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関東大震災直前の生き物たちの記録。 [気になる下落合]

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 これまで、大江戸の安政大地震あるいは関東大震災についての多種多様な記録Click!や事件を、このサイトで書いてきているが、その直前の「前兆現象」とも呼ばれている出来事はあまり記事にしていない。落合地域の詳細な震災記録は、被害がきわめて少なかったせいかほとんど見かけないが、お隣りの上高田や中野地域では聞き取り調査が行われている。きょうは、関東大震災の直前に起きた現象について着目してみたい。
 大地震の直前に、生き物たちが妙な行動や通常とは異なるふるまいを見せることは、別に関東大震災に限らず江戸期の昔からいわれつづけていることだ。日常が非日常に感じ、なにかが「おかしい」と思えてくる感覚は、大地震の「前兆」現象として語られてきた。大正期の東京市街地では、すでに郊外に比べ動物の姿を見かけることが少なくなり、相対的にそのような記録は少ない。だが、当時は田畑が多く、いまだ住宅の数も少なかった中野や新宿、渋谷などを含む豊多摩郡では、動物たちの不可解なふるまいを記憶した人々が多かったのだろう。
 中でも、ヘビをめぐる話は、郊外に限らず市街地でもたまに聞かれる現象だ。市街地では、ふだんは天井裏や縁の下に棲むアオダイショウが、大地震の前日に人のいるのもかまわず庭へ出てきて、樹木の枝や灯籠、垣根にからみついていた……というような逸話だ。別に気まぐれなアオダイショウくんが、ちょっと気分転換に出てきただけなんじゃないの?……と結果論的な観察にも思えるのだけれど、大地震の前日譚として同じ話がいくつか重なると、それは偶然ではなく必然に思えてくる。
 落合地域の西隣り、上高田地域には関東大震災の前日、ヘビの異変に気づいた人たちが大勢いた。語り口調のままで記録されたその証言を、1987年(昭和62)に中野区教育委員会から出版された、『中野の昔話・伝説・世間話』から引用してみよう。
  
 この辺にねえ、とても蛇がいたんですよ。だからあのぅ、関東大震災のときにね、蛇がたくさん出たんですね。地震の前に。それでね、おかしいおかしいって言ってたときに、地震がいったっていうね、話ですね。/だから、やっぱり地に棲んでる蛇っていうものは、なにか敏感に感じるんですねえ。蛇だとか、ひき蛙とかねぇ。犬とか鶏が異常に騒いだってのはね、やっぱりそこになんかある。/もう、裏といい前といいね、もう、あらゆる蛇が出てきたそうですよ。どうしたんだろうってね。そうしたら、八月三十一日だそうです。前日のね。いったいなんでこんなにってね。それから、犬を飼ってて、犬とか鶏を放し飼いにしてる小屋があったんですよ。その鶏が落ち着かないで、ひとつもね、鳴いてコッコッコッコッ落ち着かないんで、おかしい、どうしちゃったんだろうなんてねぇ、言ってるときに、九月一日のお昼にね、あの地震だった。/だけど昔の人はね、やっぱりその理由はわかんなくても、その前の日に不思議だっていうことを感じていたわけですよね。そういうものが出てきたんで。
  
 落合地域には、いまでもヘビClick!がたくさん棲息しているが、はたして大地震の前触れにおかしなふるまいを見せてくれるだろうか。少なくとも、わが家の周辺にいるアオダイショウClick!やシマヘビたちは、ちょっととぼけたユーモラスな姿は現わすものの、いまだ「おかしい」と感じるような不可解な様子は見せたことがない。
 ヘビたちがパニックを起こしたのは、地面の近くにいて人間の鼓膜には聞こえない地鳴りのような低周波(20Hz以下)の異常音、あるいは大地震の前触れとなったプレートのズレや崩壊の直前に起きる、微小な異常震動音を感知したものだろうか。この証言は、関東大震災の前日である1923年(大正12)8月31日の出来事、つまり24時間前の異常現象として記録されたものだ。
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 上高田地域の隣り、中野地域では旧・神田上水(現・神田川)に注いでいた桃園川(中野川)での異常が記録されていた。ふだんは川底の泥に沈んで釣れないはずのナマズが、面白いように獲れた話だ。つづけて、1989年(平成元)に中野区教育委員会から新たに出版された、『続・中野の昔話・伝説・世間話』から引用してみよう。
  
 桃園橋って橋があるでしょう、あれからねぇ、百メーターくらい行った桃園堰、その間にね、流し鈎で釣るんですよ。竹の先に紐付けて、その先にドジョウとかミミズ付けてやるわけ。それをとるとねぇ、ナマズがいっぱいとれるの。で、あすこの間ね、五、六匹もとれるの、ナマズが。こんなでっかいナマズとったの。やっぱしあの、地震の前というとおかしいけどさ。(中略) わかんねえけど、ずいぶんとったね。地震の前の一週間ぐらい。はっきり覚えてないけど。だから、やっぱし、その、地震があるんでさぁ、どっかの地層が揺れたんだか、爆発したんだか分からないけど、で、その動きをね、キャッチするんじゃないんですか。
  
 大地震の直前、フナやコイ、アユ、タナゴなどふだんの川魚ではなく、なぜかナマズが多く獲れたというエピソードは、別にめずらしい話ではない。江戸時代の元禄期から安政期までつづいた大きな地震の直前、あちこちの河川で記録された特徴的な出来事だ。
 だからこそ、大地震は地中に棲む大ナマズが暴れて起こすのだという、大江戸安政大地震の直後に浮世絵にも刷られて人気が高かった、大ナマズ“震源説”へと転化していったのだろう。他愛ないといえばそれまでだが、安政期の人々は少なくとも「日本列島」という国土概念は持っており、その細長い形状と河川のナマズに関する大地震直前の怪異現象とが結びついて、日本列島の下には巨大なナマズが棲んでいる……という概念へと結びついたのだとみられる。
 日本列島の下に大ナマズはいなかったが、太平洋から押し寄せるさまざまなプレートが複雑に沈みこんでいるのが、どうやら徐々に判明してきたのは安政大地震の100年後、1950年代に入ってからのことだ。現在、フィリピン海プレートの境界で起きる崩壊現象、つまり東南海地震(安政期の用語でいえば、きわめて短期間でドミノ倒し的に連続した東海・南海・豊予大地震)が起きる確率は、30年以内で70%といわれている。この数字は、「いつ起きても不思議でない」レベルであり、この連続した大地震の1年後に誘発されているとみられるのが、1855年(安政2)の直下型とみられる大江戸安政大地震だ。
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有島生馬「大震記念」1931.jpg
 内閣府の「首都直下地震モデル検討会」では、東京直下地震で揺れがもっとも大きい震度7の領域を中央区、港区、大田区、品川区、江東区、墨田区、江戸川区とし、首都圏の全壊家屋が11万6,000棟、火災による全焼家屋18万8,000棟(以上は2006年想定)、死者数は23,000人(2012年想定)としている。ただし、想定される震源としては津波をともなう東京湾北部の海底地震と、立川断層帯や三浦半島断層帯群、伊勢原断層帯などが走る多摩・神奈川直下のプレート境界地震が検討から外され、陸地の下を震源とする都心南部直下地震(想定M7.3)が大きくクローズアップされてきている。(2013年想定)
 ちなみに、相模トラフが震源とみられる元禄関東地震(想定M8.5)、延宝房総沖地震(想定M8.5)、そして同トラフが震源の大正関東地震=関東大震災(M8.2)などのプレート境界の巨大地震は、とりあえず直近で起きそうな震災の想定リスクからは外されたようだ。なお、関東大震災はM7.9と書かれた資料が多いけれど、これは以前から使われていた気象庁マグニチュード(Mj)によるもので、現代ではモーメントマグニチュード(Mw)が用いられることが多い。東日本大震災の経験から、大規模な地震にはM(j)よりもM(w)による表現のほうが有効だととらえられているからだ。
 少し余談めくが、関東大震災の様子を描いた絵画に、有島生馬Click!の『大震記念』がある。本所横網町の陸軍被服廠Click!跡に造られた、震災復興記念館Click!の展示室に架けられている600号サイズの大画面だ。この作品は、大震災の直後に描かれたように思われているが、有島生馬が同作に取り組んだのは1931年(昭和6)の夏であり、関東大震災から8年後のことだった。
 1931年(昭和6)発行の、「アトリエ」9月号に掲載された記事から引用してみよう。
  
 有島氏は六百号といふ大幅に関東大震災に取材した大構図、画面には山本権兵衛伯や後藤新平男、ベルギー大使、柳原燁子女史といふ知名な顔ぶれが画中に活躍してゐるといふ問題作です。これは制作中の或る日のアトリエ、キヤタツに登つてパレツトを持つ有島氏とモデルの柳原燁子女史です。
  
 画面中央の宮崎白蓮Click!(柳原白蓮Click!)を描くため、有島生馬は1931年(昭和6)8月に、わざわざ彼女をアトリエへ招き、震災当時のコスチュームを着せてスケッチしている。アトリエで『大震記念』を制作する、有島の様子を撮影した貴重な写真が残っているが、その傍らに画面へ描かれる女性モデルをつとめた宮崎白蓮が、画面の格好とほぼ同じコスチュームで座っている。作品に登場する人物たちを、写真などを参照しながら描くのではなく、わざわざアトリエに呼んでポーズをとらせていたとは驚きだ。
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 宮崎白蓮のすぐ右手に、彼女の足をスケッチしたと思われる習作のキャンバスが立てかけてある。実際の『大震記念』画面では、白蓮の裾がはだけ紅い腰巻が見えて、彼女のふくらはぎぐらいまでが露出している。アトリエに置かれたスケッチでは、そこまで裾が乱れているようには見えない。有島生馬は、はたして「脚フェチ」だったものだろうか。

◆写真上:横網町公園の慰霊堂の壁面に架かる、作者不詳の『旋風』。大火流で発生した火事竜巻により、空へ吹き飛ばされる人々を描いている。
◆写真中上は、下落合のあちこちでよく見かけるアオダイショウ。は、昔はどこの河川の川底に泥にまみれて棲息していたニホンナマズ。
◆写真中下は、関東大震災時に地震計に記録された本震と直後に起きた余震の振幅。上が本震で地震計が振りきれ、破壊されて機能していない。は、復興記念館に架かる1931年(昭和6)に制作された有島生馬『大震記念』(部分)。
◆写真下は、有島生馬アトリエでモデルをつとめる宮崎白蓮。下左は、『大震記念』の部分拡大。下右は、1931年(昭和6)発行の「アトリエ」9月号。
ご要望がありましたので、ときたま掲載する「予告編」をアップします。1973年11月10日(土)に放送された、『さよなら・今日は』Click!第6回(結婚前の浮気)から…。このころは、「家族と個」というようなテーマが、ドラマや映画などでよく取り上げられていたように思います。また、70年代前半には世代を問わず「シラケちゃう」という言葉が流行りましたね。久しぶりに聞きなおしたら、40年以上も前の本作でも首都圏の巨大地震について、どうすれば生き残れるかが家族間で話し合われていたのに気づきました。

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