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怒られ、怒鳴られ、訴えられて・・・。 [気になる神田川]

 妙正寺川と神田川が、この前の台風でまた溢れてしまった。「想定外」の雨が降ったせいで、地下遊水池も分水路も許容量を超えてしまったのだ。新宿区や中野区、杉並区の河川担当者は、「もう、カンベンしてくれ~! なんとかしてくれ~!」に違いない。明らかに防災上の設計ミスや、泥縄式の施策を繰り返していた1970~80年代ぐらいまでは、行政の責任は重かったろう。妙正寺川の分水路が完成しているにもかかわらず、「下流が洪水になるから」というわけのわからない理由でフル稼働せず、上流(下落合駅~高田馬場周辺)が洪水になるのを黙認していた責任は大きい。下流の護岸工事が未完成だから・・・というあべこべの工事進捗では、ずさんな計画で怠慢だというそしりはまぬがれないだろう。だが、いまの洪水は単純な防災計画のミスではなく、もっと構造的で深刻な問題をはらんでいる。
 今度の大雨で溢れたのは、中井駅付近の妙正寺川と、下落合駅近くのもともと妙正寺川が落ち合っていたあたりの神田川低地だ。下落合のほうは、膝下ぐらいまでの冠水でたいしたことはなかったようだが、中井のほうは家屋浸水が起きて護岸が崩れるなど、より深刻な被害を受けている。以前、「高田馬場峡谷」Click!でも書いたが、神田川や妙正寺川への流出率、つまり雨が降ったあとの水が両河川へと流れ込む割合が、急増しているのだ。特に、両岸へのマンション建設が多くなった90年代からは、地面が露出して雨が土に染み込む緑地や、庭を持つ一戸建て住宅の減少とともに、再び集中豪雨によりいつ洪水が起きてもおかしくないような状況になりつつある。行政と周囲の住宅環境との、まさにイタチごっこが始まっている。
 
 川底を掘っていくら深くしても、両岸の堤防をいくら高くしても、ビルやマンションが増えるごとに両河川の流出率は増えつづけ、危険水位のサイレンが鳴り止まない。今後は地面をコンクリートで覆ってしまう、ビルやマンションの建設は条例で禁止・・・なんてこともできない。当局の防災担当者は、「文句があるなら、川岸にあたりかまわずビルやマンションを造ってる建設業者かオーナーに言ってくれ!」・・・と、もうノド元まで出かかっているに違いない。それでも、被災住民からは怒られ、場合によっては損害賠償の訴訟を起こされてしまう。
 ビルやマンションを建てても、雨水を地面に染み込ませるシステムはとうに完成している。これは降水を、そのまま配水管や下水管に流してしまうのではなく、一度水槽に蓄えて泥などを沈殿させてから、砂利の詰まった濾過槽へと移して徐々に地面へ浸透させるしくみだ。「雨水浸透システム」と名づけられたこの装置は、積極的な板橋区や練馬区では導入が進んでいるが、神田川と妙正寺川を抱える新宿区や中野区などでは、導入がなかなか拡がらないようだ。いくら建設業者に「雨水浸透システム」を導入してくれと“勧告”しても、コストがかかる設置義務のない工事を、業者が易々と了承するはずはないのだ。
 
 もうひとつ、「雨水浸透システム」のメリットは、湧き水や井戸の水量が復活することだ。降水の90%以上が、神田川や妙正寺川へと流れ込んでしまう地面がコンクリートで覆われた現状では、その両岸にある泉や井戸は干上がるばかりだ。でも、このシステムの設置が増えれば地下水脈の水量が豊富になり、枯れかけた泉や井戸の水量が元のように多くなる可能性が高いといわれている。実際に、このシステムを導入して実践している町がある。神田川の水源、井の頭公園を抱える武蔵野市や三鷹市だ。

 井の頭公園の池底には、7つの泉があるといわれていた。ところが、周囲に住宅やビル・マンションが増えるにつれて、泉からの水量が激減し、夏の渇水時には池が干上がるところまできてしまい、湧水が完全に枯れたのだろうと言われた。しかたがないので、地下水をポンプアップして池へ注ぐしくみを造ったが、なんら本質的な解決にはならない。そこで両市は、「地下水浸透システム」を積極的に導入して泉の回復を推進している。このように、行政が積極的に、ときには強制的な“指導”をしない限り、地面をコンクリートで固めたがるビル・マンションの建設業者には効果がないのではないか。「雨水浸透システム」を導入している建物には、区が補助金を出すとか税を割り引くとか、他にもさまざまな施策が考えられるだろう。
 神田川や妙正寺川の溢水は、もはや行政の治水ミスを超えて、「住環境問題」化しつつある。「緑の課」や「公園課」、「河川課」、「防災課」と細分化・“専門分野”化もいいけれど、自然のサイクル(生態系を含む)をトータルで鳥瞰し、マクロな視野で考える部局ができても、そろそろいいんじゃないかと思うのだが・・・。

■写真上:神田川(手前)と地下分水路化した妙正寺川(左手)が合流する、現在の「落合」ポイント。十三間通り(新目白通り)の高田橋から、明治通りの高戸橋を望む。
■写真中は、現在の妙正寺川。これだけ深く掘削しても、溢水の被害は止まない。川底の清掃をする、職員の姿が小さく見える。は、1937年(昭和12)の妙正寺川。大雨でいまにも溢れそうだ。翌年には、中井駅の寺斉橋が流されている。
■写真下は1990年代の神田川洪水で、冠水した杉並区の道路。は環状7号線の地下にある「調節池」で、今年10月末に完成したばかり。先の台風では、工事中だったこのトンネルにも注水したが被害を止められなかった。
■図版:東京都下水道局が作成した、「雨水浸透システム」のパンフレットより。


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生まれも育ちも下落合!

神田川の氾濫は小学生時代(昭和50年代)には日常茶飯事だったような記憶があります。落四だったので大雨が降ると授業も早々に打ち切り、班別に集団下校した思い出があります。坂の上に住んでいたので、殆ど氾濫を直に目にしたことはなかったのですが、NHKなどの中継で、高田馬場渓谷の前の橋の上からいまにも溢れそうな神田川の様子を見ていたことを思い出します。(この中継のことを知っている川近くの子供たちがTV画面に映りたいがために記者の後ろでピースしていることがあり、毎回学校の先生から危ないからそういうことをしないように、と警告された覚えがあります。でもやる子どもはやっていましたが。。。)
この辺の話は泉麻人さんの「東京23区物語」にも書かれていたかと思います。
by 生まれも育ちも下落合! (2005-11-10 01:40) 

ChinchikoPapa

わたしも、70年代半ばから下落合付近をウロウロしていましたけれど、少し激しい雨が降ると、しょっちゅうサイレンの音が聞こえてましたね。いまは1年を通じて、ずいぶんサイレンの回数が少なくなりました。80年代に入って早々、聖母坂の上に住んでいたことがありますが、サイレンの音は坂上までよく聞こえてきました。
あと、とても印象に残っているのが、高田馬場峡谷の先にある橋(当時は斜めに架かってました)が、神田川の水位が上がりすぎて水をせき止める堤防のようになり、周囲へ濁流が溢れ出していた光景です。いまもお店がありますが、橋詰めの自転車屋さんあたり、ひとたまりもありませんでしたね。
by ChinchikoPapa (2005-11-10 16:23) 

ChinchikoPapa

こちらにも、nice!をありがとうございました。>まーちんさん
by ChinchikoPapa (2010-09-25 02:51) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、いつもnice!をありがとうございます。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2010-09-25 22:10) 

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