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昭和初期の下落合広告「落合信用組合」。 [気になる下落合]

 現在のピーコックストアの斜向かいで目白病院の西隣りの角地、豊多摩郡落合町下落合563番地に「落合信用組合」の本店があった。キャッチフレーズが「落合町唯一の相互金融機関」となっているので、東京市内の都市銀行はまだ目白界隈へ進出してなかったころだ。1941年(昭和16)現在でも、目白通り沿いには落合信用組合、内國貯金、昭和銀行の3行しかなかった。
 府営住宅や目白文化村が建設され、目白通り沿いにも商店や会社が奥へのびるにつれ、郵便局以外にも金融機関の必要性が高まったのだろう。定期預金の年利が1932年(昭和7)現在で6%だから、いまの状況に比べたらかなりの高金利になる。関東軍が「満州国」を設立し東京駅からは第1次武装移民団が出発、陸軍が続々と上海へ上陸するなど、中国の植民地化が「順調」に推移していたころだ。「大陸への投資熱」も高まり、前年までの世界大恐慌の影響からようやく脱して、金利も少しずつ上昇していたのだろう。
 落合信用組合は1950年(昭和25)、3つの信用組合が合併して東京山手信用金庫として生まれ変わっている。この合併の直前、1948年(昭和23)に落合信用組合は、新聞紙上で一度大きく注目を集めている。目白通り沿いの本店ではなく、西武新宿線・中井駅の寺済橋にほど近い上落合出張所(上落合2丁目717番地)で、それは起きた。同年1月20日、東京都防疫官の名刺を出し山口博士と名乗った男が、近所で集団赤痢が発生したので持ち込まれた貨幣や手形などを消毒しなければならない・・・と現れた。不審に思った支店長が拒否して、なにごとも起きなかったが、前日の1月19日にも男は三菱銀行中井支店に現れている。

 落合信用組合に男が現れた数日後、1月26日には西武池袋線・椎名町駅の帝国銀行椎名町支店に、同じような男が同じようなことを言って現れ、16名が死傷する「帝銀事件」が発生している。落合信用組合は、三菱銀行とともに「帝銀事件」の“予行演習”の場に使われたようだ。直前の未遂事件ということで、2行があった中井駅周辺は騒然となった。
 いまでは、本店のあった下落合563番地はガソリンスタンドとなり、東京山手信用金庫本店は東池袋へ移転している。

■写真は「落合信用組合」の媒体広告(1932年・昭和7)、は当時の清戸道(目白通り)。工事中の改正道路(山手通り)を背に西側を望む。右手は椎名町3丁目(現・南長崎3丁目)、左手は下落合3丁目(現・中落合3丁目)で商店街のうしろは府営住宅、さらにその背後には目白第一文化村が拡がっている。トンビかインバネス(外套)を着て歩く男たちに、時代を感じる。


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