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旧・下落合駅の「折り返しの場」。 [気になる下落合]

西武電車2009.JPG
 氷川明神社の前にあった旧・下落合駅Click!について、非常に貴重な目撃情報をいただいた。西武電気鉄道が開業当初、いまだ山手線の西側にあった高田馬場仮駅Click!にさえ通じてはおらず(敷設工事が間に合わず)、下落合駅が終点だったことを示唆する貴重な証言だ。それは、下落合駅に設置された電車の上り下りを入れ替える「折り返しの場」が設置されていたこと。そして、その「折り返しの場」から前夜終電で到着した車輌が、「折り返し場」でポイントを切り替え、始発電車として下り方面へと出発していたことだ。
 貴重な情報をお話くださったのは、旧・下落合駅の近くに住む杉森一雄様だ。氷川明神の前に下落合駅ができたころ、周囲一帯には麦畑が随所に拡がり、田島橋Click!から大きく北へと蛇行した神田川の先には水車がまわる、まるで明治期の早稲田田圃を想起させるような風情だった。杉森様が旧・下落合駅の付近で遊んだのは、氷川明神の近くに親戚が住まわれていたからだ。ほどなく杉森家も、省線・高田馬場駅前の諏訪町(西原)から下落合へ転居してくることになる。
 この「折り返しの場」は、旧・下落合のどこにあったのだろうか? 駅名が「下落合」と決定する以前に作成された設計図Click!を見ると、駅の南東側に引き込み線が設けられている様子がわかる。また、1926年(大正15)に作成された、いまだ駅の存在が記載されておらず、西武電鉄の線路だけが記入された「下落合事情明細図」を確認すると、ちょうど駅の南東側には住民名の記載がない空き地、あるいは元・畑地と思われるスペースがあるのがわかる。電車の上り下りを入れ替える「折り返しの場」は、この位置にあったと思われる。
旧・下落合駅跡.JPG 旧下落合駅1930.jpg
 わたしは当初、「折り返しの場」はバスの向きを変えるために車庫へ設置されたターンテーブルClick!のように、かなり広いスペースを必要としたのではないか・・・と想像していた。これは、現在の電車の仕様を前提とした想定だったのだけれど、大きな誤りであることがわかった。当初、西武電鉄は利用客もまだ少なく、たった1輌編成だったことはすでに知っていた。そして、電車の運転席は車輌のどちらか端にあり、上下線の向きを変えるにはターンテーブル状のものが必要となるか、あるいは向きを変える必要がなく、ターンテーブルが存在しないのであれば、コスト的には高くなるけれど運転席が車輌の前後に設置されていたのだろう・・・と、漠然と想像していた。ところが、わたしの想像はふたつともちがっていたのだ。
 旧・下落合駅の「折り返し場」である引き込み線から、前夜入線した上り車輌を翌朝、下り電車として出発させるのに、電車の向きなどまったく気にする必要はなかったのだ。線路のポイントを切り替えるだけで、電車は上り電車にも下り電車にもなった。なぜなら、堀尾慶治様Click!によれば、開設当初の西武電鉄は、運転席が車輌の中央片側に設置されており、運転手が走行する向きによって身体を前後に入れ替えるだけで、上下どちらの側へも走行できたからだ。 この方式だと、車輌が混雑しているときは前が見えないため、まるで蒸気機関車の運転手のように、横の窓からときどき顔を出しては前方を確認していたのだろう。
下落合駅引き込み線.JPG 下落合駅事情明細1926.jpg
 杉森様によれば、氷川明神の前にあった旧・下落合駅には、今日のような改札口がなかったように思う・・・とのことだ。おそらく、戦前の市電やバスと同様、車内の車掌が行き先ごとに切符を販売していたのであり、乗車切符を検札する改札口は必要なかったのだろう。また、もうひとつ重要な目撃証言もいただいた。旧・下落合駅から東へ延びる工事中の線路について、現在の線路と同じ位置に延びていたと思う・・・ということ。これは、杉森様も横尾様も一致したご記憶だ。つまり、山手線の下をぶち抜いて高田馬場駅までが開通する以前、高田馬場仮駅へと向かう線路は、現状線路の位置のまま東へと進み、山手線の線路土手が近くなる地点から急激に右へとカーヴし、清水川にあった高田馬場仮駅へと通じていた可能性が高い。換言すれば、1929年(昭和4)の「帝都復興東京市全図」Click!に描かれた、おそらく前年の様子を記録したと思われる表現、つまり旧・下落合駅あたりから線路が斜めに敷かれ、清水川の高田馬場仮駅へと向かっている記載は誤りであり、1928年(昭和3)ごろに制作された「鉄道地図」の表現が正しいということになる。
 なお、残念ながら高田馬場仮駅のご記憶はなかった。旧・下落合駅から高田馬場仮駅までは、わずか200m前後の距離であり、わざわざ電車が来るのを駅で待っているよりは、省線・高田馬場駅か目白駅へ歩いたほうが早いからだ。これは杉森様に限らず、旧・下落合の東部に住んでいた住民のみなさんには共通する感覚だったろう。
西武電鉄空中1936.JPG
早稲田田圃1900.jpg トロッコ.JPG
 面白いお話もうかがった。当時、旧・下落合駅の周辺には、工事のためのトロッコ線が敷かれており、作業員たちが引き上げたあとの夕方など、トロッコを停車所から持ち出しては友だちと遊んでいたそうだ。これらのトロッコは、おもに土砂を運ぶために敷設されたもので、今日のようにトラックがない当時は、工事で出た土砂を馬車やトロッコに積んで運搬していた。住宅地の造成でも、埋め立てなどの工事の際にはトロッコ線が敷設されており、目白文化村Click!でも第一文化村から第二文化村にかけて、敷設されていたトロッコ線を記憶されている方がいる。

■写真上:下落合の目白崖線下を走る、西武新宿線の現状。
■写真中上は、旧・下落合駅から「折り返しの場」引き込み線があったあたりの現状。は、1930年(昭和5)の早稲田・新井1/10,000地形図にみる氷川明神社前の下落合駅と周辺。
■写真中下は、1936年(昭和11)の空中写真にみる「折り返しの場」があったあたりの空き地。は、1926年(大正15)の「下落合事情明細図」にみる同所。
■写真下は、2種の地図に記載された高田馬場仮駅の位置と臨時線路の想定図。下左は、1900年(明治33)ごろ撮られた早稲田田圃の水車。下右は、古写真にみるトロッコとその軌道。
西武電車(最初期).jpg
西武電鉄の最初期車両(再取材)
1927年(昭和2)の4月、「西武電車」の名称で首都圏の主要新聞に「郊外花見」開通広告を出稿した西武電鉄(現・西武新宿線)だが、当初は下落合が始発・終点だった。下落合駅に“折り返しの場”が設けられていた当初、導入されていた車両の構造が詳しく判明したのでご報告したい。上記の記事に書いた車両の様子は、わたしが堀尾様から聞き書きをして解釈したものだが、車両については大きな解釈違い=誤認があったので、改めて訂正したい。
今回は作図をし、改めて確認させていただいたところ、運転席が中央にあったというのは車両の長さに対する中央ではなく、車両の幅に対する中央部という意味で話されていたことがわかった。つまり、現在の車両のように、運転席が車両幅の片側に寄っているのではなく、中央に設置されていたという意味だ。したがって、運転席は車両の両端に設置されており、進行方向がどちらであっても運転手が運転席を前後に替わるだけで、電車は自在に「前」へも「後ろ」へも運転できた。この構造により、引き込み線へ前夜入れた車両は、別にターンテーブルなどの必要もなく、翌朝そのまま前後の運転席を替えるだけですぐに発進できた・・・というしだいだ。
したがって、上記の記事はわたしの解釈間違いから生じたものであり、コメントでご指摘いただいたKHさんの車両情報が正しいことになる。ご指摘、ありがとうございました。>KHさん


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コメント 22

ChinchikoPapa

このAbramsは、60年代の芸大音楽部の学生が、卒制で作曲しそうな風情です。もっとも、JAZZとは表現せずに彼らは「インプロヴィゼーション・ミュージック」と呼ぶのでしょうが。w nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2010-01-10 10:43) 

ChinchikoPapa

今年は、「七草がゆ」パックが売り切れで食べそこなっています。
nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2010-01-10 10:46) 

ChinchikoPapa

地下鉄での移動が多いせいか、もっとも近い鉄道のひとつなのに、今年はまだ山手線に乗ってないですね。初乗りは来週あたりでしょうか。nice!をありがとうございました。>りぼんさん
by ChinchikoPapa (2010-01-10 10:56) 

ChinchikoPapa

わたしが子供のころ「青」信号は緑色をしていたのですが、この地方の方言では緑色をつい「青」と言っちゃいますので、どんどん信号色が青緑のような曖昧色になっていったのを憶えています。nice!をありがとうございました。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2010-01-10 11:03) 

ChinchikoPapa

時代を貫く「経糸」とかの表現を使ってしまいますが、実際に「経糸」が織り込まれるのを見たのは、それほど昔のことではないですね。nice!をありがとうございました。>shinさん
by ChinchikoPapa (2010-01-10 11:11) 

KH

>開設当初の西武電鉄は、運転席が車輌の中央片側に設置されており、運転手が走行する向きによって身体を前後に入れ替えるだけで、上下どちらの側へも走行できたからだ。

>横の窓からときどき顔を出しては前方を確認していたのだろう。

ありえません!
鉄道ファンならだれでもわかることですが、そのような作りの車両は、少なくとも日本には存在したことがありません。

現・西武新宿線である西武鉄道村山線が開業したのは昭和2年で、この時にはモハ550という川崎造船所製の車両が配置されました。
この車両は「川造タイプ」と呼ばれる特徴あるスタイルをしており、姿を変えながらも津軽鉄道で現在も在籍中です。

開業当時の姿の画像は発見できませんでしが、1993年の鉄道ピクトリアル西武鉄道特集号に掲載されていたかと思います。
また、以下のサイトで、大まかなスタイルを確認できるかと思います。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~karibu/page069.html

http://blogs.yahoo.co.jp/railfantorinumagumi/21357344.html

以上、通りすがりの西武電車ファンでした。。。
by KH (2010-01-10 18:16) 

No14Ruggerman

昨春杉森さんが執筆された「落合昔語り」を読み、西武線の終点についての記載に驚かされました。杉森さんはまさに下落合の生き字引の存在だと思います。
by No14Ruggerman (2010-01-10 18:17) 

sig

こんばんは。
前後どちらにでも走れる電車は、場所をとらないし、いいアイディアですね。
トロッコは私の子供時代にも見られました。村はずれに、何のために設置されたか分かりませんが、100mほどのトロッコの多少かしいだ軌道があり、子供たちでよく遊びました。いまなら、周りに柵を張り巡らして「立ち入り禁止」にすべきなんでしょうね。
by sig (2010-01-10 18:18) 

KH

さきほど失念しました。

>運転席が車輌の中央片側に設置されており、運転手が走行する向きによって身体を前後に入れ替えるだけで、上下どちらの側へも走行できた

この記述は、武蔵野鉄道の電気機関車や、国鉄のディーゼル機関車などに見られるスタイルです。機関車をご覧になった時の記憶と混同されておられるかのような印象を受けました。

たびたび失礼しました。。。
by KH (2010-01-10 18:27) 

ChinchikoPapa

火盗(かとう)は、いまでこそドラマなどからよいイメージが形成されていますけれど、当時はあまり評判がかんばしくなかったようですね。nice!をありがとうございました。>漢さん
by ChinchikoPapa (2010-01-10 19:13) 

ChinchikoPapa

にょしにいさんの曲、久しぶりに聴きました。生き物が活動を再開する、春先になんとなくフィットする曲でもありますね。nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2010-01-10 19:24) 

ChinchikoPapa

KHさん、コメントをありがとうございます。
鉄道ファンの方から、これまで「ありえません」と叱られつづけて、一連の西武電車の関連記事をエンエンと書いてきたわけですけれど(笑)、のちのツジツマ合わせが行われている「公式」記録では「ありえない」ことが、大正末には、津田沼の陸軍鉄道第二連隊によってすでに敷設されていた停車場の存在しない線路上、下落合の“現場”では実際には起きていた、あるいは起きているらしいのが、この鉄道だったと思うのですね。
詳細は他の各記事に譲りますが、引用されているサイトで1927年(昭和2)に「高田馬場~東村山間を開業」とされている、その記述さえのちの西武鉄道によるツジツマ合わせの「公式」記録をそのまま踏襲しており、“現場”を取材して書かれているとは思えません。開業当初は下落合が終点であり、ガードをくぐり抜けた高田馬場駅はおろか、高田馬場仮駅さえ工事中でできていなかったと思います。マイクロフィルムに残る1927年(昭和2)3月12日付けで、東京府土木課から鉄道大臣・仙石貢宛に出された「西武鉄道高田馬場附近工事着手ノ件」報告書は、山手線のガード工事が進捗せず、やむなく4月の開業へ向けて線路を大きく南へ曲げ、山手線土手の西側に高田馬場仮駅を設置する工事に着手した報告書だと思われ、その工事さえ開業には間に合わず、当初は「下落合~東村山間」、次いで「高田馬場仮駅~東村山間」が西武電車の営業区間だったと思います。
おそらく、下落合に「折り返しの場」が設置されたのは、陸軍鉄道第二連隊から西武鉄道へ工事マター(下落合-高田馬場)が移ったあと、すなわち大正末に鉄筋の大型橋梁化工事がなされた田島橋を経由して戸山ヶ原への軍事物資輸送が完了後だと思うのですが、上記の目撃証言はちょうど開業して間もない時期に当たります。
下落合界隈の西武鉄道に関するテーマを掘り下げていきますと、西武鉄道による「公式」記録と、大正末から実際に現場を目撃していた地元住民の方々、あるいは当時同線を利用された方々との間で少なからず齟齬が生じており、これまでの経験ですとたいてい“現場”の目撃や記憶のほうが正確なケースが多いように感じます。
くだんの電車につきましても、同車輌の目撃者ではなく、実際に乗車されて親戚の家へ定期的に行かれた方の利用証言ですので、次回お会いするときさらに詳細をうかがってみたいと思います。
by ChinchikoPapa (2010-01-10 21:11) 

ChinchikoPapa

アタマの中で「中止」した違法行為はずいぶんありますので、わたしも観念的「中止犯」です。w nice!をありがとうございました。>トメサンさん
by ChinchikoPapa (2010-01-10 21:17) 

ChinchikoPapa

No14Ruggermanさん、コメントとnice!をありがとうございます。
『落合昔語り』のような地元のさまざまな方の証言集は、きわめて貴重ですよね。杉森様へじかにお話をうかがう機会があったのですが、氷川明神社の池へ落ちたご記憶とか、ほかにも楽しいお話をうかがいました。w
by ChinchikoPapa (2010-01-10 21:26) 

ChinchikoPapa

sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
わたしは、工事現場でのトロッコを実際に見たことがないんです。小学生時代に、教科書に掲載されていた芥川龍之介の『トロッコ』で、初めてその詳細や子どもたちが遊ぶ様子を具体的に知りました。
確かに、傾斜があるところでのトロッコ遊びは、スピードも出そうで危険ですね。軌道から外れると、トロッコごと投げ飛ばされそうです。
by ChinchikoPapa (2010-01-10 21:31) 

ChinchikoPapa

森=山と同義に用いられる時代や地域がありますけれど、「月見の森」いい名前ですね。nice!をありがとうございました。>ほりけんさん
by ChinchikoPapa (2010-01-11 00:07) 

ひまわり

高田馬場も下落合も私にとってはとても愛着のあるエリアです。
いつもいつも、知らない事ばかりで勉強させていただく事ばかりです。
ありがとうございます。
by ひまわり (2010-01-11 13:25) 

ChinchikoPapa

愛媛は、ぜひもう一度出かけたい地域です。ゆっくり訪ねたいですね。
nice!をありがとうございました。>ねねさん(今造ROWINGTEAMさん)
by ChinchikoPapa (2010-01-11 17:58) 

ChinchikoPapa

ひまわりさん、コメントとnice!をありがとうございます。
わたしがこの地域に惹かれだしたのは、1970年代の半ばですから、かれこれ30年余になるでしょうか。おそらく、全国どこの地域でも同様だと思うのですが、少し街の物語を掘り下げて調べてみますと、さまざまな角度から多彩な“顔”が浮かんできて面白いですね。テーマによっては、まったく異なる“顔”も見せてくれます。
by ChinchikoPapa (2010-01-11 18:21) 

ChinchikoPapa

「一羽の燕は夏を創らない」という格言がありますけれど、春はまだまだ遠そうですね。nice!をありがとうございました。>セッチーさん
by ChinchikoPapa (2010-01-12 13:32) 

ChinchikoPapa

ナカムラさんとスーザン・ゴールド・スミスさんとのコラボ作品がいいですね。カラーバランスが絶妙だと感じます。nice!をありがとうございました。>ナカムラさん
by ChinchikoPapa (2010-01-12 22:44) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>たいせいさん
by ChinchikoPapa (2010-01-16 21:07) 

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