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下落合を描いた画家たち・松本竣介。(1) [気になる下落合]

松本竣介「郊外」1937.jpg 

 松本竣介は、実に多くの「下落合風景」と思われる作品やデッサンを残している。松本独自の白キャンバスに描いた油彩の風景も残しているが、たとえば人物像の背景だったり、デッサンあるいは総合芸術誌『雑記帳』の挿絵だったりする。二科展などに出品された風景画のみならず、それらの挿絵やデッサンまで含めたら、佐伯祐三の「下落合風景」シリーズClick!の点数を、おそらく上まわるのではないか。以前、こちらでもご紹介した、「立てる像」Click!(1942年・昭和17)も、そんな背景に下落合界隈(馬場下道と田島橋)が描かれた1枚だ。
 1936年(昭和11)2月3日から結婚とともに、吉屋信子邸の近く下落合4丁目2096番地(現・中井2丁目)へ住むようになって以来、戦争が激化するにつれてこの界隈を多く描くようになったのは、佐伯のように下落合へ特別なこだわりがあったからではない。特に米国との戦争がはじまるとともに、スケッチ場所への移動が不自由になり、必然的にアトリエ周辺の風景を描くことが多くなった。もし、戦争による不自由さがなければ、松本はもっと数多くのバラエティに富んだ風景、特に御茶ノ水や横浜、川崎、新宿、五反田といったお気に入りの場所へ、足繁く通っていたかもしれない。
 上の作品は、第24回二科会に出品された『郊外』(1937年・昭和12)だが、下落合の目白崖線を南側から描いたものだ。松本の風景画は、線がきわめて意識的に描かれ、建物のかたちがデフォルメされているので、正確な場所の特定には迷うけれど、この作品の描画ポイントはほぼ明らかだ。手前に、明らかに学校のような建物が描かれ、校庭には大人と子供のような人影が見える。おそらく、中井駅のすぐ西側にある落合第五小学校だろう。校舎の形状が、戦前の落合五小のものによく似ている。目白崖線の丘下や丘上には、樹木の間に家々の姿が見え隠れしている。どうやら、彼自身の自宅&アトリエのあった、四ノ坂のある方面を向いて描いているようだ。落合五小の右手には、彼の画材のひとつであるN駅=中井駅Click!があるはずだが、画角外になって見えない。
1954年(昭和29)まで、落合五小学校の敷地は落合第二小学校Click!だった。
 
 松本竣介がイーゼルをすえたのは、当時、工事がはじまろうとしていた山手通りClick!のあたり、あるいは妙正寺川の南、上落合側にある河岸段丘の北斜面あたりからだろう。でも、実際の高度以上に、描画の視点位置は高いように感じる。落合五小と目白崖線との間には、西武電気鉄道が走っており、中井駅の周辺には受変電所へと引き込まれる高圧電線の鉄塔があるはずだが、省略されたのか描かれていない。
 左手に描かれている巨大な西洋館は、落合五小の北側にあった牛尾邸をクローズアップしたものだろうか。でも、いくら大きな屋敷といっても、落合五小の校舎を凌駕するような、これほど大きな建物は実際には存在しなかった。方角的にいえば、この牛尾邸と思われる建物に隠れた左手奧に、洋画家・刑部人邸があるはずだ。牛尾平之助は、軍艦を多数設計した海軍の造船技師として知られ、著作も数多く残っている。また、画面中央と右手に描かれた建物は、目白崖線の山麓に相次いで建てられた昭和初期の西洋館だろう、丘上に見える大きな建物は、二ノ坂(蘭塔坂)上の大日本獅子吼会の関連施設だろうか。
 
 1940年(昭和15)の『みづゑ』12月号で、松本竣介の「落合風景」シリーズについて江川和彦が次のように評している。
  
 この個展はこの作者の従来のものから一歩前進した跡を示したものとなつてゐる。例へば「落合風景」を初めとして「青の風景」「お濠端」等がそれで、これまでのグロス風の線描から脱したものであり、そこにこの作家の純粋さが窺はれてゐる。この域がさらにどつしりとした深さ、根強さを出す様になつて呉れる処まで進めば一層よいものになるのであらう。就中「落合風景」は出来がよかつた。   (朝日晃『松本竣介』より)
  
 1936年(昭和11)および1947年(昭和22)の空中写真いずれにも、松本竣介の自宅およびアトリエが、はっきりと捉えられている。これらの写真が上空から撮影されたとき、彼はこの下で仕事をしていたはずだ。新婚早々の1936年には、『雑記帳』の編集に追われながら二科展用の作品『赤い建物』を描き、松江に疎開していた家族を迎えた1947年には、衰弱する身体にムチ打ちながら自由美術家協会展や三人展への出品作品を描いていただろう。
 
 1974年(昭和49)に自宅が建て替えられ、アトリエは消えてしまったけれど、下落合における松本竣介の影は活きつづけ、その作品群は輝きを増しこそすれ色褪せてはいない。下落合に暮らした画家の中で、スケッチも含めてこの界隈の風景をこれほど多く描きとめたのは、彼しかいない。もし下落合のアトリエが現存していたら、自宅の敷地への保存が困難であれば移築保存の動きが、きっと出ていたに違いない。
 松本竣介については、「下落合風景」の佐伯祐三や「目白風景」の中村彝とともに、また改めてこちらでも何度かご紹介したいと考えている。

■写真上は松本竣介『郊外』(1937年・昭和12)。は、現在の同所。落合五小の建物が高層化し、目白崖線の南斜面がすっかり見えなくなっているので、中井駅のホーム連絡通路からの撮影。実際にイーゼルを立てた地点は、おそらく山手通りの下になってしまったろう。
■写真中上は1936年(昭和11)、は1947年(昭和22)の空中写真と描画ポイント。
■写真中下は、同じく1937年(昭和12)ごろに描かれた目白崖線のスケッチ。は、山手通りから見た現在の落合第五小学校。高圧線の鉄塔が背後に大きく見えている。
■写真下は、1940年(昭和15)の『N駅近く』。は、現在の西武新宿線・中井駅。


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ChinchikoPapa

魚がさばけないのは、ホントの料理好きとは言えないのかもしれませんね。(汗)
こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2009-06-10 10:56) 

ChinchikoPapa

昔の記事にまで、わざわざnice!をありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2012-06-29 00:05) 

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