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写真で見る箱根土地本社。 [気になる目白文化村]

 

 箱根土地本社の建物は、松下春雄が1925年(大正14)に描いた『下落合文化村入口』でしか、その様子をうかがい知ることができなかった。松下春雄(1903~1933)は、葛ヶ谷(西落合)にアトリエを建てた画家で、佐伯祐三と同じく30歳で夭折している。1931年(昭和6)に、帝展で『花を持つ女』が特選に入賞した。また、佐伯祐三(1898~1928)も、『下落合風景』シリーズの中で箱根土地本社の建物を描いているが、遠景のため建物の詳細まではわからない。(のちに、佐伯は箱根土地の社屋は描いておらず、八島さんの前通りClick!だと判明した)
 松下春雄の『下落合文化村入口』は、実際に新宿歴史博物館の企画展で観たことがあるが、赤レンガで造られたとみられる2階建てのビルが右手に描かれ、手前の庭園「不動園」の池は青く塗られている。本社屋はまるで、東京駅舎のような風情に見えた。ところが、ここに1枚の写真がある。1927年(昭和2)に撮影された、落合尋常高等小学校(現・落合第一小学校)の卒業記念写真だ。この時期、落合小学校では数年にわたり、なぜか卒業記念写真を学校内では撮らず、わざわざ旧・箱根土地の庭園までやってきて撮影している。(新校舎建設のためか?) そのおかげで、解体前の箱根土地本社建物の貴重なショットが写真で残ることになった。ちょうど、佐伯祐三が下落合一帯を写生してまわっていた時期と符合する。
 大正末に、箱根土地は「学園都市」開発のため国立へと本社を移転し、写真が撮られた時期のビルは中央生命保険互助会社の所有だった。建物の様子を見ると、どうも赤レンガのビルには見えない。関東大震災後に東京で大量に建てられた、箱根土地の建築部も得意としたバラック建築のように見える。それとも、ビルの主要部はレンガ造りで、張り出したウィング部、または増築された部分はバラック方式で建てられたのだろうか? ただ、窓や角のデザインを見ると、松下春雄の絵とまったく同一なので、赤レンガの上に、なにかの塗装をほどこしたのかもしれない。

 この卒業写真が撮られたころ、昭和初期の「東京市広報」は次のように書いている。
  
 目白文化村と言っても、落合町にあるのだが、落合町は文化村の誕生地だ。大正十三年初めて文化村が出現したとき、新聞ヂャーナリストの好題目となった。断髪のママが附近の市場で大根や葱を買う、これはたしかにニュースバリューがあったからだ。いまではそんなの、ざらにある。しかし文化村、翠が丘宅地などは良好住宅地として、断然有名である。(「落合新聞」1966年5月24日第37号より転載)
  
 文中に「大正十三年初めて文化村が出現」とあるが、第一文化村ができたのは大正11年の誤りだ。旧・箱根土地本社のビルは、中央生命保険に倶楽部として利用された。だが、改正道路(環状6号線/山手通り)の工事開始とともに、ほどなく解体されている。山手通りが貫通したあと、残りの跡地には古川病院が建てられ、現在では落合消防出張所となっている。

■写真は、1927年(昭和2)の落合尋常高等小学校卒業写真に写る旧・箱根土地本社ビル。(方向) は、1925年(大正14)に描かれた松下春雄『下落合文化村入口』(方向)。
「目白文化村」サイトClick!


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ChinchikoPapa

補足で感想を書き添えますと、この卒業写真ですが、とても大正が終わったばかりのころ、昭和2年のものとはまったく思えません。まるで、昭和30~40年あたりの卒業写真を見ているようです。それだけ、目白文化村にはさまれた落合(第一)小学校は、モダンでハイカラな雰囲気だったんでしょうね。
写真の中にガクランの姿で、イガクリ頭の子が混じっていなければ、おそらく年代が30年以上ズレた印象を持ちます。
by ChinchikoPapa (2005-06-25 21:50) 

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