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これからというときに逝った松下春雄。 [気になる下落合]

松下春雄旧邸跡.JPG 松下春雄家族写真.jpg
 1928年(昭和3)3月になると、松下春雄Click!は「八島さんの前通り」近くの3年間住んだ下落合1445番地から、目白文化村Click!の第一文化村に接する北側、下落合1385番地Click!へと転居している。相変わらず「下落合風景」を描きつづけていたが、同年3月20日の引っ越しは新婚生活のためで、翌4月6日に渡辺淑子と結婚している。
 この年、出身地である名古屋で定期開催されていた「サンサシオン」第5回展に『木蔭』を出品し、第9回帝展には『草原』を出して入選している。ともに自宅の近所を描いた「下落合風景」だが、このころから松下は水彩ではなく油彩で絵を描くことが多くなり、出品された両作ともに油絵だ。『松下春雄作品集』(名古屋画廊/1989年)から引用してみよう。松下没後の1934年(昭和9)に発行された、『美術』2月号に載った辻永の文章だ。
  
 昭和三年(二十六歳) 自分の感じを表現し又自分の力を盛るためには最早や水彩画ではもの足らなさを痛感したのであろう。水彩画を擲つやうに捨てゝ、今迄の額縁などもすつかり人にやつて仕舞つて断然油絵に転向した。そして秋の帝展には居宅附近の草原を写して出品して又首尾よく入選した。聡明なる君の作品は最初は水彩画の連続として相当明るいものであつたが、質実を旨として印象派風から遠ざかつたその作品は年々健実味(ママ)を加へ、又漸く人物画家として立たうと決心してからは特に重厚な画品を供へるやうになり周囲の人達とかけ離れて一人超然として独自の境地を開拓することに猛進したのである。 (辻永「松下春雄君を憶ふ」より)
  
松下春雄「文化村入口」1925.jpg 文化村入口2008.JPG
松下春雄木蔭1928.jpg 松下春雄草原1928.jpg
 結婚した年の12月に長女が産まれると、精神的にも安定し制作意欲が高まったものか、精力的な創作活動をつづけている。「下落合風景」を主体に、風景画ばかりでなく人物画も多く手がけるようになっていく。出品する展覧会も増え、故郷のサンサシオンをはじめ、日本水彩画会、光風会、本郷洋画展、聖徳太子奉賛美術展などへ次々と作品を送り、帝展にも毎年入選しつづけている。1929年(昭和4)6月に杉並町阿佐ヶ谷へ引っ越し、翌年の1930年(昭和5)の第12回帝展では、ついに『花を持つ女』が特選に選ばれている。
  
 僕は特選にならうとは夢にも思ひませんでした。僕にはまだ早いやうな気がするのです。来年こそはと思つてゐたのに一年早く来たのです。これからが大事だと思ふと何かしら変に緊張した気がします。 (「名古屋新聞」1930年10月15日号より)
  
 1932年(昭和7)4月、松下春雄は再び落合町へともどってくる。自宅を新築してアトリエを構えたのは、落合町葛ヶ谷306番地(のち西落合1丁目306番地)、これが松下の最後の住居となった。すぐ目の前の葛ヶ谷303番地(西落合1丁目303番地)には、刑務所から仮釈放されたばかりで一時期は上落合にもいた柳瀬正夢Click!が住んでいて、松下の建てたアトリエを頻繁に借りては仕事をしていた。松下アトリエで仕上げられた柳瀬の作品には、『Kの像』(1934年)などがある。また、松下アトリエの南側、西落合1丁目279番地には、やはり結婚したばかりの丸井金猊が、1937年(昭和12)にアトリエを構えることになる。葛ヶ谷へアトリエを建設したころから風景作品は極端に減り、松下の画業は人物と静物が中心になっていく。
その後、松下春雄の自宅+アトリエは柳瀬正夢の借家と同一の建物Click!だったことが判明した。西落合1丁目306番地は、1935年(昭和10)に西落合1丁目303番地へと地番変更されている。
松下春雄夏木立1928.jpg 松下春雄庭先1929.jpg
松下アトリエ1938.jpg 松下アトリエ1947.JPG
 同年10月に開催された第13回帝展には、『機織』が無鑑査で出品されている。同年の『パレット』No.30に掲載された、織田善雄の文章から引用してみよう。
  
 (前略)「機織」は去年の帝展出品画であり、大作であるが、他は新作が多いと聞く。新作はすべて明るい。ともすると、ヤニ色が少し気になつた過去が、すつかり清算されてゐる。「花」「画室にて」「母子小品2」「早春」など、最も僕の好きなものであつた。特に「早春」の美しさからは、「詩」が香高く迫つて来た。無雑作にして細かく描いてないやうで描いてある。統一された情緒が気持よかつた。人物・風景・静物いづれをも、統一された個性で描きこなせる人は、松下君よりない。 (織田善雄「第十回サンサシオン展を見て」)
  
 1933年(昭和8)には長男が産まれ、松下春雄は30歳になった。この年も押し詰まった12月、故郷の名古屋に帰った彼は、ついでに伊勢旅行を思い立って出かけている。その後、12月下旬に西落合の自宅にもどってから急に体調を崩し、そのまま帝大病院へと入院。12月31日に、急性白血病のため急逝した。12月19日にはいまだ元気で、名古屋の友人たちと会っているので、東京へもどってから入院して急死するまで、おそらく1週間ほどではなかっただろうか。鬼頭鍋三郎が死の直後、「名古屋毎日新聞」1934年1月12日号に寄せた文章から引用してみよう。
  
 暮の十二月五日から十九日まで名古屋へ松下が来てゐて、その間僕は三度会つた。・・・今度あつて異様に深く感じたことは彼の絵画に対する熱情である、それは全く信仰とも云つてもいいと思ふ程なもので、僕も大いに彼によつてネヂをかけられた訳だが、彼自身餘りにネヂを巻き過ぎて、ゼンマイをこわしてしまつた。 (鬼頭鍋三郎「死の前後(上)画人松下春雄のことゞも」より)
  
柳瀬正夢K氏の像1934.jpg 松下春雄デスマスク.jpg
 松下春雄よりもスタートが遅かった、佐伯祐三Click!「下落合風景」Click!に隠れがちな彼の「下落合風景」Click!だけれど、その作品を一同に集めた「松下春雄展」が東京で開かれないのは、なんとも寂しい気がする。松下の死の翌年、1934年(昭和9)の第15回帝展では、絶筆『母子』が再び特選に選ばれている。

■写真上は、目白文化村に接する下落合1385番地の松下春雄邸があったあたりの現状。は、死の前年1932年(昭和7)の正月に撮影された家族写真。
■写真中上上左は、1925年(大正14)制作の松下春雄『下落合文化村入口』。上右は、現在の同所だが箱根土地本社の庭「不動園」の盛り土が削られ平地になっているため、視点の高い同作の描画ポイントには立てない。下左は1928年(昭和3)の『木蔭』で、下右は同年制作の『草原』。いずれも下落合を描いた風景だが、目印となるような道路や建築物がなく描画場所は不明だ。
■写真中下上左は1928年(昭和3)制作の『夏木立』で、上右は1929年(昭和4)ごろ描かれた『庭先』。松下は1929年(昭和4)6月ごろまで下落合1385番地にいたので、冬枯れが残る『庭先』は同所の可能性が高い。下左は、1938年(昭和13)作成の「火保図」にみる西落合1丁目306番地界隈。昭和10年前後の地番変更で、306番地が305番地になっている。下右は、1947年(昭和22)に撮影された同所。実は、306番地の一部が地番変更で303番地になっていたことが判明している。
■写真下は、1934年(昭和9)に松下のアトリエを借りて完成した柳瀬正夢『Kの像』。は、1934年(昭和9)の正月に描かれた鬼頭鍋三郎『松下春雄デスマスク』。


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コメント 8

ChinchikoPapa

ボビー・ハッチャーソンのvibは大好きですが、ドルフィーとのコラボで不条理感が横溢している好きなアルバムです。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2008-12-28 12:00) 

ChinchikoPapa

書かれているような舞台、久しぶりに観てみたいですね。最近は、演劇には少しご無沙汰しています。nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2008-12-28 12:07) 

ChinchikoPapa

こちらもこの2日、かなり冷え込んでいます。明日から少し暖かくなるようですが、外まわりの大掃除はそれからにしようかな・・・などと考えています。nice!をありがとうございました。>飛騨の忍者ぼぼ影さん
by ChinchikoPapa (2008-12-28 12:10) 

ChinchikoPapa

ウィンタースポーツ全滅のわたしは、この季節、ただジッとおとなしく過ごすのみです。(ブルブル) nice!をありがとうございました。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2008-12-28 18:27) 

ChinchikoPapa

気をつけていってらっしゃい。来年も、楽しみにしております。
nice!をありがとうございました。>shinさん
by ChinchikoPapa (2008-12-28 18:31) 

ChinchikoPapa

ミッキー・マウスの表情を史的に追いかけるだけでも、論文が書けそうですね。
nice!をありがとうございました。>sigさん
by ChinchikoPapa (2008-12-28 18:58) 

ChinchikoPapa

昭和初期の建築「東海館」に、一度泊まってみたかったです。すごい数の物語が詰まっていそうですね。nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
by ChinchikoPapa (2008-12-29 00:14) 

ChinchikoPapa

漢さん、はじめまして。
nice!をありがとうございました。
by ChinchikoPapa (2008-12-30 00:08) 

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