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鉄剣(鉄刀)は裏庭に眠っている。 [気になる下落合]


 西武電気鉄道(現・西武新宿線)に客車が走り始めるさらに以前、1924年(大正13)に考古学者の小松真一という人が、翠ヶ丘あるいは赤土山(山手通り切通しの山)とも呼ばれた一帯で、古墳時代の遺跡とともに、鍛冶場跡を発見した。遺跡は、小松によって「中井遺跡」Click!と名づけられている。また、昭和10年代に中井停車場あたりまで改正道路(山手通り)の建設が伸びたとき、タタラ場跡と思われる鉧(けら)や銑(ずく)のカス(鉄滓/金屎)、また鍛冶場と思われる火床跡や炭粉などを含む残滓が、改めて大量に発見された。つまり、旧・下落合3~4丁目の目白崖線沿いには、かなり大規模なタタラ場と鍛冶場が、おそらくは隣接して存在していたことになる。
 戦時色の強くなった昭和10年代には、すでに詳細な発掘調査などは行われなくなっていたが、小松真一による大正期の発掘では、「中井遺跡調査報告書」がいずれかの自治体か大学へ提出されていたのだろう。ところが、この調査報告書は戦災で焼けてしまったものか、現存していない。現代の考古学調査と、大正期の同様の調査とでは、技術やノウハウのレベルにおいて雲泥の差がある。調査報告書や遺物・遺跡写真さえ現存していれば、いまからでもかなりのことが判明したのではないかと思うと残念だ。タタラ場の出土物がひとつでも残っていれば、当時の下落合界隈における鉄の精製技術のレベルを、直接的に知ることができたはずだ。
 大鍛治(タタラ)の砂鉄による製鋼技術と、小鍛治(刀鍛冶)の鍛錬技術は、鎌倉時代に大きなピークを迎えた。それ以降、室町時代から現代にいたるまで、その技術をいまだ超えられないでいる。鎌倉期から700年もたったのに、製鋼技術および鍛錬技術ともに、残念ながら鎌倉時代の技術に追いついていないのだ。
 
 戦が途絶えた江戸時代には、多くの刀匠たちによって、鎌倉時代のレベルにまで製鋼技術と鍛錬技術を向上させようと、さまざまな試行錯誤が意識的に繰り返されているけれど、ついにそれに匹敵する技量に達することはできなかった。これは、現代においても事情はまったく同様だ。
 タタラによる製鋼は、低温による溶解によって不純物がほどよく残存しており、それが刀鍛冶に向く優れた鋼(はがね)を生み出す要因となったようだ。でも、江戸期以降は、鋼も大量生産の時代を迎え、高温による純度の高い鋼が精製されるようになり、素材の均一化が一気に進んだ。つまり、刀造りに向く鋼のほどよいタタラ技法がわからず、かえって精錬しすぎて刀剣などの武器の素材としては、鎌倉時代よりも劣ってしまうという皮肉な結果になった。また、鍛冶の鍛錬技術にしても、それに近い模倣まではできても、鎌倉時代の作品に追いつくことはできなかったのだ。江戸前期に上野に住み、よく斬れる美しい作品を産み出しつづけて評判となった、中曾根虎徹入道興里Click!が、名前の由来である昔のタタラで精製された「古鉄」を多用していたことも象徴的だ。
 21世紀の現代は、おもに鉄鉱石を用いて行われる製鋼だが、いまの技術がもっとも進んでいる・・・とは、必ずしもいえない。鋼を素材として産み出す製品によっては、川砂鉄あるいは山砂鉄を低温の炭火で時間をかけて溶解する、タタラを行っていた700年前、いや1,500年以上も前のほうが優れていた・・・なんてことも言えるかもしれない。そのような観点に立つと、かなり優れた鍛え方をしている古墳刀Click!などを観るにつけ、当時の製鋼技術や鍛錬技術は、現代から想像する以上に、かなり進んでいたのではないかと思われる。

 先日、目白崖線の南斜面にお住まいの方より、自宅から鉄刀が出土したお話をうかがった。新宿歴史博物館に展示されている、下落合横穴古墳群Click!の鉄刀ではない。わたしの知りうる限り、下落合のバッケ(崖線)からは鉄剣ないしは鉄刀が、あと2振り出土している。これらの鉄剣ないし鉄刀は、おそらく神田川あるいは妙正寺川の川砂鉄で鍛えられているのだろう。
 鋼を生み出すタタラには、燃料にする大量の材木が必要だが、武蔵野原生林が豊かに拡がり、ふたつの川が落ち合うカンナ流し(砂鉄採集)にも好条件の下落合は、タタラ場や鍛冶場を設けるのに最適な立地条件だったに違いない。

■写真上:「中井遺跡」の一画あたりと思われる、山手通りの陸橋。高架下は、西武新宿線の中井駅。大正期に発掘された「中井遺跡」だが、いまは遺跡のプレートさえ残っていない。
■写真中:埼玉県の入間川沿いの崖線や古墳などから出土した、はタタラ場跡を証明する金屎(かなくそ)=製鋼カスと、は多彩な鉄剣(刀)類。茎(なかご)が盛り上がっているのは金属の鋲、つまり江戸期の用語でいうと目釘が腐食したものだろう。
■写真下:目白の尾張徳川家に代々伝わる、不動明王の彫りと護摩箸の樋が入った「名物不動正宗」。五郎入道正宗は、鎌倉に居住した相州伝を代表する刀鍛冶。正宗を超える作品は、700年後の今日にいたるまでいまだ出現していない。


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ChinchikoPapa

そのほか、数多くのnice!をありがとうございます。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2010-12-27 12:46) 

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