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ある夏の第一文化村の街角。 [気になる下落合]

第一文化村1925.jpg 第一文化村2007(1).jpg
 目白文化村Click!の写真を、ある方からお送りいただいた。洋風住宅の建築を専門に手がけた、あめりか屋肝煎りで発刊されていた1925年(大正14)の『住宅』8月1日号(住宅改良会)に掲載されたものだ。1916年(大正5)創刊の『住宅』は、大正期から昭和初期にかけての洋館情報の宝庫で、わたしも何冊か古書店で手に入れていた。柏書房の復刻版ではなく、原本のほうが安く手に入るので、しばらく前から探している。
 上掲の写真を見て、しばらく考えこんでしまった。道をはさんで、左右に見えている下見張りの洋風住宅は、いかにもあめりか屋っぽい仕事だ。奧へとつづく道は二間道路で、手前はどうやら三間道路のようだ。道端には、上下水道や電源ケーブルを埋設した花崗岩製の共同溝が見え、道角が曲線で「スミ切り」されている。この「スミ切り」デザインは、箱根土地がのちに開発する大泉学園でもあちこちに多用された。二間道路のまん中には、角型のマンホールが見えているけれど、おそらく当時の先端技術だった下水道設備だろう。大正末から昭和初期にかけての下水道システムについては、資料が手元にあるので改めて記事にしてみたい。
箱根土地地割図.jpg 第一文化村空中1936.JPG
第一文化村倶楽部.jpg 第一文化村2007(2).jpg
 丸1日考えたすえ、ようやくどこを撮影したのかがわかった。撮影者の背後には、箱根土地の本社敷地の庭である「不動園」Click!が拡がっていたはずだ。画面右手の住宅の、さらに右枠外(北側)には、文化村のクラブハウスだった「倶楽部」Click!が建っている。それに気がつくと、写っている家々がどなたの邸宅なのか、瞬時に把握することができた。
 撮影ポイントを特定するのに時間がかかったのは、第一文化村らしい特徴のある家々が、手前2軒の邸のためにほとんど隠れて見えないからだ。また、正面の遠景に写っている大きな西洋館が、ライト風のデザインを踏襲した倶楽部にうりふたつだったせいもある。倶楽部が遠くに見える位置ということで、撮影ポイントを第一文化村の南端や第二文化村の北端ばかりに求めていた。
 写っている家々を見ると、まず画面の左手が早大教授のSJ邸。その裏側(西側)には、このサイトで何度もご紹介している、河野伝が設計したサンポーチ付きのNM邸Click!が隠れている。二間道路の突き当たり、まるで壁のように見えている低い屋根が、できたばかりのKT邸Click!の南ウィング。遠くに見えるライト風の大きな西洋館が、位置からしてセンター通りClick!沿いのKT邸だ。道路の右側を見ると、まず手前の竹垣の邸が海軍大佐のET邸。その隣り(西側)が、家の設計をすべて妹さんが手がけた早大教授のSS邸Click!。その西隣りが、岸田国士Click!が何度も訪れていた法大教授の関口存男邸。岸田はバスを降りると、画面の右手(文化村入口の方角)からやってきて、この道を何度も右折したのだろうから、見馴れた文化村の街角風景だったろう。その向う側は、ご夫婦そろってテニスが大好きだったAI邸Click!。のちに、会津八一Click!文化村秋艸堂Click!になる洋館だ。
配置写真.jpg 配置①.jpg
配置②.jpg 配置③.jpg
 右側の家並みのいちばん奧にはKT邸があるはずだが、河野伝設計ともいわれるライト風で特徴のある母屋は、AI邸にスッポリ隠れて見えない。また、この道筋を北西の方角から前谷戸をはさんでとらえたのが、以前にご紹介した目白文化村絵はがきClick!の情景だ。さらに、この道筋は吉屋信子Click!がよく散歩Click!を楽しんだコースとして有名だけれど、この写真が撮られた時期に、彼女はまだ下落合へ自宅Click!を新築していない。
 1925年(大正14)現在で、この二間道路に電話ケーブルをわたした電信柱Click!が見えているのも興味深い。以前、KT邸前の電信柱が写った写真を、わたしは昭和初期に撮られたものと考えたけれど、ひょっとするとKT邸に客間や勉強部屋のある南ウィングが完成したばかりの、ちょうどこのころに撮影されたものかもしれない。
 この年、箱根土地は第二文化村の販売で売れ残った、落合尋常小学校の西側一帯の敷地を、「第四文化村」と名づけて売り出している。翌1926年(大正15)9月29日の東京朝日新聞には、「坪三十五円より」の広告が見えているので、前年に販売をはじめたのになかなか売れず、第二文化村の半値近くまで下げての「特売」だった。
東京朝日新聞記事.jpg
  
 ◇交通/恵まれたる高台にして眺望よく目白駅より約十丁乗合自動車にて五分近く開通する西部(ママ)鉄道の停留所へ二丁
 ◇単価/目白文化村最後の分譲で道路下水の施設は勿論すぐ近く迄瓦斯が来て居ます一坪三十五円より特売致します  (1926年9月29日「東京朝日新聞」より)
  
 佐伯祐三Click!が描く「スキー場」Click!近く、前谷戸からの深い谷間に沿った第四文化村に家々が建ちはじめるのは、ようやく1935年(昭和10)前後からのことだった。

■写真上は、1925年の『住宅』8月1日号に載った第一文化村の街角。は、現在の同所。
■写真中上上左は、箱根土地による大正末の「目白文化村分譲地割図」にみる撮影ポイント。上右は、1936年(昭和11)の空中写真にみる撮影ポイント。下左は、ET邸の西隣りに建っていた倶楽部。下右は、現在の同所。道路の右手に見える電柱は、相変わらず3本なのが面白い。
■写真中下:街角写真に見えている、第一文化村の各邸の配置。
■写真下:1926年9月29日の「東京朝日新聞」に掲載された、第四文化村の「特売」広告。
 


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ChinchikoPapa

樹上の2軒の小屋、木の成長がちょっと気になりますけれど最高に気持ちよさそうですね。nice!をありがとうございました。>一真さん
by ChinchikoPapa (2008-03-20 10:00) 

ChinchikoPapa

フキノトウが美味しそうですね。こちらでも、近くの畑で大根が青首をのばしています。nice!をありがとうございました。>Krauseさん
by ChinchikoPapa (2008-03-20 10:09) 

ChinchikoPapa

「口数の多い女たち」、ちょっと観てみたくなってしまいました。
nice!をありがとうございました。>Qちゃんさん
by ChinchikoPapa (2008-03-21 00:11) 

ChinchikoPapa

残雪にあたる木漏れ陽が、春めいた色になってきましたね。
nice!をありがとうございました。>takagakiさん
by ChinchikoPapa (2008-03-21 00:35) 

ChinchikoPapa

緑のコーナーに、ちゃんと灰皿がありますねえ。(^^;
nice!をありがとうございました。>komekitiさん
by ChinchikoPapa (2008-03-21 12:39) 

ChinchikoPapa

確かにJAZZマンには見えず、マリオン・ブラウンは白衣を着ると研究所の要員になります。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2008-03-21 17:04) 

ChinchikoPapa

いつもたくさんのnice!を、ありがとうございます。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2009-08-25 11:18) 

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