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なにが消えたか、なにを残すか。 [気になる下落合]


 わたしが下落合界隈に足を踏み入れたころ、1974年の早春ごろだったと思うが、当時でさえ他の東京の街とはケタ違いに緑が多かった印象がある。それは、現在の下落合ばかりでなく、中落合や中井エリアも、緑の中に家並みが展開しているというようなイメージだった。
 たとえば、「目白文化村」に限っても、60~70年代当時の写真Click!が示すように、空襲で焼かれてはいても、戦後には樹木が新たに芽吹き、あるいは大きく育ち、十三間通り(新目白通り)はあったにせよ往年の面影を十分に感じさせてくれる街並みとなっていた。この30年、緑が極端に減少したのは、中落合側つまり文化村側のほうが目立つような気がする。もちろん、下落合側も大きく減ってはいるのだけれど、もう急激に「アッという間」に消えた印象が、文化村界隈にはあるのだ。

 ここに、2葉のカラー空中写真がある。双方とも1974年(昭和49)、つまりわたしが高校生のときの下落合と中落合エリアの写真だ。建物の影が黒く写りこんでいるにせよ、黒っぽい部分がほぼ緑地だったところ。1970年代半ばでも、なんとたっぷりとした緑があったことだろう。これらの街を歩くと、空気が美味しくひんやりと澄んで、落ち着いた気持ちになれたものだ。
 たとえば、下落合地区をピンポイントで見てみると、林泉園の面影が残っているのがわかる。すでに池は埋め立てられていたけれど、北側には中村彝アトリエの赤い屋根や、ヴァイニング夫人邸のモダンな建物があり、尾根道には桜並木がつづいていた。

 今度は、中落合側を眺めてみると、第一文化村の北側、そしい第三文化村と第二文化村の南側に、大正期の文化村そのものの建物が、いまだ50年後の1970年代に、そのまま建っているのが見える。ゆたかな緑とともに、それらの光景を目の当たりにしたわたしは、きっと幸運だったのだろう。

 こうして、旧・下落合界隈を鳥瞰すると、つい、なにが消えてしまったのか?・・・と考えがちだ。でも、まったく逆の発想で、これからはなにを増やすことができるのか?・・・を考えたっていいことに気づく。先日、おとめ山公園に隣接する財務省の公務員宿舎跡地払い下げClick!にともない、「おとめ山公園隣接公務員宿舎跡地対策協議会」(長い!(^^;)の発会式Click!が、落合第一地域センターであった。住宅跡地を新宿区に買い上げてもらい、緑を増やして御留山の拡張、あるいは災害時の避難所の確保がおもな会の目的だ。当日は、下落合から中落合、上落合まで実に200人近い地域の住民が集まった。
 
 「下落合みどりトラスト基金」Click!もそうだし、中村彝アトリエClick!もそうだけれど、落合から「なにが消えてしまったか?」のネガティブな想いではなく、落合に「なにを残せるか?」のポジティブな街づくりの発想が必須のように思える。「おとめ山」の拡張にしろ、「トラスト基金」の森や彝アトリエの保存にしろ、いずれかの課題が緑ゆたかな落合地区らしい街づくりの、歴史的な転回点を打つことができる、画期的なきっかけになればいいと願っている。

■写真上:1974年(昭和49)の林泉園。北側には、名物だった桜並木が見えている。
■写真中上:1947年(昭和22)の旧・下落合界隈。B29の絨毯爆撃を受けているが、家々を囲む緑が濃かったせいか、ずいぶん延焼が食い止められ、戦前の家々がよく残っていたのがわかる。
■写真中下が下落合地区、が目白文化村を中心とした中落合・中井地区。いまさらながら、1970年代半ばの緑の多さに驚いてしまう。この下を散歩した当時の記憶が、ひとつひとつ甦る。
■写真下は、大正期の文化村邸宅がそのまま残る、わたしもよく歩いた1974年(昭和49)の第二文化村の南。は、現在の同所。街並みの大きな変化とともに、緑が激減しているのがわかる。
 


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ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2010-04-28 11:48) 

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