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艦上の理性は曇っていなかった。 [気になる本]

 小学生のころ、図書室へ入ると真っ先に駆けつける本棚があった。棚には偕成社だか筑摩書房、あるいは秋田書店だったかが出版していた、『少年少女世界のノンフィクション』(確かそんなシリーズ名だった)がそろっていたからだ。「空とぶ円盤のなぞ」とか「ネス湖のかいじゅう」とか、「ヒマラヤの雪男」とか「さまよえる湖」とか、とにかく男の子が喜びそうなタイトルが並んでいた。雨が降って外で遊べないときは、そんな本を読みながら日が暮れるまですごしていた。
 その中に、「戦艦大和のさいご」というのがあった。吉田満原作の『戦艦大和ノ最期』を、子供向けに口語体でやさしく書き直したものだ。いまでは、内容も挿絵もほとんど憶えていないのだが、なぜ強く印象に残っているのかというと、この本を読んでからしばらくして親父の書棚を見たときに、同じ著者の『戦艦大和』(角川文庫版/1968年)が目についたからだ。もちろん、大人向けの本なので読みはしなかったし、ましてや所収の『戦艦大和の最期』(角川文庫版はカタカナではなくひらがな表記)は文語調で書かれていて小学生には歯が立たなかった。でも、中扉の次に掲載された図版に、なぜか強く惹きつけられたのだ。
 それは、東京駅と戦艦「大和」を比較したもので、全長263mの「大和」と正面から見た東京駅とが重なって描かれている図版だった。喫水下まで描かれている「大和」のかたちは、東京駅の形状から大きくはみ出していて、当時、「こんなにデカかったのか」・・・と改めて驚いたのを憶えている。そしてもうひとつ、ほとんど同じ時期に小学校の映画上映会にやってきた作品というのが、偶然にも吉田満・原作の『戦艦大和』(監督・阿部豊/1953年)だった。なぜ、この大人向けで難解な作品が小学校で上映されたのか、いまでも判然としないのだが、小学生の脳裏に「せんかんやまと」というワードを刻みつけるには充分だった。
 
 作戦と呼ぶのもおこがましい、「必敗」の「天号作戦」に直面した乗組員たちは、なぜ死ななければならないのか?・・・を連日自問し、議論しつづけることになる。自からの死をムダ死にとして捉えることを拒否するために、そこへなんらかの歴史的な意味・理由づけ、“レゾンデートル”が必要なのだ。その眼差しは、驚くほどクールかつ冷ややかだった。「御国のため」とか「家族を守るため」、「天皇陛下バンザイ!」とか、叙情的・感情的かつ抽象的な“想い”は捨象され、流れ去る歴史の中の必然的な“論理”として、個々の主体を必死に位置づけようと試みている。とうに日本が戦争に負けることを前提とした、それは絶望的な議論だった。その末に行きついた「結論」らしき、21歳になる「臼淵大尉の持論」が象徴的だ。
  
 「進歩のない者は決して勝たない 負けて目ざめることが最上の道だ/日本は進歩ということを軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」(「作戦発動」より)
  
 感情に目がくらまず、まるでヘ翁(ヘーゲル/当時の学生呼称)の弁証法のような論議がつづけられたのは、高等教育を受けた士官が集まる煙草盆(休憩室)だったからであり、下級の兵員たちの様相とはまったく異なっていた・・・という評論を目にすることがある。確かにそうだろう。より隷属させられていた兵員たちは、「御国の光」と「銃後の家族」を守ることだけをせいいっぱい考え、あるいは今日的な表現をするなら、あたかも「将軍様マンセー!」に近い感情を抱いていた者も少なからずいたかもしれない。でも・・・と思うのだ。

 男女群島の南130kmで撃沈された「大和」の中に、死に瀕してこれだけのことを連日議論しつづけた理性が、少なからず残っていたことにこそ救いがあり、わたしたちの時代にとって非常に大きな意味があるのだと思う。学校の校門で毎日「御真影」に最敬礼させられつづけようが、「小雨にけぶる神宮外苑」で一糸乱れぬ分列行進をさせられようが、どれほど「大本営陸海軍部」からウソで糊塗した発表を繰り返し聞かされようが、ついに彼らの理性を曇らせることはできなかったのだ。そして、吉田満は生還し、かけがえのない記録文学を残した。
 戦艦「大和」が表現されるたび、撃沈された季節柄、ちょうどサクラの花弁が散る“滅びの美”的なありさまとともに、ことさら情緒的かつ感傷的な“想い”ばかりクローズアップされるのが、とても気になっている。文字どおり、生命を賭した“自己否定”の上に、未来の“肯定”を見いだし築こうと試みた、理性的かつポジティブな彼らに対し、失礼ではないのか。

■写真上:戦艦「大和」と東京駅(近未来)。「大和」の前檣楼トップが白く塗られ、サイドの副砲が撤去されていないので、1942年(昭和17)夏ごろの柱島泊地かトラック島の艦姿だろう。翌年、旗艦設備を備えた「大和」よりも排水量がやや大きな、同型艦の「武蔵」に聨合艦隊旗艦が移っている。
■写真中は、『戦艦大和』吉田満(角川文庫/1968年)。は、米軍機より撮られた空襲直前の「大和」。白いウェーキーが大きく、爆弾や魚雷を避けるため最大戦速で、右へ急速回頭中のようだ。
■写真下:男女群島の南130km、北緯30度43分・東経128度04分、水深350m海底の「大和」。(艦首部) 1999年(平成11)8月20日の「朝日新聞」より。


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コメント 24

NO NAME

   釈迦に説法、ご存知とは思いますが、辺見じゅんの「男たちの大和」上下、角川文庫は、士官とは別の下士官や兵のルポルタージュからなるすぐれたノンフィクションです。兵、下士官と指揮官であった人たちとの地位を離れた人としての心のいききも書かれています。
   私が生まれるほんの少し前に、日本の将来を願いつつ、自分達なりの生きる意味を見つけようとした大和の乗組員がいた。そしてほとんどは生きることは無かった。この事実は昭和の終戦後の世代としては時に思い起こさなければならないという思いを、この本は刺激してくれます。

不沈戦艦のはずの大和が90度近く傾いているときに、乗組員は何を見て何を考えたのか。船底に残り、ハッチを閉められた彼等は何を願ったのか。指揮官たちは何を考えていたのか。この本はそれを説き明かしてくれます。
by NO NAME (2005-12-03 20:39) 

ChinchikoPapa

本のご紹介、ありがとうございます。『男たちの大和』は、まだ未読だったりします。17日から、映画が封切られますね。
バルジの内側、「防水区画」のさらに内側でハッチが締められたまま閉じ込められた乗組員は、はたしてどれほどいたものか・・・、胸が痛くなりますね。甲板へ出たくても、水圧でハッチをロックするケッチが動作せず、脱出路があるはずだったのに艦外へ出られなかった人びとも含めますと、膨大な数にのぼるのではないかと思います。
by ChinchikoPapa (2005-12-03 23:04) 

宮沢 靖

8月に尾道のロケセットを見学してから、「男たちの大和」は一気に読みました。本当に優れたノンフィクションでした。「このスタンスを崩さない限り、映画のほうも期待できるな。」と思ったほどでした。(原作の辺見じゅんさんは、角川氏の兄弟ですから)
私が一番感銘を受けたのは、たまたま生きて帰ること出来た乗組員たちが、それぞれの”戦後”を背負って生きていく姿でした。「生きるということは、かくも重い責任を背負うことなのか?」との思いにとらわれるほどでした。実際、この部分に多くのページが割かれていました。ただし、最後の20ページほどには、息を呑みましたが・・・
この感覚が、映画で上手く表現できているかが、とても関心があります。
by 宮沢 靖 (2005-12-05 20:01) 

ChinchikoPapa

宮沢さん、コメントをありがとうございます。尾道の記事も拝見しました。やはり、とてつもなく大きく感じますね。さっそくトラックバックさせていただきます。
ますます『男たちの大和』、読んでみたくなりました。映画もぜひ観てみたいですね。「大和」の生存者は、敗戦まで4ヶ月ほどでしたが、前年(1944年10月)に「武蔵」がシブヤン海で撃沈されたとき、生存者は機密保持のために隔離され、敗戦まで間があったため、のちに「早く死んでこい」とばかり次々と最前線へ送られて、「大和」の生存者以上に辛酸をなめた・・・という話を聞いたことがあります。ドキュメンタリー『軍艦武蔵』(手塚正己監督)だったでしょうか・・・。
「大和の生き残りは終戦まで4ヶ月しかなかったが、武蔵の場合は10ヶ月もあったのだ」・・・という主旨の発言をされている方がいたのが、強く印象に残っています。日本にとって“特別の艦”に乗り組んでしまった人々は、「生き残ってしまった沈没後」と、「生きて迎えてしまった戦後」と、二重の重い“くびき”に苦しめられつづけていたのでしょうか。
by ChinchikoPapa (2005-12-05 21:43) 

宮沢 靖

まだ「男たちの大和」は見に行っていませんが、サントラを早々と買ってきました。
メインテーマはすばらしいですねぇ。特に金管のキザミの上にホルンが勇壮なマーチを吹き鳴らすあたり、スカッとしていて。これがまた、悲劇を予感させるような叙情的なメロディーをかき分けて、徐々に姿を現すあたり最高です。

ただ全体の感じ、ロシア音楽といった雰囲気です。(^◇^;;
音楽だけ聴いていると、「まるで日本海海戦で、バルチック艦隊が撃沈されるところの音楽では?」と思わせる部分もあります。時に戦闘シーン(と思われる)音楽など、モロにロシア民謡といった感じです。 (^_^;)★\ バキ
by 宮沢 靖 (2005-12-20 21:27) 

ChinchikoPapa

ふーーむ、日本人の琴線と涙腺に大正時代の「カチューシャ」あたりからひびいている、スラブ・モードできましたか。これは、ちょっとヤバイですね。
知り合いと観に出かける約束になっているのですが、おそらく封切りから2週間ほどは満員ではないかと思い、少し様子を見ています。でも、入りが悪いと日本映画は2週間ほどですぐに打ち切られてしまいますので、毎日チェックを欠かせませんね。「○日まで」という表示が出たら、そろそろ空いてゆっくり観られるのではないかと期待しているのですが・・・。
レイテ沖海戦の栗田艦隊が、「スラブ行進曲」みたいなノリだったら、かなり興ざめしそうですね。(^_^;
by ChinchikoPapa (2005-12-21 00:11) 

宮沢 靖

全体的に、チャイコフスキーがショスタコの5番、7番、11番あたりをモチーフにして、「スターウォーズ」の劇伴を作ったといった感じです。(^_^;)★\ バキ
木管のソロが、長いモノローグを歌うあたりなど、ショスタコの交響曲を彷彿とさせますし、低音の”ダン、ダン、ダダダ”というリズムは、モロに「スターウォーズ」だし・・・
しかし、ラストシーンの音楽はすばらしいです。音楽だけで泣けます。
by 宮沢 靖 (2005-12-21 21:18) 

ChinchikoPapa

ますます音楽を聴きたくなりました。いえ、もちろん映画も観たいですが・・・。
でも、ロシア音楽はドイツ音楽と並んで、「西洋音楽」的な“遠慮”はあったかもしれませんが、戦時中も建前としては禁止されていなかったようですので、ロシアの旋律は耳にしていた人たちもけっこういたんだしゃないかと思いますね。
もっとも空襲下、スウィングJAZZをかけてダンスパーティーをしていた長崎アトリエ村の「非国民」芸術家たちもいたようですので、戦争末期には取り締まりの手が回らず、いろいろな音楽が半分ヤケ気味に聴かれていたのかもしれませんが・・・。
by ChinchikoPapa (2005-12-22 01:37) 

宮沢 靖

>レイテ沖海戦の栗田艦隊が、「スラブ行進曲」みたいなノリだったら、かなり興>ざめしそうですね。(^_^;

d(^_^)”反転また反転”ですか? (^^;
そういば「スラブ行進曲」も、暗く始まって、いきなり明るくなったりますね。
そして最後に、ロシア国家を高らかに鳴り響かせて。 (((^_^;)
by 宮沢 靖 (2005-12-23 20:17) 

ChinchikoPapa

中学生のころ、わたしは「1812年」と「スラブ行進曲」の区別がつかず、どちらも前半がモスクワを明け渡してしまった、お先真っ暗のクトゥーゾフの心情で、後半がようやく反撃(というかたまたま冬になったので)を始めた、ホッとしたクトゥーゾフ・・・というようなイメージで聴いてました。(爆)
フランスもトルコも、ごっちゃでしたね。(笑)
by ChinchikoPapa (2005-12-23 23:32) 

宮沢 靖

映画も見てきました。(^^;
画面に、久石譲さんの音楽がぴったりと合っていました。
映像を見ていると、音楽のロシアっぽさは、あまり気にならなくなります。
しかし、例のロシア民謡風のメロディーが、米軍機の大編隊が来襲する場面にかぶさっているのは、かなりの違和感がありました。 (((^_^;)

映画の印象は・・・。”一見の価値あり”と言っておきましょう。あとは人それぞれ。(((^_^;)
by 宮沢 靖 (2005-12-24 19:42) 

ChinchikoPapa

12月29日に観にいこうかと思っていたのですが、ご一緒する方の都合がつかず、鑑賞するのはどうやら来年になりそうです。それまでは、大掃除とお節料理づくりの毎日・・・でしょうか。(^^;
by ChinchikoPapa (2005-12-25 01:04) 

宮沢 靖

「男たちの大和」、2回見てしまいました。(^^;
d(^_^)近来まれな、催涙映画ですねぇ。1回目と2回目では、違うシーンで泣けました。
映像は完全デジタルだそうで、実写とCGの組み合わせなど、上手くできています。ただ、良くも悪くもデジタル映像の特徴が出てしまって、速い動きがガタガタするところはありましたが。
あと、脚本というか、編集に難ありというべきか。
しかし、こんな細かい部分は吹き飛んでしまうほどの、熱いメッセージが伝わってきます。

ラストシーンの久石譲さんの音楽は、すばらしいです。何と言うか、究極の鎮魂のメロディーといった感じで。その後の、長渕剛の主題歌が、蛇足に感じられるほどです。
by 宮沢 靖 (2006-01-10 21:18) 

ChinchikoPapa

わたしも先週末に観てきましたが、ほとんど催涙効果はありませんでした。なぜなんでしょう?(汗)
CGは精細だし、これまでになく「大和」の存在感がそこに“ある”にもかかわらず、テーマが拡散してなんとなく中途半端な感覚にとらわれてしまいました。さまざまな層の観客を、より広く最大公約数的に「納得」というか、「違うんじゃないか?」という感覚を抱かせないためにか、描き方の突っ込みがすべての面で宙ぶらりんという感じがつきまとっていました。消化不良の「予定調和」といった感覚でしょうか。
うしろに座った70~80台とおぼしきお年寄りが、なぜか深刻な場面でハッハッハッと笑っていたのが気になり、深刻なシーンでゲラゲラ笑い声を聞いたのは『チャイナ・シンドローム』の米国人以来だなどと思ったり・・・。たとえが悪いですが、反町隆のまるで池部良的にノッペリした演技(はっきりいえば、なにを演じても反町隆でヘタなんですもん)も、興醒めの一因なのでしょうか。
「大和」の沈没からわずか8年後の、1953年(昭和28)に公開された『戦艦大和』のほうが、チャチなセットや見るからに模型の情けない「大和」にもかかわらず、全編を通じて「なぜ、なぜ、なぜ!?」という主人公・吉田副電測士の理性のこだまが響きつづけて、より切実なリアリティがあったように感じます。う~ん、われながら冷めてますね。(爆)
催涙効果といえば、わたしは『Allways三丁目の夕陽』はジワジワきました。(^^;
by ChinchikoPapa (2006-01-11 00:54) 

宮沢 靖

確かに”消化不良”は、いたるところで感じました。(^^;
特に後半の沖縄戦からラストにかけて、なにか先を急ぐあまりに、各シーンを
途中でちょん切っているのではと思わせるシーンが目立ちました。妙子と神尾の再会の場面で、妙子が「かっちゃん」と言ったところでシーンが終わってしまいますから。あきらかに編集ミスです。
散漫な印象を受ける原因の一つとして、登場人物が多すぎるキライはあります。誰がどうなったのかがわからないまま、「あらみんな死んじゃった・・・」で終わりですから。
原作は、200人以上の人の証言を集めたノンフィクションですが、それを20人足らずの登場人物に凝縮しようとしたところで、なにか作りもの的なスパイスがかかってしまったという印象です。
しかし、意図したものは見えてきますね。ちょっと情緒的な面に、流れすぎているきらいはありますが。
by 宮沢 靖 (2006-01-11 21:38) 

ChinchikoPapa

戦闘シーンは1回の攻撃のように描かれていましたけれど、実際には4回にわたる波状攻撃だったわけで、その合い間の休憩時間にもまた、さまざまな想いやドラマが生まれていたといいます。吉田満は、空襲が絶えた時間に被弾現場を視察し、飛散した肉片を見ながら強烈な無常感・虚無感にとらわれていますし、12.7cm高角砲や23mm機銃の戦闘員たちには冷えた三ツ矢サイダーが配られたという逸話も残ってますね。音が聞こえなくなってしまった(急性難聴)無蓋の機銃座戦闘員の絶望とか、敵機に向かってバンザイを叫ぶ気の触れてしまった乗組員の悲惨さとか・・・。
防水区画の自動注排水がうまくいかず、艦底へ「決死隊」が派遣されたり、逆に周囲区画の注水で取り残されてしまった室の乗組員たちを救出に向かったり・・・と、戦闘の合間には長さ263m×幅38.9mの空間で想像を絶する多様な悲劇が、ギッシリと集約的・凝縮的起きていたわけですが、映画では爆弾と魚雷と機銃掃射による攻撃と、非常に単調な連続描写ばかりで、確かに気がつけば「あらみんな死んじゃった・・・」という印象があります。もっとも、三連装機銃座が主人公たちの持ち場だったわけですから、仕方がないのかもしれませんが。
なにが理不尽なのか、なにが虚しいのか、どこが狂っていて本質的に間違っているのか、もう少しキメ細かく描かなければ、いまの若い子たちには伝わらないんじゃないかという気がします。「大和」に向かって飛んでくる米軍機は、一歩間違えれば『インディペンデンス・デイ』の得体の知れない侵入者のように見えてしまうんじゃないかな。美しい地球と愛しい家族を守るために、日吉から指令を受けて「大和」は出撃したわけではないのですから・・・。
by ChinchikoPapa (2006-01-12 02:05) 

宮沢 靖

d(^_^)確かに、それは感じました。ずいぶんと解説が多いわりには、肝心なところの説明が不十分というか。「自分たちが分かっているから、見るほうも分かっているだろう。」的な思い込みがずいぶんとありますね。やはり、製作側の思い入れが強すぎて、見るほうの観点が抜けていたというべきでしょうか?
何か力瘤を入れすぎて、かえって力が抜けてしまったような印象があります。
なんとも惜しいというか、なんというか。
by 宮沢 靖 (2006-01-12 21:37) 

ChinchikoPapa

おそらく、オスガキどもに映画を見せると、なぜ戦闘機の護衛もないのに、あえて制空権を持ち手ぐすね引く米軍の中へ突っ込んでいくのかがまったく理解できず、「どこかが思いっきり、チョ~間違ってる作戦」だと認識するはずです。(5~10機の零戦が戦闘間際まで護衛していたという新証言も出てますけれど)
・・・が、大本営と軍令部と、参謀本部が揃って「馬鹿の三乗」(ビルマ方面派遣師団長の書簡)によるインパール作戦と同様、どうしてそれを止められないのかに、あたりまえの論理や理性が通用せず、映画でも軽巡「矢矧」や護衛の駆逐艦艦長の主張としてちょっぴりは描かれてはいましたが、疑義や異論が「天皇」の名のもとに圧殺されていく、軍国主義的な精神論(大和魂)と背中合わせの“亡国思想”が横溢していたベースが、あの映画からはほとんど見えてきません。
だから、いまの若い子たちが見れば、あたかも「日本」と「家族」を守ろうとした、まるで祖国防衛戦争のように映ってしまい、まったく見当はずれな「感動」へとスライドしやしまいか・・・という懸念のほうが、ことさら大きく感じてしまうようなのです。
by ChinchikoPapa (2006-01-13 00:16) 

宮沢 靖

私は、あの映画を見た若い子達が、「さあ、彼らの後に続こう!」と思うような作りにはなっていないと思います。
ある意味、非常に”わかりやすい”映画ですね。>「男たちの大和」
結局佐藤監督は、ラスト近くの神尾老人の言葉「わしらは確かに命をかけて戦った。しかし何も守ることは出来なかった。」を言わせるために、その前の2時間半分を撮っていたように思えます。
この映画のプレス発表の際の、面白い話があります。
「大和」というと、当然のように”死の美学”が語られることになり、記者から出演者に対しての質問も、「あなたは愛する人のために死ねますか?」という内容に終始したそうです。中には「死ねます!」と答えた若いキャストもいたそうですが、最後に佐藤監督がマイクを取って、「いや、愛する人を守るためには、戦争をしないことを考えるべきだ。」と答えたそうです。
実際映画の中では”死の美学”などは、一つも描かれてはいませんでした。あるのは、苦悩し運命を受け入れようとする”普通”の人々。確かに”知性”よりも”情緒”に訴える作りにはなっていますが(そこがまた日本的)、”平和”だ”反戦”だとと理屈を振り回すよりは、非常にプリミティブな部分から平和を考えることが重要なのではないかと思います。
by 宮沢 靖 (2006-01-13 07:08) 

ChinchikoPapa

佐藤監督がどのような意図で言われたのかはわかりませんが、非常に一般的かつ情緒的な言葉に、「戦争はいけない」・・・というのがあります。
わたしの小・中学校時代に、ベトナム戦争というのがありましたが、はるばる太平洋をこえて51万人の米軍が送りこまれ、それに対し抵抗するベトナム人たちに向かって、具体的な情況をすべて捨象しつつ「戦争はいけないからやめろ」という言質が、はたしてどのような意味を持って響くのか・・・というテーマがありました。これは「ベトナム」を、ソ連軍に攻め込まれ市民たちが抵抗をつづけた「ブタペスト」や「プラハ」、「アフガニスタン」、あるいはイスラエルの「パレスチナ」や日本の「中国」「東南アジア」に言い換えても、同様のテーマが起ち上がるかと思います。
「戦争はいけない」「戦争はやめろ」というおそらく“善意”の言葉が、既成事実と情況のの固定化(肯定化)とともに、非常に政治的な意味合いをもって一方的に響いてしまう。限りなく抽象的で曖昧な「愛する人のために死ねるか?」という言葉も、その“場”の情況を踏まえない一般論へとすりかえられてしまえば、まったく同様ですね。北海道でヒグマに襲われたり、家に強盗が入ってきたら、生命を賭けて闘うのは間違いないとは思いますが。(笑)
「戦艦大和」もそうですが、わたしたち親世代の“あの戦争”を、うちの親戚や知人が大勢犠牲になった、人を人とも思わない「大日本帝国」の戦争を、一般論で片づけてしまうには、わたしはいまだ生々しいしあまりに早い・・・と感じてしまいます。だから、「大和」を情緒的かつプリミティブに描こうとするような意図に、強い抵抗を感じてしまうのかもしれませんね。
by ChinchikoPapa (2006-01-13 12:42) 

宮沢 靖

去年の5月に、万博の赤十字館で受けた衝撃と、(そのとき考えたことはこちらhttp://y-miyaz.cocolog-nifty.com/blogde3po/2005/10/post_3129.html
8月に尾道のロケセットで受けた衝撃(そこに、例の臼淵大尉の言葉も掲示されていました。)以来、ずっと考え続けたことがあります。
すなわち、戦争とは”歴史上の一時点の政治的な現象”ではなくて、”未来永劫人間が持ち続けるであろう、罪深い習性”ではないかということ。放っておくと、人間はすぐ戦争をしたがる。だから、この”習性”にブレーキをかけるべきだ。これが私が言う「戦争はいけない。」の意味です。
世の中には、「戦争の種」がゴロゴロ転がっています。すなわち、ほんのちょっとした生活習慣、思想、経済的な格差、宗教、出身、民族・・・。それらに起因する不満の捌け口をある”犯人”に仕立てて、「奴らは我々とは違う。」「奴らを追い出せ、排除せよ。」「脅威は外にある、我々は脅威を受けている。」という意識が増幅していって、それに今度は「我々を守れ。愛する人、家族を守れ、我々の国を守れ。」という意識が結びつきます。そこに、きっかけと武器さえあれば・・・、あとは明白です。
すなわち犯人探しをして、「アイツさえいなければ世界は平和になる。」「アイツさえいなければ、あの戦争は起きなかった。」と言って安心するばかりでは、戦争はなくなりませんね。戦争は外からやってくるのではなく、我々の中からおきるものですから。現に、”犯人”とされていた脅威がなくなると同時に、新しい脅威が現れます。人間は、常に外に”脅威”を求めたがるものなのです。

>人を人とも思わない「大日本帝国」の戦争
という部分が、なにか犯人探しのように見えてしまったので、このようなコメントをしました。
これはChinchikoPapaさんとσ(^_^)との、世代の相違でしょうか?
by 宮沢 靖 (2006-01-15 19:59) 

ChinchikoPapa

戦争を、「未来永劫人間が持ち続けるであろう、罪深い習性」、あるいは「人間は常に外に”脅威”を求めたがる」という、本能的(?)な側面から捉えてしまいますと、逆に「人間が殺し合うのに嫌悪感をおぼえる」というのも、これまた、わたしは人間の本能的な側面であろうかと思います。でも、これらはすべて“一般論”の世界ではありますが・・・。
わたしの文脈は、個々の具体的なその“場”の状況を前提として、ではどのような方法論で、そこにある危機を止められるのか(別にテーマが「戦争」でなくても、「環境破壊」でも「町殺し」でもなんでも本質的には同じだと思いますが)・・・というニュアンスで書いてきたかと思います。個々の人間の「習性」や「本能」を止揚することで、果たして国家という組織的な戦争が止められるとは、残念ながらわたしには思えません。ロシアつながりでいいますと、ナポレオン戦争などをテーマにした19世紀の「歴史における個人の役割」(プレハーノフ)的な、社会科学の原点ですね。(^^; 一般論ではなく、また情緒的な感情でもなく、その“場”の状況に応じて個々、理性的な方法論をそのつど考えつづけない限り、「戦争」は止揚できないと思いますし、また理性的な臼淵大尉のアンチテーゼへ応えることにはならない・・・というように感じてしまいます。
「世代の相違」もあるかもしれませんが、地域や環境の違いもありそうです。たとえば、会津や京都で「この前の戦争」というと戊辰戦争のわけですが、東京は間違いなく第二次世界大戦です。(笑) 東京大空襲のジェノサイドを経験した土地柄ですので、沖縄や広島・長崎に近しい感覚があるのかもしれませんね。
by ChinchikoPapa (2006-01-16 11:48) 

ChinchikoPapa

昔の記事にまで、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2014-07-21 19:50) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
by ChinchikoPapa (2014-07-21 19:51) 

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