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コチョウランとしての金山平三。 [気になる下落合]

 以前、金山平三のある表現の側面Click!について書いたが、かんじんの本業(洋画家)についても書いておかないとマズイだろう。・・・とはいいつつも、金山は本業以外のところで山ほど面白いことをしているので、作品については本などをご参照いただくことにして、わたしのサイトではそちらを中心にご紹介したいのだけれど、あの世から「わしの本業じゃないものを、やいのやいの言いよって!」と叱られかねないので、彼の絵のことについて少し書いてみたいと思う。ちなみに、金山平三描くところの下落合風景を、わたしはまだ一度も目にしたことがない。おそらく、アトリエの近所の風景など、金山の眼中にはなかったのではないだろうか。
 金山は、ことさら神経質で潔癖症であったようだ。その性格を知るにつれ、神経症の一歩手前だった鈴木三重吉Click!と、いい勝負かもしれない。鈴木は家具から文房具まで、その位置が数ミリ狂っても我慢できない性格だったようで、約束のものがいつも通りのところに存在しないと、とたんに怒りだしたらしい。これには、師の夏目漱石も悩まされたようで、タバコの灰がほんの少しでも落ちようものなら、鈴木は飛び上がっていたようだ。でも、彼は子供ができると、とたんに豹変する。性格が180度ひっくり返り、子供が元気なら身辺がどれほど雑然としていても、まったくかまわなくなってしまった。でも、子供のいない金山平三の性格は、生涯変わらなかったようだ。
 金山のパレットは、いつも新品のようにきれいに拭われていたというが、そんな彼が佐伯祐三のパレットを見たら、「こんな道具でよい絵が描けると思っているのか!?」と、激怒していたに違いない。池部鈞は、金山作品をして「温室育ち」の絵という文脈で、1936年(昭和11)の『中央美術』4月号に書いている。「象牙の塔」(温室)の世界へ立てこもる画家として、仕事に没頭していたからこそ、金山作品が成立しているというわけだ。池部は、金山の絵をこう表現している。
  
 金山と色彩は全く不可分である。色彩は金山の生命である。他人の絵を見ていの一番に眼に映じるのは色彩だと常に云つて居る。ソレ程色彩と云ふものに、心を引かれ心を使つている。次ぎに画面のタツチを相当気にするらしい。之れは彼の潔癖性から来るものと思はれる。未だ云へばいろいろ有らうけれ共、僭越だから止める。只理屈抜きに美しい絵だ。そうして、今日モダーンなバラツク絵画の多い中に彼の絵は全くの本建築だ。それもコンクリートのアメリカ式ビル建築ではなく、持ち味のコツクリした英国のオーク材か、日本の節なし檜で造つた住宅建築である。此処迄書いたらもう金山に就て云ふ事はなくなつてしまつた。   (池部鈞「金山の正面半面」より)
  
 
 誰もが美しく感じ、誰からも誤りや隙、弱点を突っつかれないよう、完璧な仕上がりになっているのが金山の産みだす作品であり、その真骨頂であり、彼の傑出しているゆえんなのだ・・・という池部の見方は言いえて妙だ。たとえるならば、温室で育てられた万人が美しいとうなる、非の打ちどころがないコチョウランの受賞鉢のような風情。そこが、金山作品のスゴイところであり、また逆に物足りないところでもあるのだけれど・・・。
 もともと、音楽でも文学でも絵画でも、芸術には好きか嫌いかしかないのだが、好きじゃないけれど美しさは認めざるをえないと言わせてしまえる力が、金山の作品には備わっている。わたしの好みからいえば、もっと人間臭さ=物語を感じさせる、弱みや傷が口を開けたような絵画が好きなのだが、金山の高踏的かつ芸術至上主義的な作品も、ときにはボーッと眺めているのも楽しいし気持ちがいいに違いない。わたしが金山平三の“正面”ではなく、側面にこだわってしまうのは、きっと人間臭さ=物語が欲しいからなのだろう。
  
 然しながら温室の窓が破れて寒風がドツト吹き込んだら最後、此蘭はソレに堪え得るだけの野性を持つて居ない。今度の帝展改組は金山にとつて、全く温室に吹き込んだ寒風の様なものだ。到底コンナ寒風と戦つて迄、破れ温室に頑張る勇気と、我慢は持つてゐない。然も今日改めて彼を招じ入れて、芳香を遺憾なく発揮せしめ得る温室は無いと云つて好かろう。  (同上)
  
 
 金山平三が、等身大のおかしな人形をせっせと縫い上げたり、旅館の廊下を黙々と踊りながら風呂へ出かけたり(仲居さん唖然)、知り合いの画家にソックリな泥首をひそかに作ったり(第二部会の日和った誰かの代わりに、ひっぱたいていたのか?)、友人宅へ張り替えたばかりの障子に指で穴を開けに出かけたり、アトリエに引きこもり隠れて芝居絵を描き、それに飽き足らずひとり芝居を撮影してアルバムをこしらえたり・・・と、わたしは本業以外のところについ目がいってしまう。
 中村彝や佐伯祐三の作品には、露わな人間味や物語性が感じられるものの、金山の高邁な絵画からはそれがあまり感じられないせいでもあるのか、わたしはそういう側面にこそ、彼の物語や人間臭さをことさら嗅ぎだそうとしてしまうのかもしれない。

■写真上:金山平三『下諏訪のリンク』(1922年・大正11)。
■写真中アビラ村Click!は二ノ坂上に残る、金山アトリエの近影。
■写真下は、美術学校の卒業制作『自画像』(1909年・明治42)。は、戦後の作品で1945~56年ごろまでに描かれたとみられる『菊』(部分)。静物画は、花瓶の花を好んで描いている。
 


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かもめ

 この方の作品を直接見た記憶がありません。印刷物や美術展のページでみると、濁りのない色で丁寧に描かれている感じです。「パレットは、いつも新品のようにきれいに拭われていた」というのが納得できます。
 思い出したのが “池部鈞”。池部良さんの「そよ風ときにはつむじ風」が新聞に連載されていたとき、楽しみに読んでいました。「著名な洋画家、亭主関白、芸術家、専制君主、瞬間湯沸器、そして人情家」。江戸っ子の洋画家という、非常に面白い方ですね。絵はそれほど強烈な個性ではないんですが。
 金山さんからは池部さんをどう見ていたんでしょうね。 
by かもめ (2006-12-08 11:36) 

ChinchikoPapa

わたしは、どうしても池部良の親父さんのイメージが強くて・・・。きっと親たちの影響なのでしょうね。この画家の名前が出てくると、親たちは「池部良のお父さん」と言ってましたので、わたしもそんなふうにイメージを植えつけられたのでしょう。(^^; 阪東玉三郎が出てくると「三津五郎の養子」、関口宏が顔を出すと「佐野周二の息子」という憶え方をさせらけたように・・・。わたしは池部の作品を、実際に観たことがありません。
金山平三が池部鈞について書いた文章というのを、わたしはまだ目にしたことないです。金山の書簡などではなく、そもそもまとまった文章というのが、とても少ないように感じます。なにか原稿を書いている時間があったら、芝居を観に行ったり、踊ってたり、人形を作ったり、芝居アルバムを作っていたりするほうが楽しかったのではないかと・・・。(^^
by ChinchikoPapa (2006-12-08 12:21) 

ChinchikoPapa

昔の記事にまで、nice!をありがとうございました。
 >kurakichiさん
 >さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-12-09 19:38) 

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