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名前がピッタリな池の上キリスト教会。 [気になる下落合]

 小字がふられる前、大正期以前は不動谷Click!と呼ばれていた聖母坂のある谷間の右手に、昔から比較的大きな沼沢があった。現在の久七坂沿いにある、聖母病院へと抜ける急な階段が設置されている谷戸の突き当たり一帯だ。この崖線からも泉が湧き、窪地に自然にできた池があった。それがのちに、近くで採れた農産物を洗ったせいか、大正期には「洗い場」と呼ばれるようになり、昭和初期には湧き水を利用したプールになった。

 いまでもこの泉は湧きつづけていて、暗渠のまま聖母坂を流れ下っている。近くのマンション裏や住宅の間に、幅80cmほどの細長い新宿区の所有地がつづいているが、その下にはいまだ崖(バッケ)からの湧き水が通っている。この池があった崖上に、1970年(昭和45)に「池の上キリスト教会」は引っ越してきた。下落合では、もっとも新しいキリスト教会だった。下落合へ移転する前は、井の頭線の池ノ上駅近く(世田谷区代沢)にいて、「池の上」は駅名にちなんだ名前だったのだ。それが偶然からか下落合の移転先も、もともと池があった崖上に教会が建設されたことになる。しかもこの土地は、昭和初期に下落合でキリスト教を伝導していた本郷善次郎という人の所有だったのも、どこか因縁話めいている。
 この教会の創立者である、山根可弌(よしいち)は特異な経歴の持ち主だ。もともと東京警視庁の営繕課に勤め、本人も認めるバリバリの国粋主義者だったのだが、再婚したクリスチャンの夫人の影響を受け、まったく正反対のリベラルな思想に傾いていく。1940年(昭和15)には警視庁を退官し、その退職金と財産のすべてを注ぎこんで、当時日本の植民地だった「韓国」のソウル(京城)に孤児院「香隣園」を建設し、キリスト教の布教を開始している。それが、当時のソウル市内で大きな反響を呼んだ。
 1940年というと、下落合界隈ではすでにキリスト教会に対する特高警察の弾圧や、憲兵隊による監視が強まっていたころだ。でも、山根の活動は元警視庁出身ということで、特高のマークも明らかに甘かったようだ。彼の仕事は、日韓双方のドキュメンタリーなどでも取り上げられている。山根可弌の思想は、当時のイギリスで始まった「オックスフォード・グループ・ムーブメント」の影響を受けたといわれている。世界を救うには、各国の政治家や財界人など国家を動かす人物たちの主体を変革しなければダメだ・・・という、当時MRA(モーラル・リー・アーマメント)運動と呼ばれた、きわめてインターナショナリズム色の強い考え方だった。日米開戦直前の1941年(昭和16)夏、山根は日本で開かれたMRA全国大会の総責任者をつとめているが、特に強く弾圧されたという記録は見られない。
 

 戦後は、高田馬場に礼拝堂を設け、「聖イエス会東京中央教会」と名づけて活動を再開したが、内紛により山根はここを離れ、再び全財産をはたいて井の頭線の池ノ上駅近くに「池の上キリスト教会」を建設した。この教会は、どこの教団や教派にも属さない独立独歩のキリスト教会だったが、しだいに教会員数も増えて礼拝堂も手狭になったので、1970年(昭和45)に下落合へ引っ越してきたというわけだ。
 わたしは、この教会の前を頻繁に行き来していたが、ついに中へ入ってみることはなかった。近隣信徒は170名、そのうち井の頭線の池ノ上駅近くの信徒は50名ほどだったと聞いている。どことなく、家族的な雰囲気が強くて、気軽に立ち寄れる感じがしなかったせいだからだろうか。信者ではなくても、勉強会さえ受講すれば誰でも結婚式が挙げられたそうだ。下落合で30年近くも活動した池の上キリスト教会だが、現在は武蔵境の近くへ再び移転Click!している。今度も、池の上に建てられたのだろうか?

■写真上:1990年(平成6)当時の池の上キリスト教会。
■写真下は1936年(昭和11)ごろの「洗い場」と、は1947年(昭和22)ごろのプール。


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いのうえ

あの坂の下ったところにそんなユニークな教会があったのですか。 坂の階段の上から見下ろす聖母病院(あの位置からだと聖母ホーム?)は夜は又一段と趣がありますね。 トラックバックさせていただきました。
by いのうえ (2005-08-10 12:53) 

ChinchikoPapa

坂を下ったところではなくて、教会は坂の上にありました。つまり、昔の池(プール)があった崖線の上ですね。ちょうど、下落合公園から入って、RollingPinのある道を西へ向かった左手です。
「池の上キリスト教会」という文字と十字架がなければ、一見、ふつうのお宅のように見えてしまう建物でした。いまは、確かコンパクトマンションかアパートになっていたと思います。
by ChinchikoPapa (2005-08-10 14:06) 

いのうえ

Papaさん失礼致しました。 坂を上がったところでしたね。 1970年に下落合に引っ越してきて30年近くあったというのに 全くその存在を知りませんでした。 最近はよく散策をしているので 珍しいものがあれば見逃さないのですが。 
by いのうえ (2005-08-10 19:34) 

ChinchikoPapa

わたしも、最初はふつうのお屋敷かと思ったのですが、屋根を見上げると十字架が・・・。あまり人びとが集っているシーンを見かけたことがありませんでしたけれど、日曜日ごとに、礼拝はきちんと行われていたようです。
もともと池ノ上にあった教会ですから、日曜の早朝に、わざわざ世田谷からみえてた方もいらしたのですね。クリスマスも、どこか地味でひっそりとしていた印象があります。こじんまりとした、家族的な雰囲気だったんでしょうね。
by ChinchikoPapa (2005-08-11 00:07) 

MM

おお~!!懐かしいです、この教会!!
入ったことはないですが、近所なので前はよく通ってました。
写真でも再会できて嬉しいですね、懐かしい風景は^^
by MM (2005-08-11 20:11) 

ChinchikoPapa

趣きのある建物で、それほど古そうではありませんでしたので、壊してしまったのがもったいないですよね。十字架を外し、そのままリフォームすれば、住宅として使いつづけられたんじゃないかと思います。
by ChinchikoPapa (2005-08-11 20:48) 

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