様の伯母にあたる方のご主人なのだが、当初は落合総鎮守である下落合氷川明神社へ参詣したものとストレートに考えていた。しかし、戦災で焼失する前に撮られた氷川明神の拝殿とは、屋根のかたちがまったく一致しない。写真の拝殿は、正面の屋根に唐破風を備えており、拝殿までの石段が5段と案外高い位置に建っている。左手には、社務所か神楽殿と思われる建物が見え、手前にはおそらく二の鳥居と思われる、小ぶりで注連縄が張られた鳥居が写る。上落合の月見岡八幡社(茅葺き屋根)や中井御霊社(同)、葛ヶ谷御霊社とも風情がまったく一致しない。
 境内の広さは、戦前の下落合氷川明神と同じぐらいの感触なのだが、石灯籠のかたちもちがっている。少し横道へそれるが、1940年(昭和15)の落合第四小学校卒業記念アルバムに掲載された、戦勝を祈願する小学生たちを撮影した写真は、下落合氷川明神社のものと思われるのだが、同アルバムをお持ちの堀尾慶治様Click!が氷川明神社と規定されるのに対し、当の氷川社宮司である守谷和穂様Click!は神楽殿の背後にこれほど樹林が繁っていなかったので下落合氷川社ではない・・・と、いまだ「議論」が決着していない。下落合では空襲により、戦前の風景を写した写真の多くが失われているので、場所や風景の特定が案外むずかしいのだ。
 冒頭の写真が、長崎神社の戦前の姿であることが判明したのは、東京写真工芸社の佐藤仁様Click!の証言による。同社の拝殿や本殿は、戦災からまぬがれているのだけれど、現在の社殿とは異なる形状をしている。そこには、とても面白い話が付随しているのだが、それはまた、別の物語。写っている鳥居は二の鳥居ではなく、戦災で倒壊した三の鳥居だった。
小学生戦勝祈願1940.jpg 下落合氷川社1932.jpg
祈武運長久壮行会.jpg
 同時期の写真として、「祈武運長久」の垂れ幕が掲げられた、どこかの旅館か大きな料理屋(結婚式場など)のような建物の前で撮られた集合写真も残っている。上落合からほど近い、日本閣の建物かとも思ったが異なるようだ。また、入営した直後の兵士たちの写真も残されている。同じ上落合あるいは椎名町から入営したらしい、すでに軍装姿の写真だ。どこで撮影されたものか、背後には兵舎と思われる建物や、柵ごしに起伏のある草原のような広い空間が見えている。これらの写真は、太平洋戦争がはじまる直前に撮影されているものと思われる。
 遮蔽物が少なく、広い草原が背後に写った写真のほうは、印画紙の経年焼けではっきりとはわからないが、スキャニングして拡大すると富士山の稜線のようなかたちが背景に薄っすらと見てとれる。おそらく富士山麓の御殿場にあった、陸軍富士裾野演習場での撮影のように思われる。実は、同演習場の写真はわが家のアルバムにも残されており、1942年(昭和17)5月に府立中学5年生の「遠足」で、親父は軍事教練を同演習場で受けていた。冠雪が残る富士山を背景にした記念写真を見ると、教官である軍人や教師、生徒たちのほとんどが屈託なく笑っており、いまだ「連戦連勝」の浮かれ気分がつづいていた、太平洋戦争初期の時代背景を強く感じる。ちなみに、前年の遠足は伊豆・箱根だったのか、全員が学生服姿の記念写真が残っている。
入営写真1.jpg 入営写真2.jpg
陸軍富士裾野演習場1942.jpg
 日米が開戦し、しばらくすると人々の服装がガラリと変わり、男は国民服にゲートル、女性はモンペ姿の写真が急増するので、たいてい識別することができる。そのような状況下の1枚に、椎名町5丁目と思われる隣組Click!の集会を写したものがある。軍部の施策や意向を、すみずみにまで行きわたらせ実施させるために、あるいは住民同士の相互監視や思想統制のために組織化された(させられた)、末端の町内組織のひとつだ。隣組の集会では、物資の配給情報や受け取り手順、防空などに関する軍部からの情報、町内の案件などが各家庭へ伝達された。
 戦争も末期に近づき、日本本土への空襲Click!が予測されるようになると、町会や隣組などの組織をベースに防空訓練が頻繁に行われるようになる。その中心となったのが、武井武雄Click!『戦中気侭画帳』Click!でもご紹介した町内の防護団Click!(班)だ。防空訓練の直後だろうか、小川様のアルバムには椎名町5丁目町会の防護団・第19班の写真が残されている。撮影は1943年(昭和18)となっているので、そろそろ「転進」(敗退)や「玉砕」(全滅)のニュースが立てつづけに聞かれるようになり、上野動物園の動物たちが空襲で逃げだすと危険なので毒殺されるような時期だ。
 防護団メンバーが、ほとんど“防空頭巾”をかぶった女性なのに留意していただきたい。男たちは、戦場か工場などへ徴兵・動員され、“銃後”である昼間の町内は女性ばかりが目立つ時代だった。先の淀橋区における建物疎開計画図Click!の記事にも書いたが、いくら国や自治体がさまざまな計画を立案しても、それを具現化できる肝心な“実施部隊”がどこにも存在しない・・・という「机上の空論」状況を迎えていた。東京大空襲Click!をはじめとするナパーム焼夷弾による絨毯爆撃の前に、バケツと防火ハタキしか装備していない防護団は、なすすべもなく逃げ惑うしかなかった。
隣組集会.jpg 防護団椎名町5丁目第19班.jpg
出征壮行会.jpg
 上掲の写真にとらえられた人々のうち、いったい何人が戦後まで生き残れただろうか? ちなみに、1942年(昭和17)に富士裾野演習場で行われた軍事教練に写る、親父の東京府立中学記念写真のクラスメイトのうち、約3分の1の生徒が戦場で、あるいは空襲などの戦災により死亡している。上記の写真類で、もしお心当たりの方がいらしたらコメント欄へご連絡をいただければと思う。

◆写真上:太平洋戦争の直前だろうか、椎名町・長崎神社における出征兵士の武運長久参詣。
◆写真中上上左は、1940年(昭和15)の落合第四小学校の卒業アルバムに掲載された、下落合氷川明神と思われる境内での戦勝祈願。右手が拝殿で、正面に写る建物は神楽殿。上右は、1932年(昭和7)に撮影された下落合氷川明神社。は、出征兵士の壮行会記念写真。
◆写真中下は、入営後に撮影された記念写真での写真は富士裾野演習場と思われる。は、1942年(昭和17)撮影の親父も写る陸軍富士裾野演習場における軍事教練の記念写真。
◆写真下上左は、椎名町5丁目のどなたかの家で開かれた隣組集会。上右は、1943年(昭和18)に撮影されたおそらく防空訓練後の防護団「椎名町5丁目町会第19班」の記念写真。は、やや古そうな出征兵士の壮行記念写真で幟には「熊谷好夫」という文字が読みとれる。
最後の写真も、小川薫様の上落合の叔父様であることが判明しました。(コメント欄参照)
富ヶ谷教會.jpg


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コメント 32

sig

貴重な写真が集まりましたね。あれから70年経ったのですね。遠い昔の記憶になりました。
by sig (2011-10-04 00:32) 

siina machiko

ご精査くださりありがとうございます。最後の写真も上落合にいた叔父の出征のときの写真です。叔父(父の弟で佐藤仁様と長崎第三小で同級生だったとの事)の話によると出征した頃は椎名町に暮らしていたとの事です。写真の小さな女の子は叔父の娘で昭和16年生まれなので2歳か3歳くらいにみえるところをみると出征したのは18年頃かとおもいます。出征した叔父はマラリアにかかり帰されたので戦死せずにすみました。4番目の写真は私の祖母以外は覚えが無い人たちですが多分祖母の兄弟関係だとおもいます。昭和20年4月か5月の空襲ですぐ裏の家に爆弾が落ち直撃機は免れたものの爆風で住めなくなりあの地図にある椎名町の家に転居したわけですが、祖母の近辺では三女が下町大空襲で亡くなってしまった以外は三人の息子達と五人姉妹とその夫達(上落合に嫁いだ二人の娘以外はまだ独身でしたが)も無事でした。入営直後の兵士は父達の従兄弟らしいです。
by siina machiko (2011-10-04 10:49) 

ChinchikoPapa

sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
ついこの間まで、戦後30年とTVで言ってたような感覚があるのですが、時間がすぎるのが速いですね。写真で笑っている親父が逝って、もう15年にもなります。
by ChinchikoPapa (2011-10-04 11:36) 

ChinchikoPapa

『コクリコ坂から』はあちこちから「観てごらんよ」と評判を聞くのですが、まだ観てないです。nice!をありがとうございました。>hanamuraさん
by ChinchikoPapa (2011-10-04 11:40) 

ChinchikoPapa

「カモメ」アルバムは、わたしもよく聴きました。同時に「Spain」の入った『Light as a feather』も定番でしたね。フローラ・プリムの歌声も新鮮でした。この2枚、盤がすり減ってノイズだらけです。w nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2011-10-04 11:45) 

ChinchikoPapa

西国分寺は、北府中へ仕事に出かけるときにいつも乗り換える駅です。中央線も多摩川の砂利を、たくさん運んでいたみたいですね。武蔵野鉄道(西武池袋線)は、西武電鉄の砂利とセメント運搬を横目でにらみながら、セメントを運びたがってる資料を見つけました。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2011-10-04 11:51) 

ChinchikoPapa

蕎麦は食べるばかりで、そういえば畑をゆっくり見たことがないですね。nice!をありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2011-10-04 11:53) 

ChinchikoPapa

確か劇中曲のアルバムでしたね。フレディ―・レッド(p)の演奏は、バウェルが新しい時代にリズムセクションをつとめるとこんな感じ・・・という感じでしょうか。w nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2011-10-04 12:02) 

ChinchikoPapa

古い建物が多いことから、教会をのぞいてみることも多いのですが、いろいろな表情の聖母マリアがいますね。nice!をありがとうございました。>nikiさん
by ChinchikoPapa (2011-10-04 12:07) 

ChinchikoPapa

siina machikoさん、コメントをありがとうございます。
さっそく、最後の写真については記事末にコメントを入れさせていただきました。1943年(昭和18)といいますと、いよいよ戦争の雲行きが怪しくなってきたころですね。マラリアは苦しくたいへんでしたでしょうが、よくご無事で帰還されたと思います。4番目の写真は、子どもたちの服装などから、明らかに季節が違うのでは?・・・というご教示を、ある方からいただきました。
椎名町に落ちた爆弾ですが、御子柴邸のすぐ東側に落ちたらしく、佐藤様のお父様・佐藤孝様はたまたま近くにいて爆風を浴びた際、顔の右側を爆弾の破片がかすめていったそうです。破片は防空頭巾を切り裂き、そのとき持参していた撮影機材に当たったようですね。その傷ついたカメラを、いまでもお持ちです。詳細は、改めて記事に書きますね。
それから、記事とは関係がないのですがアルバムに残されている、おそらく戦後すぐのころと思われる教会で撮影された写真類(クリスマスパーティなども含みます)ですが、写真をスキャナで拡大しますと渋谷の「日本基督教団 富ヶ谷教會」という文字が読みとれます。幼稚園か公園で撮影された子どもたちの写真も、同教会付属のもののような気がします。
また、同協会はプロテスタントですので、以前拝見してサイトにも掲載しています聖母マリアを強く感じさせる教会(戦時中のものと思われます)とは、また時代も場所も異なる情景ではないかという感触です。
by ChinchikoPapa (2011-10-04 12:28) 

siina machiko

さっそく記事にコメントをいれていただきありがとうございます。4枚目の左から4人目に写っている祖母が最後の写真(後列の中央)より顔がふっくらとして若く見えるのでこの写真のほうが古そうです。祖母の妹や弟は皆埼玉県内(弟は岩槻)に暮らしていました。そちらの方かとも思います。教会関係や子供達の写真は皆下落合のどこかとばかり思っていました。椎名町のあの家のすぐ近くに暮らしていた兄弟と実父慎一郎は親しかったらしいのですが、その兄弟は教会関係の写真にはよく登場しています。清瀬の療養所で親しくなった人などにも依頼されあちこち撮影していたようです。
by siina machiko (2011-10-04 17:19) 

ChinchikoPapa

siina machikoさん、重ねてコメントをありがとうございます。
お祖母様の写った4枚目の写真は、大きな旅館か宴会場の前のような風情があります。おそらく、写真の切れている上部には、唐破風の丸い屋根がのっているのではないかと想像しています。下落合の駅前に、少し前まで「ホテル山楽」がありましたが、山楽のほうが規模が小さいにせよ、同じような建築の造りをしていましたね。
記事末に掲載しました記念写真ですが、手前の横断幕をスキャニングして拡大しますと、「日本基督教団 富ヶ谷教會 団体〇〇」と読めます。渋谷区富ヶ谷1丁目にあった教会で、現在の同教団ベテル教会(同住所)のことでしょうか。左手に見えているのが、戦後すぐのころのチャペルの一部かもしれませんね。
そのほか、正面にミレーの『晩鐘』が架かったどこかの教会堂で、牧師さんが説教をしている情景も記録されていますが、こちらの写真もプロテスタント系の富ヶ谷教会のように思います。カトリックであれば、正面には祭壇が設けられ、聖母マリア像が置かれるようなシチュエーションですね。
by ChinchikoPapa (2011-10-04 19:09) 

ChinchikoPapa

前回のコメントのつづきで恐縮ですが、「六本木モスク」を拝見したあと、ギャラリーがいくつか入るビルなので他のフロアも見学したのですけれど、フロアの空きが増えているのが残念でした。
ガラス張りのギャラリーが多く、展示内容が吹き抜けの廊下から目を惹く、インスタにはいい空間なんですけどね。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2011-10-05 10:06) 

ChinchikoPapa

ゴールキックが主体でトライがほとんどない試合というのは、どんだけ激しくぶつかっているかですね。nice!をありがとうございました。>da-kuraさん
by ChinchikoPapa (2011-10-05 10:18) 

ChinchikoPapa

モノクロでハイトーンの画面は、なんとなくピンでとめられて固定されてしまった一瞬・・・のような感覚をおぼえます。nice!をありがとうございました。>ナカムラさん
by ChinchikoPapa (2011-10-05 10:29) 

ChinchikoPapa

富士山の登頂、おめでとうございます。高山病は大丈夫でしたか? nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2011-10-05 10:33) 

ChinchikoPapa

5万nice!、おめでとうございます。
こちらにも、nice!をありがとうございます。>マチャさん
by ChinchikoPapa (2011-10-05 17:45) 

ChinchikoPapa

1枚目のジオラマ写真、背景に夕焼けの光が欲しくなりますね。
nice!をありがとうございました。>とらさん
by ChinchikoPapa (2011-10-05 20:27) 

ChinchikoPapa

敗者復活戦での僅差、惜しかったですが来年に繋がるケースでしたね。
nice!をありがとうございました。>ねねさん(今造ROWINGTEAMさん)
by ChinchikoPapa (2011-10-05 22:50) 

SILENT

時代による服装の変遷興味深いものがありますね。
人間裸だとお互いの立場が判りませんが服を着ることにより
社会というものが見えてきますね。
by SILENT (2011-10-05 23:28) 

SILENT

六本木モスクまで脚を御運びいただき有難うございました。
ギャラリーはある大きな規模にならない場合、何軒かの集合体で集客を計るということでしょうか。東京の画廊の分布図最新版わかりませんがかなりの変動があるのでしょうね。
by SILENT (2011-10-05 23:33) 

ChinchikoPapa

SILENTさん、コメントをありがとうございます。
装いやファッションに関する時代風俗の考証家でしたら、きっと写真を見ただけで撮影年や、ときに月単位までをピタリと当てるかもしれないですね。
わたしも、興味のある展覧会や個展には出かけますが、最近の画廊分布まではわかりません。新宿周辺でいいますと、豊島区がその独特な文化行政から、画廊数が増えているような感触をおぼえるのですが、昔からの画廊に加えて美術展を開催する施設が増えているからかもしれません。この夏、二度つづけて豊島区の美術展へ出かけました。
by ChinchikoPapa (2011-10-06 10:22) 

ChinchikoPapa

人間の世界では、指紋や静脈を使ったバイオメトリクス(生体)認証でさえ“なりすまし”が起きて問題化していますが、ワインが本物か偽造かを見分けるのはもっと難しそうですね。これから先の生体認証では、2つの認証技術を融合したスキャニングが当たり前になりそうですが、ワインボトルでも似たような二重認証方式が生まれるかもしれませんね。nice!をありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2011-10-06 10:32) 

ChinchikoPapa

チェルノブイリ原発事故のとき、旧・ソ連政府は放射線障害が起きるとされる線量の「閾値」をWHOに準拠したものか、かなりシビアに規定して住民避難や食物検査を実施しています。(それでも膨大な被害が生じていますが)
ところが、現状の日本ではその「閾値」自体をかなり高くつり上げて「危険率は低い」という、典型的な詭弁型行政を推進中ですね。旧・ソ連の当局者たちでも、おそらくマユをひそめるメチャクチャな対応だと思います。nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2011-10-06 10:44) 

ChinchikoPapa

“槍"をはじめ、北アルプスの山々が美しいですね。穂高や乗鞍は登ってますが、常念は一度も登攀したことがありません。nice!をありがとうございました。>ponpocoponさん
by ChinchikoPapa (2011-10-06 23:33) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>sonicさん
by ChinchikoPapa (2011-10-08 14:51) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2011-10-08 15:10) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2011-10-09 18:35) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>大善士さん
by ChinchikoPapa (2011-10-09 23:41) 

ChinchikoPapa

少し前の記事に、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2011-10-10 21:44) 

suuzann

はじめまして、suuzannと申します。
渋谷のベテル教会のことを調べていて、こちらを見つけました。
一番下の写真は確かにベテル教会です。
少し手が入っていますが、今もそのままの姿で残っていて、芝と木と建物を今も同じように撮れると思います。素晴らしいですよね。
ところが近々、取り壊されるらしいと聞きました。
今まで折角残したものを・・残念でなりません。
こちらに少しでも想いを書かせて頂いて感謝しております。
ありがとうございました。


by suuzann (2013-10-26 11:54) 

ChinchikoPapa

suuzannさん、コメントをありがとうございます。
また、べテル教会のご教示、ありがとうございました。現在でも、上掲画面と同じシチュエーションで写真が撮れるとは、すばらしいですね。取り壊されるとは、たいへん残念です。
下落合でも先年、昭和初期に建設された聖母病院のチャペルが解体されてしまい、ちょっと残念な思いをしました。また、解体ではなく移築ですが、明治末に建設された目白福音教会の宣教師館(ヴォーリズ設計)がなくなってしまい、かなり惜しい想いをしています。
このところ、教会に関連した建築のリニューアルが多いですね。明らかに耐震上で危険なものは別ですが、できれば残してほしい風情がたくさんあります。
by ChinchikoPapa (2013-10-26 15:31) 

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