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深い川底へ下りるのは命がけ。 [気になる神田川]

 学生時代に、神田川沿いを下落合へと歩いてもどってくると、河岸のそこかしこで染め物の櫓干しや洗い張りが行われていた。戦争をはさんだ前後は「神田川・妙正寺川流域工業地帯」と呼ばれ、いまでは「江戸染め物の里」と呼ばれる神田川と妙正寺川の界隈。江戸小紋や友禅、更紗、浴衣地、手ぬぐい地などを染める、江戸東京染めの中心地だ。実際に染め物を体験したり、作品を観ることができる東京染ものがたり博物館(神田川)Click!や、染の里二葉苑(妙正寺川)Click!(音量注意)などもある。1955年(昭和30)前後から、汚れた川底では水洗いができなくなり、地下水を利用して染めの定着が行われていた。
 神田川と妙正寺川は、1960~70年代にかけて汚染のピークを迎えるが、染め物の会社や店は減るどころか、80年代に入ると逆に増えてきたという。江戸小紋や友禅の染物屋をはじめ、蒸し屋、湯のし、色抜き、シミ抜き、家紋屋、洗い張りなどの店が、下落合駅や中井駅周辺に集中している。この両駅の周囲だけで、40軒前後の染物関連の会社が現在でも営業をつづけている。
 いまでは懐かしくも、みじめったらしい「神田川」(喜多条忠・作詞/南こうせつ・作曲)というフォークソングが流行ったころ、歌のヒットにともない映画『神田川』(出目昌伸・監督/1974年)が作られた。この映画にも、神田川や妙正寺川と思われる染物業のシーンが登場している。映画が作られた当時、神田川や妙正寺川の水質は最悪だった。早稲田の人形劇サークルに所属する主人公が、彼女との思い出の人形を最後に神田川へ棄ててしまうのだが(ゴミを棄てるな!)、水に流される人形をカメラは執拗に追いつづける。やがて、ヘリコプターによる空撮となってお茶の水や秋葉原、大川(隅田川)へと注ぐ柳橋まで追いかけるのがラストシーン。期せずして、当時の神田川流域を映すことになるのだが、これがメチャクチャ汚い。生活排水が随所で流れ込み、ゴミの投棄はやまず、神田川はまさにドブ川の様相だった。
 
 映画『神田川』のラストは、当時も今もわけがわからないのだが、監督は美しい関根惠子と神田川流域を上空から撮りたくて、この映画を引き受けたんじゃないか・・・とひそかに考えている。余談だが、登場する学生サークルの人形劇(対象は幼稚園児)が、これまたすさまじい台詞でアタマが真っ白になる。たとえば、わけがわからないこんなありさまなのだ。
  丹下左膳「われわれは、この古井戸的な暗黒を解体することによって、まさにきさまらが企図する偽善的・非人間的資本家を爆殺する決意なのだ」
  西郷隆盛「ナンセンスでごわす。君達は騙されているのだ。考えてもみたまえ、現情況の破壊が無意味な連続的惨状しか生産されえぬことを認識し、これらの内的限界を悟るべきでごわす」
 物騒なテロリストたちの議論が、神田川を背景に行われているのだけれど、妙正寺川にほど近い上落合に、二二六事件の指導的な役割をはたした青年将校宅があったから、あながちマト外れと言えないこともないのかな?
 
 下落合から椿山下(大洗堰)あたりまで、神田上水(御留川)として使われた水は、1955年(昭和30)ぐらいまではなんとか染め物に適する清廉さを保っていた。駒塚橋の北詰め、江戸川(神田川)の大洗堰の工事に関わったとされる松尾芭蕉邸(関口芭蕉庵)の隣りに、江戸上水道の守り神である水神を奉った水神社(すいじんしゃ)がある。映画『神田川』では、この水神社の階段に腰かけて昼の弁当を食べるシーンが印象的だった。紙屋でバイトする主人公は、水神社の階段で彼女と待ち合わせて手づくり弁当を食べる。神田川は、早稲田~下落合あたりでは染め物業が発達したが、江戸川橋~大曲あたりではより早く、製紙業(江戸和紙づくり)が盛んだった。いまだに付近には、中小の紙屋や印刷屋が多いのはその名残りだ。
 1990年代に入り、神田川にはようやくアユの姿が見られるようになった。江戸期、本所の水道(いど)水を汲むと、神田上水のアユが採れた・・・なんて逸話が、ようやくリアルに感じられるようにもなってきた。生活排水や下水の流入がほぼなくなり、水道水に使われていたころの清水からはほど遠いものの、水質は目に見えて改善されてきている。下落合駅の南に建設された、最新式の下水処理場(中野・新宿・杉並・豊島・渋谷・世田谷・練馬各区の下水処理担当)の効果が大きいとみられるが、別の問題も出てきている。
 確かに汚水を処理して排出する水は、金魚が飼えるほどかなり「きれい」なのだけれど、配水には窒素(8.0~11.6ppm)とリンの含有率が高く、富栄養化による川藻の繁殖が著しくなった。夏など異常に繁殖しすぎた川藻が腐敗するとヘドロ化し、せっかく改善された水質がまた汚れてしまう。落合下水処理場では、窒素やリンを排水から除去するのは、現状の設備では困難だとのこと。そのため、定期的な川藻やヘドロの清掃が必要になっている。一度崩してしまった川の生態系は、対症療法的なイタチごっこがつづき、なかなか元にはもどらない。

 1990年代前半から、神田川での水洗いが試験的に復活している。染め物を水洗いするには、すでに現状の水質でも充分とのことだ。でも、昔の神田川とは異なり、いまの川底は洪水防止のために深く掘削されている。だから、川底まで長いハシゴで下りるのがとても危険なのだ。幅30cm×長さ12mほどの反物は、1回の蒸しで12枚。川へさらす水洗いは、わずか10分ほどで手早くすませなければならない。モタモタしていると色がにじんだり、他の色へ別の色がかぶったりしてしまう。この作業を、1日につき200枚前後こなさなければならない。
 深い川底へ染め物をいちいち投げ込み、再び濡れて重くなったそれを上へと運び上げる。水洗い作業員は、神田川へ1日浸かっていなければならず、とんでもない重労働だ。水質はよくなったけれど、染め物の水洗いには、また別の課題が浮上している。

■写真上:関口芭蕉庵の隣り、胸突坂に接した水神社(現・水神神社)。
■写真中上は映画『神田川』、水神社・弁当シーンの関根惠子と草苅正雄。は、現在の同所。
■写真中下は、1955年(昭和30)ごろ妙正寺川で行われていた水洗い。は映画『神田川』の、おそらく妙正寺川あたりで撮られた、染め物の櫓干しのシーン。まるで江戸時代の紺屋町界隈のように、江戸藍染めの浴衣地がひるがえっている。
■写真下:西早稲田の神田川で行われている、現在の染め物水洗いの様子。(「東京新聞」より) 水質は水洗いができるほど大きく改善されたが、深い川底へ下りるのは命がけだ。


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some ori

私も下落合の湯のし屋さんにはお世話になってます。
行き帰りに、ああーここはPapaさんのテリトリーよねーーと思い、キョロキョロしながら、自転車こいでます。
「おお!ここだ!」という場所見つけると、無常にうれしいです。

私自身は、水がきれいになったとしても、神田川で水元しようとは思わないなあ。鉄分とか、酸とかが、ちょっとでも入ってると、草木染には反応しちゃうから。こわいこわい。
きっと、昔の職人さんたちは、反応によって、変わっちゃうのも計算に入れて染めてたのではないかなあ、なんて思いました。
by some ori (2006-02-03 01:35) 

ChinchikoPapa

いくらきれいになったとはいえ、さすがに下落合界隈では神田川や妙正寺川で染め物を流しているのを、まだ見たことがないですね。おそらく、1960年ごろからずっと、井戸水を使いつづけてるんじゃないかと思います。早稲田あたりでは始めているようなのですが・・・。
微妙な色合いがあやなす染め物も、手加減・水加減といった職人の“カン”が、大きくものをいう世界なのでしょうね。
職域が異なりますけれど、刃物の焼入れにも湯桶の水(湯)を使いますが、この“湯加減”(水の温度)、水質、焼入れの時間、焼入れ前の土取りの厚さや土(粘土)の質、火床での温め具合など、すべて月日(季節の移ろい)によって異なります。それによって、刃の付き方や、地肌の景色がまったく変わってしまうわけですが、色彩というより微妙な“美”の世界では、さらに高度なプロの技が求められるのでしょうね。
by ChinchikoPapa (2006-02-03 11:07) 

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